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いつからお茶を飲んでいるか?

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ヒトはいつからお茶を飲んでいるか? という話なんだが、一般的に日本では、「栄西が日本に持ち込んだ」と言われるんだが、栄西以前、平安時代の文献に既に、お茶は出て来る。なので、Wikipediaでも「廃れていた喫茶の習慣を日本に再び伝えた」と書かれている。ところでお茶の文献というと中国には「茶経」があって、西暦760年頃、唐の時代に書かれている。
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茶経 全訳注 (講談社学術文庫)
中国唐代、「茶聖」陸羽によって著された世界最古の茶書『茶経』。茶の起源、製茶法から煮たて方や飲み方、さらに茶についての文献、産地による品質まで、茶に関する知識を実践的かつ科学的に網羅する「茶学の百科全書」を、豊富な図版とともに平易に読み解いてゆく。中国喫茶文化研究の泰斗による四十年余にわたる探究を経て完成した喫茶愛好家必携の一冊。

六 茶の飲み方
翼のあるものは飛び、毛のあるものは走り、口をひらくものは言う。この三者はともに天地の間に生まれ、飲みくいして活きている。飲の時義は遠なるかな。
渇きをとめるには、漿(水)を飲み、憂いと忿りをのぞくには、酒を飲み、眠気をはらいのぞくには、茶を飲む。
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読んでみると色々と面白いんだが、この時代、既にお茶というのが飲料、食料として普及していた中で、趣味性の高い「茶道」の元祖を追求する、とでも言うべき内容です。ちなみに茶経では、「お茶の元祖は炎帝神農」だと書かれている。炎帝神農というのは、古代中国の伝承に登場する伝説の人物です。つまり、歴史書に残らないほどの昔から、中国ではお茶を利用していた、という事だ。じゃあ、日本ではどうなのか? 文化人類学者の考え方としては、「栄西が持ち込んだのは、その当時の中国での、喫茶のスタイル」という見方です。今でも西日本では、山茶と呼ばれる野生の茶樹が多くて、「焼畑をすると、まっ先に生えてくるのがお茶の樹」だそうです。なので、確かに栄西は茶の種子と喫茶の作法、製茶技術などを持ち帰ったんだが、それ以前から日本には茶樹は存在し、中国の作法には囚われない形での、使用法があったのではないか? という仮説です。まぁ、考古学が進化して、花粉の分析などで証拠が出てくるかも知れないが、それまでは、あくまでも仮説。判らない事は判らないとしか言いようがない。

写真は、中国の大雪山の野生茶です。中国雲南省臨滄というところです。釜で炒って、軽く揉んである。ごく原始的な製法で、雲南省の山の民は、春になるとこの野生の茶の芽を摘んで、自家製のお茶を作り、飲んでいた。20年前までは、中国国内でも、ほとんど知られてなかったというんだが、お茶の原産地と呼ばれる土地では、いつとは知れぬ昔から今に至るまで、そういう使い方をしている。歴史書に書かれなかった事は、「なかった」わけではない。我々が知らないだけです。



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さて、今週は売り出せるのか? 豆州楽市が一年間かけて開発して来た薪炒り番茶です。マクロビオティック業界では「三年番茶」として知られているんだが、耕作放棄された伸び放題の茶畑から、しっかり成長した枝葉を採ってきて、薪火の遠赤外線でしっかりと火を通す。それを半年寝かせて、再度の火入れ。手仕事が多く、専門の機械もないので、手探りでの作業です。これは標高700メートル、ずしゃだちの茶です。やぶきたではなく、在来種の樹齢も古い茶樹です。





ご覧になって判るように、揉んでない。葉の形がそのまま残ってます。写真は約10g。これで約1000mlのお茶が淹れられる。コツは、「煮出す」という事。熱湯で徹底的に抽出しても、苦くならない。長時間の焙煎で、カフェインが飛び、タンニンがポリフェノールに変わる。ティーバッグでは、素材を粉砕して短時間で抽出できるように加工してあるため、面倒な煮込み作業無しで、マグカップにポン。すぐに飲めます。

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番茶と日本人 (歴史文化ライブラリー)
お茶は、日常茶飯事といわれるほど日本人の暮らしに根づいている。かつての庶民の茶=番茶を求めて国内のみならず海外まで行脚し、産地・製法・利用法を比較分析する。列島文化の成立ちを、番茶を通して描く日本文化論。

ここで自家製の釜炒り茶の使い方を見ると、まず飲むためには、朝、囲炉裏にかけた薬缶に一握りの茶を放り込んで一日中煮立てておき、随時湯呑に汲んで飲む。料理に使用する時には、茶袋に入れて十分に煮出し、その液で粥を煮たり振り茶にする。つまり熱湯で煮立てることが前提である。もし、上等の蒸し茶を煮立てたらどうなるか、やたらに渋い茶色の液体になって、とても飲めたものではない。最高級の玉露はせいぜい六〇度くらいの湯で、ゆっくりだすというのが基本である。
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明治になって「上級蒸し製煎茶」が普及するまでは、日本人はこういうお茶を飲んでいた。それだけじゃない。コメや雑穀を入れて煮立て、茶粥にして毎日食べていた。日本人を作って来たのは、「番茶」です。ティーバッグ、もうすぐ完成です。リーフも発売します。おいらが静岡に番茶を取り戻します。

鍋で煮るとはかどる

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豆州楽市の薪炒り番茶なんだが、鍋で煮るとはかどるんだが、後始末が面倒なので、100円ショップで出汁取り用の紙パックを購入して、10gのリーフをぶち込み、熱湯でグラグラと煮立てて冷めるまで放置。おいらは何でもアイスで飲む。まぁ、乱暴といえば乱暴なんだが、実はコレが由緒正しい、日本古来のお茶の淹れ方だという話です。
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番茶と日本人 (歴史文化ライブラリー)
お茶は、日常茶飯事といわれるほど日本人の暮らしに根づいている。かつての庶民の茶=番茶を求めて国内のみならず海外まで行脚し、産地・製法・利用法を比較分析する。列島文化の成立ちを、番茶を通して描く日本文化論。

ここで自家製の釜炒り茶の使い方を見ると、まず飲むためには、朝、囲炉裏にかけた薬缶に一握りの茶を放り込んで一日中煮立てておき、随時湯呑に汲んで飲む。料理に使用する時には、茶袋に入れて十分に煮出し、その液で粥を煮たり振り茶にする。つまり熱湯で煮立てることが前提である。もし、上等の蒸し茶を煮立てたらどうなるか、やたらに渋い茶色の液体になって、とても飲めたものではない。最高級の玉露はせいぜい六〇度くらいの湯で、ゆっくりだすというのが基本である。
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明治維新までの庶民が飲む「お茶」というのは、そういうモノだった。そもそも「急須」が普及したのは意外に新しく、一般家庭では明治に入ってからだそうだ。急須で淹れるためのお茶というのは、「上級蒸し煎茶」と呼ぶのだが、江戸時代に上級蒸し煎茶を作っていたのは宇治など、限られた産地だけだった。それ以外の産地は、全て「番茶」です。釜炒りの物も多かった。シーボルトが幕末に持ち帰った「当時、街で市販されていた高級茶」は、その半分が「釜炒り」「日干し」だった。ところが、釜炒り茶は色が黒く、抽出液も茶色いんですね。鮮やかな黄色や緑色ではない。日干しのお茶は「日向臭い」し、ムシロの上で揉むと藁臭くなる。明治維新で開港し、輸出用に品質向上を図る中で、「日本のお茶」という均一化の中で、日本中のお茶が、「上級蒸し煎茶」の技法に統一されて行く。それでは、上級蒸し煎茶というのはどういうモノなのか? その話はまた別の機会として、「100円ショップの茶袋にリーフを入れて鍋で煮出す」という淹れ方が、実は江戸時代とまったく同じだった、という話です。それとともに、「ティーバッグ」というのも、その延長上に位置しているわけで、「急須で淹れるのがお茶」ではないんです。

聖心女子学院の紅茶

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本物のお嬢様は、普段使いの紅茶も違う。ダージリンとかセイロンウヴァとか、そんなんじゃないです。コレです。「聖心の紅茶ただにしき」ですw 裾野に聖心女子学院があるんだが、そのキャンパスの一角に、茶畑があって、お茶を作っている。なので、聖心関係者はもちろん、生徒や卒業生はみんな、聖心の「不二農園」製のお茶を飲んでます。一般市場には市販されてないんだが、今ではネットでも買えるので、お嬢様気分でいかがでしょうか? ちなみにトラピスト修道院のクッキーを作っているのは、修道女ではなく修道士です。オッサンですw この紅茶は、果たして寄宿舎の女子中学生や女子高生が作っているのかどうか、そのあたりは深く追求しない事にしようw なお、お味なんだが、香りが高くて、旨味のある良い紅茶です。値段の割には良いクオリティです。

さて、番茶の話に戻ります。今の日本人は「家に急須がない」と嘆く人もいるわけだが、それでは急須が一般家庭に普及したのはいつ頃なのか?

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番茶と庶民喫茶史 (日本歴史民俗叢書)
従来、茶文化の研究は「茶の湯」の文化や歴史を指していた。しかし「日常茶飯事」というように、茶は人々の暮らしの中で当たり前の存在である。庶民の茶(番茶)はいかなる製茶法で作られ、利用されてきたのか。茶の木のあるところ日本全国各地はもとより、中国やミャンマーなども現地調査。「食べるお茶」など、お茶の持つ独自の文化を探究する。
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文化人類学ではそういうコトを研究するんだが、上記の書籍によると、急須の元になったのは中国茶で使う茶壺(チャーフー)だそうで、17、8世紀あたりに上流階級から普及し始めて、一般まで普及したのは19世紀末というから、そんなに古い話ではない。各家庭でバラバラに作っていた番茶が、輸出用に上級蒸し煎茶に集約されて行く中で、急須で淹れるというスタイルが普及した。それまではどうしていたのか? 実は「ティーバッグ」なんですw 番茶はあまり揉んでないので、葉が大きいままです。なので、藤や麻で編んだ目の粗い袋に入れて、それを鍋に放り込むだけw その袋を「茶袋」と呼びます。まさにティーバッグそのものw 100円ショップ行くと売ってるよね、大きめのカラのティーバッグみたいなの。出汁引くのに使ったりする。昔のは使い捨てじゃないので、お茶はお茶専用です。お茶は明治開港の立役者で、日本全国が一気に、上級煎茶の製造に走った。更に、紅茶も作ろうというので、明治政府の役人が日本人として初めて、産地ダージリンなどに入って、持ち帰ったのが、聖心女子学院の「ただにしき」で、今は聖心女子学院の茶畑にしか、まとまった量がないらしい。貴重品です。寄宿舎のお嬢さまが作った紅茶だしw

「ガラッ茶」「ヒドリッ茶」

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中村羊一郎という人の書いた本なんだが、著者は元静岡産業大学教授です。番茶研究の専門家。さて、番茶とは何か? 商品としてのお茶ではなく、農家の普段使いとして自家製で作られていたお茶です。庶民のお茶。各地に違った製法があり、千差万別。また歴史的にも時代によって違います。

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番茶と庶民喫茶史 (日本歴史民俗叢書)
従来、茶文化の研究は「茶の湯」の文化や歴史を指していた。しかし「日常茶飯事」というように、茶は人々の暮らしの中で当たり前の存在である。庶民の茶(番茶)はいかなる製茶法で作られ、利用されてきたのか。茶の木のあるところ日本全国各地はもとより、中国やミャンマーなども現地調査。「食べるお茶」など、お茶の持つ独自の文化を探究する。
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静岡県では割と早い時期、明治時代には、輸出用に茶産業が合理化されてしまったので、それまで各地で作られていた多種多様な番茶は消えてしまった。輸出用に均一な品質の製品を作るには、家庭でなく、工場でマニュアルに従って作業をしなければならない。煎茶というのは生葉を収穫したらすぐに製茶する必要があり、小さな工場があちこち、茶畑のあるところならどこにでも作られる。いったん工場が作られると、自宅で製茶をする【番茶】が消えてしまう。製茶の機械化は大正期には完了していたので、わざわざ手間かけて自家用のお茶を手作りしなくなるのだ。ところが、その静岡でも、昔ながらの番茶が最近まで生き残っていた。

静岡県の大井川最上流部に、川を隔てて小河内と田代という二つの集落がある。(ともに静岡市葵区井川)。下流の村々が井川ダム建設によって移転を余儀無くされた中で、この二つの集落は古くからの景観を保っている。このあたりでは、少し前まで、日常のいわゆる飲み茶として、通称「ガラッ茶」とか「ヒドリッ茶」というお茶が作られていた。これは。その製茶の仕方から来た名称である。一番茶の終えた頃、残った新芽や古い葉も一緒に手でこきとり、熱した鍋か釜に入れ、カラカラになるまで箸で掻き回す。この、煎る動作のことを「ヒドル」ということから、ヒドリッ茶という言い方ができ、またガラガラと掻き回すことから、ガラッ茶という呼び方が生まれたと説明されている。

このお茶は、薬罐にいれて煮出すと黄色を通り越した樺色に近い色だが、香ばしくて美味しいといって、先年亡くなる前まで、自分で作って飲んでいた人もいた。

この製法と、これで作られる製品、実は、京番茶や三年番茶とほぼ同じです。ついでに豆州楽市の薪炒り番茶とも同じ。番茶の製法としては、ポピュラーです。ただ、「昔ながらの」というわけでもない。日本の製茶法としては、中世以降、むしろ近世に入っての、割と新しいやり方で、九州や西日本では中国から伝わったというので唐式と呼ばれる。そもそも庶民に「鉄の鍋、釜」が普及したのがそれくらい。それまでは煮炊きをするための「土器」しかなかった。なので、「煎る」のが難しく、「蒸す」方法が主流だった。そして今でも、日本のお茶というのは「蒸す」方法が多く、中国との違いを見せている。



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「お茶を汲む」と言う。「煎茶」と言う。「汲む」というのは、どういう動作を言うのか? 汲むというのは、「液体をすくって取る」動作を言う。けれど、会社のOLは「お茶汲み」と揶揄されるんだが、鍋からお玉でお茶をすくって茶碗に注いでるわけじゃないですね。それなのに何故、「お茶を汲む」と言うのか。また、「煎茶」なんだが、今のお茶は煎じて淹れるわけじゃない。急須の中でほどよく抽出されたモノを、茶碗に注ぎます。こうした言葉から、かつての【お茶】というのがどういうシロモノだったのか、推測できる、という話です。

さて、番茶です。上級の煎茶というのは、春になって出てきた新芽を摘んで作る。一方で庶民が飲んでいたのは番茶。こちらは新芽ではなく、育った葉から作る。蒸して発酵を止め、乾燥させて保存する。番茶には急須なんか使いません。そもそも急須が出現するのは17世紀で、歴史的にはそんなに古くない。急須のない時代から、人はお茶を飲んでいた。日本の庶民がいつ頃からお茶を飲んでいたのか、歴史的にはほとんど判ってない。どうも、弥生時代には間違いなくあったらしい。縄文時代にあったという証拠はないんだが、茶樹というのは「焼畑農業」と密接な関係があるのだそうで、縄文末期には、既に日本に入っていたかも知れない。まぁ、少なくとも1000年以上は、急須のない状態で飲んでいた。鍋のお湯にひとつかみ番茶を放り込み、グラグラと煮え立たせて「煎じ」、火を止め、茶葉が沈んだら上澄みを「汲んで」茶碗に注ぐ。だから「煎茶」であり、「お茶を汲む」だった。江戸の街にはあちこちに「お茶屋さん」というのがあって、一杯いくらでお茶を飲ませるんだが、そういう店では、鍋にザルを沈めて茶葉を押さえ、ザルの中のお茶を汲んでいた。だから「お茶汲み」なのだ。茶樹というのは、関東以南だったらどこでも育つので、基本的には「商品」ではない。宇治の抹茶とか玉露のように、都会の貴族という特権階級に売るモノもごく一部あったんだが、基本的には自宅の庭先に生えている茶樹の葉っぱを毟り取って使うだけです。

何故、静岡には番茶がないのか?

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文化人類学、という学問があるんだが、どういう学問なのかというと、文字で記録されてないような庶民の歴史を調べたりするわけです。「歴史」では「日本史」とか「世界史」とかあるんだが、文化人類学では国境を越えて、幅広い文化圏とか、そういうのも研究する。で、お茶の文化人類学的な本を読んで勉強しているところなんだが、それというのも、「何故、静岡には番茶がないか?」というのが疑問だったからだ。

写真は今日撮ってきたんだが、山の茶畑です。耕作放棄の茶畑が背後の左側にチラッと見えてますね。手前は一番茶だけ収穫して、以後は放置されている。秋になると、「台切り」と呼んで、次の一番茶に備えるために高さを揃える。その際に切り取られた葉は、関西圏では「京番茶」と呼ばれる番茶に仕立てられます。京番茶の材料は、玉露や抹茶といった高級茶の台切りした枝葉です。そうした高級茶では、二番茶、三番茶を収穫しないので、台切りではかなりの量の枝葉が穫れる。玉露、抹茶というのは消費量が少なく、ブランド力を維持するためには、あまりたくさん作ってはいけないw なので、新茶しか収穫せず、台切りで出る枝葉は「京番茶」という、まったく別の商品に仕立てる。玉露の二番茶、三番茶なんて多少安くても、だからって売れるもんじゃないので、それが正しい態度ですw

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