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上海特集

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さて、今日は上海特集だ。上海は1949年までは外国資本が投下された国際都市で、日本租界とか外国人租界とかあって、中国でも治外法権みたいな土地だった。かまやつひろしの父親は、その上海のジャズバンドで演奏していて、戦後もしばらくは帰れなかったらしい。よちよち歩きのかまやつひろしは、上海でタップダンスの真似をして、観客を沸かせていたというんだが、そのかまやつも死んじゃいましたね。



上海リルというのは戦前の歌謡曲として有名なんだが、実は1933年のアメリカ映画で、ジェイムズ・キャグニーが歌ってますw 日本では川畑文子がヒットさせた。川畑文子というのは日系三世で、まずはアメリカで売れた。13歳で天才ダンサーと呼ばれ、あまりに売れたので草臥れて、日本には休養のつもりで来たんだが、横浜港にコロンビア・レコードが待ち構えていて、アメリカの契約を残したまま、日本でもデビューしたのが、17歳w アクロバチックなダンスとジャズを上手に歌うというので大人気だった。戦後はアメリカに帰って引退してしまったので、知る人は少ないんだが、上海バンスキングの吉田日出子の元ネタになった人です。



戦後の1951年に、上海リルのアンサーソングとして作られ、大ヒットしたのが、この「上海帰りのリル」。1951年というと、上海に中共が入って外国資本を追い出した翌々年だし、日本にも上海帰りがたくさんいたので、割とリアルな雰囲気の歌だったんだろう。



そして幾星霜。1978年になって上海が改革開放で、外国資本が入るようになる。1949年から、30年が経過していた。その間、毛沢東の大躍進やら紅衛兵やら、激動の時代があったんだが、30年ぶりに上海に戻ったビジネスマンが驚いたのは、和平飯店のジャズバンドが健在だった、という事だ。和平飯店というのは、昔のサッスーンハウスです。1920年代に上海経済を支配したサッスーン家の根城。1949年までは、このビルにサッスーン家の会社であったキャセイホテルが入居しており、上海ではもっとも名門のホテルだった。おいら、1978年になって改革開放された当時の、このジャズバンドの音源を持っているんだが、あまりのヘタクソさに涙が出て来るw 1949年までは、日本を含め、世界中から腕っこきのジャズマンが集まって競っていた上海で、化石のように生き残った爺さまたちは、もうね、元からヘタだったんだろうが、年取ってヨレヨレで、それでも懸命に「ジャズらしき物」を演奏しているのが、世界中で評判になった。



その後も、和平飯店の爺さまたちは、世代交代しながらも、あのヘタクソさは変わらず、いい雰囲気で上海名物になってますw

アンジェリーナ・ジョーダン

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おいらの持論なんだが、「歌の上手いヤツは生まれた時から上手い」というんだが、裸足の美少女ジャズシンガー、アンジェリーナ・ジョーダンです。彼女は裸足で歌うのがスタイルなんだが、それには理由がある。

6歳のときイランにいた際、道端で働く孤児の幼い女の子に出会ったアンジェリーナちゃん。「とっても素敵なお靴ね」と女の子から言われると、「ありがとう。欲しい?」とアンジェリーナちゃんは自らの靴をその場でプレゼント。そして女の子の夢を尋ねると、「お医者さんになりたい...、でも私はなれないわ」。
アンジェリーナちゃんの靴をもらった女の子は、アンジェリーナちゃんの夢が叶うよう毎日お祈りを捧げることを告げたといいます。そして7歳になり出場したゴット・タレント。アンジェリーナちゃんは裸足でステージに上り、その歌声を世界中に響かせます。

オーディション番組で、裸足でステージにあがり、ビリー・ホリディの唄をやって審査員を泣かせてデビューしたのは、7歳の時です。



選曲がまた渋いわw きっとオヤジがコテコテのジャズ、ブルースの愛好家なんだろう。こういうの聴いてしまうと、もうね、歌なんて、練習するだけ無駄だと判るw



まだ歯が生え揃ってないですw でも、目を瞑って聴いていると、ビリー・ホリディみたいw やっぱ、泣いちゃうよね、こんなの聞かされたらw 子供なのに上手い、とか、そういうレベルじゃない。



ちなみにノルウェーの女の子です。3歳からジャズボーカルのレッスンを受けていたというから、両親がジャズ好きなんだろう。



問題の、オーディション番組。売春婦アガリの麻薬中毒、死にかけビリー・ホリディの魂が、今、蘇る。ちょっとたどたどしさも残る。この頃と比べると、最近はもっと上手くなってます。それにしても、なんで7歳の無垢な少女が、こんなの歌えるのかw

ムーンライト・セレナーデ

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グレン・ミラーの「ムーンライト・セレナーデ」といえば、知らぬ人のない名曲で、楽団のテーマ曲でもあるんだが、ラジオ放送のエアチェックで残された演奏では、通常の半分くらいのテンポで演っているバージョンがある。おいら、グレン・ミラーのエアチェック盤を持っているんだが、その解説によれば、グレン・ミラーが出征する時に、ラジオの視聴者に最後のお別れとして演奏した時の録音だそうです。米軍に参加したグレン・ミラーはその後、楽団を率いて、前線を慰問してまわり、乗っていた飛行機が行方不明になって、戦死した。アメリカ人にとって、グレン・ミラーというのは、特別な存在です。英雄です。でもね、そんな英雄なんて、生まれない方がいい。そんなエピソードを知ってしまったら、あの異常に遅いテンポのムーンライト・セレナーデ、涙なくして聴けません。



フランク・シナトラです。映像は関係ないんだが、まぁ、合ってるからいいかw



なんかよく判んないんだが、フランス語のバージョンです。映像は1900年代のポストカード。おいら、この手のポストカードを数万枚持っておりまして、本も出した事があるんだが、第一次世界大戦の出征兵士と家族とのハガキのやりとりとか、オトコからオンナにあてての猛烈なラブレターとか、100年前のプライバシー覗き見というのも、なかなか楽しい。やっぱり平和が一番だ。



ラウラ・フィジィという歌手です。この人、母親がベリーダンスの踊り手だったそうで、父親はオランダ人。英語・仏語・スペイン語・ポルトガル語・中国語で歌う人です。




アイドルについて。かつてのアイドルは、よく見るとブスだよねw 薬師丸ひろ子だって、今のアイドルグループの一員だったらパッとしないかも知れない。けれど、あれだけ世の中で存在感を示し、魅力的だった。何故なのか? アイドルが使い捨ての乱造でなかった時代。一人の少女に、業界を挙げてカネと思い入れを注ぎ込んで育てた。男たちの思い入れが、少女をアイドルに変えた。そんな時代。



これもまた、微妙なアイドルw 薬師丸ひろ子も原田知世も、女優ではあるが、歌手ではない。凄く美人かというと、そうでもない。歌が上手かというと、そうでもない。そんな素人臭い娘を、何十億もかけて育てる。角川春樹は凄かったw もう二度と、ああいう人物は出て来ない。



角川映画というと、途方もない額の広告費を注ぎ込んで、力技で映画をヒットさせるという、角川方式だ。まぁ、原作の文庫本も売れるので、トータルで元が取れりゃいいという強引な商売で、ワンマン経営の最たるモノだ。あの当時の角川はカネ持っていて、自社周辺の土地の地上げまでやっていたw 角川春樹はあんな人間だが、意外に音楽的なセンスは良くて、ジョー山中の起用とか、凄いよね。業界的には知られていても、一般にはほぼ無名。マイナーなミュージシャンです。結局、この曲がジョー山中の代表作になった。



薬師丸ひろ子のデビュー作。まだ小学生です。ロリコンにも程があるw 主題歌はズーニーブーで白いサンゴ礁を歌っていた町田義人。ズーニーブーはグループサウンズだが、本来はR&B系。これまた渋い歌い手を連れて来たもんだw



スローなブギにしてくれです。南佳孝。彼は、はっぴーえんどとティン・パン・アレイとかムーンライダースとか、そっち系の、当時としてもマイナーなミュージシャン系で、こういう人を連れて来て、大作映画の看板を任せるという、角川春樹の豪胆さが素晴らしい。角川映画では、名前の売れた大物俳優が脇役というケースも多く、懐かしいですw やっぱり、映画作りでは「カネ持ってるキチガイ」が一番強いわw



さて、アイドルです。こういう人も、当時はアイドル枠だった。火曜サスペンス劇場のエンディングテーマでお馴染みです。昔のアイドルで売れた人というのは、突出したモノを持ってますね。

暴走ドラム

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ドラムの暴走、という映像なんだが、昔からドラムが暴走するギャグというのはたくさんあって、まずはクレイジーキャッツ。デビューしたてのタモリとの共演です。タモリは早稲田のジャズ研で司会者をやっていたので、プロのミュージシャンと遊びで共演するくらいの腕は持っている。クレイジーキャッツは、元はマトモな音楽バンドです。



ビートルズの前座でやったドリフターズ。演奏しながらコントw ドリフターズはクレイジーキャッツの後釜に座ったんだが、同じナベプロで、やはり元はマトモなバンドマンたち。昔の喜劇人は、何かしら「芸」を持っていた。



嵐を呼ぶ男。喧嘩で手を潰されたドラマーが、ドラム合戦で仕方なく、マイクを握って歌うw あの中学生も、スティック奪われて手で叩いたところまでは良かったが、次はマイクを奪って歌うべきだったw 殴られてオシマイでは、ドリフですw



昔は「ドラム合戦」というのがありましてw 要するにツインドラムなんだが、ドラムは花形楽器で、白木秀雄というのは1960年代ジャズのスターです。晩年は睡眠薬に溺れ、孤独死した。



フランキー堺というのも、今では「俳優」として記憶に残っている人だが、元はドラマーです。歌手江利チエミがなかなか来ないので、ドラムソロで場を繋いでいる、という映画のシーン。ドラムというのは普段は裏方で目立たないが、実はスターなんですw 

夏になると聴きたくなる

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夏になると聞きたくなる、マーチン・デニーです。ハワイ在住のJAZZ系ミュージシャンで、通称「エキゾチカサウンズ」と呼ばれる独特の音楽を作った。1956年のフイルムから、代表曲の「クワイエットビレッジ」。この人の音楽の特徴は、「南国風のサウンドだが、いわゆるハワイアン音楽ではない」という事。本人はピアノ弾きで、あとはバイブラフォン。第二次大戦中は空軍兵士で、欧州戦線で戦っていたというんだが、長生きして、亡くなったのは2005年です。



この人、コンピューター・ミュージックの先駆けとしても知られていて、YMOにも影響を与えたと言われている。モーグのシンセサイザーを使ったアルバムから。



エキゾチカサウンズといえば、代表的なナンバー、ミザルー。映像はまったく関係ないんだが、ハリウッドのB級映画から。この映像は大好きだw



チョットマッテクダサイ、という曲は、ハワイ発で世界的に大ヒットした流行歌です。80歳になってのアルバムから。マーチン・デニーのアルバムはYoutubeにフルアルバムでたくさん置いてあるので、ぜひ、BGMにしてやって下さいw

嗚呼...しみるねぇ

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うき世舞台の花道は表もあれば裏もある 花と咲く身に歌あれば 咲かぬ花にも唄ひとつ、嗚呼...しみるねぇ...



演歌の花道です。来宮良子のナレーションで有名なんだが、彼女は82歳で亡くなったので、あの名調子はもう、聞けません。東京12チャンネルが総力を挙げて作っていた番組で、おいらも毎週、見ていた。今では年に一度、スペシャルでやってますね。単なる歌番組ではなく、セットを組んで、PV風の造りです。この、わざとらしいところがタマランw 今でも通用するコンセプトだと思うので、ぜひ、復活させて。



気が狂って、ビルから飛び降りて死んでしまった藤圭子です。宇多田ヒカルがブレイクするまでは、藤圭子の亭主はずいぶん苦労した。藤圭子と亭主が二人でユニット組んで、TVに出ていたのをおいら、見てます。



これまた不幸な変死を遂げたテレサ・テン。おいら、テレサが変死したホテルを旅の定宿にしていて、テレサの幽霊に犯されそうになった事があるw 「年増は苦手なんだ、勘弁して」と、必死でうなされていたw あの時に逃げなかったら、今頃ここにいないw



ところでこの番組は大正製薬の一社提供だったんだが、社長が演歌好きで、番組で使った曲のカラオケを用意するのが、TV局の仕事だったそうだw



復活してからの森昌子はなんかパッとしないが、シアワセな主婦生活を送って、立派な息子を育て上げてからの復活なので、どうも演歌らしくないw やっぱ、行かず後家とか、次々に亭主が変死するとか、不幸の似合うオンナでないとw と、無責任な感想ですw

後ろでウワウワ言ってろ

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ムード歌謡の世界だ。最近、復活の兆しもあるようなんだが、かつての「ムード歌謡」というのは、「歌謡コーラスグループ」というのがあって初めて、成り立っていた。歌謡コーラスグループというのもまた、独特の存在なんだが、基本は「キャバレーやナイトクラブの箱バン」です。昔は日本中、各地の盛り場で、ナマの演奏を聴かせるバンドがいた。それが適当な歌手を連れてきて、たまたまオリジナルの曲を吹き込んでヒットしたりすると、TVにも出るようになる。いつもは自分たちで演奏しているんだが、TVの歌謡番組にはあの時代、オーケストラが入るので、演奏は邪魔w 歌手以外は邪魔にならないように、後ろでウワウワなんか呻いてろ、というスタイルになるw これはシルビアという女性歌手をフューチャーしているんだが、シルビアはその後、ロス・インディオスを離れて独立。なので、Youtubeの映像でもシルビアが出てないモノが多い。



歌謡コーラスグループの全盛期、このヒトは一人で歌います。名曲ですw なんだよ、夜の銀狐ってw キツネだから人を騙すんだろうが、夜の銀狐と呼ぶと、ちょっとカッコイイw おいらは歌が上手いので、こういう歌を、逝かず後家の40女の目を見つめながら対面で吹き込んで泣かせるくらいの技はありますw



宗右衛門町ブルースを探していたら、なんせ古い曲なので歌手がヨレヨレで、聞くに耐えなかったので、憂歌団の木村くんのバージョンでw



典型的な歌謡コーラスグループのスタイル。コーラスやってる連中全員、本来はミュージシャンです。TVではフルバンドがいるので、邪魔w ウワウワ言ってろ、というスタイル。元々、クールファイブというのは長崎のキャバレー『銀馬車』の専属バンドで、競合店の専属バンドだったコロラティーノが思案橋ブルースで世に出たので、クールファイブは当時佐世保のナイトクラブで頭角を現していた前川清を引き抜いて、専属歌手とした。当時のキャバレーは専属バンドを抱えていて、ゲストのバンドと交互に演奏していた。日本中、夜の街にはナマの歌が溢れていた。



ハッピーアンドブルーという歌謡コーラスグループのボーカルだった、森本英世。TVで演る限りでは、敏というとハッピーアンドブルーは要らないですねw ノリの良い曲なので、この曲をオカマバーで歌うと、合いの手が大変な事になるw まぁ、今は人件費の高い時代なので、生演奏聞きながら酒を飲むなんて店は、ほぼ絶滅ですw

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世界のベリーダンス

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ベリーダンスを鑑賞するのが楽しくて、気がつくと何時間もYoutube見ているんだが、残念なのは、オバチャンが多いという事。コレはまだ若くてマシだが。どうも、人種が違うと、体型もこれだけ違うのかw これはエジプトですね。エジプトは世俗的な国なので、観光客にベリーダンスを見せる店なんかも多いのかも知れない。



イスラムでも、戒律の厳しい国があるんだが、そういう国でもベリーダンスをやっているんだろうかw 黒いオバQが踊りますw



こちらは「アメリカン・トライバル・ベリーダンス」という、ベリーダンスから派生した現代風のダンスです。踊っているのは、ウクライナ出身のNY住まい女性。このクラスのダンサーともなると、さすがにいいオンナですw



コレはまた、拾い物だったw ベトナムの娘w ベリーダンス自己流で始めて数ヶ月だそうで、先生について習っているわけじゃない、ビデオ見ながら勝手にやってるだけw 体型が、明らかに中東とは違うw 白人やアラブ人の基準からしたら、「幼児体型」だわな、こういうのw この貧相さは、おいら、大好きだw



同じ娘です。こういう食堂(カフェ?)で踊ってるらしい。アジアの女は逞しいわw つうか、サイゴンは元気良いねw

イパネマの娘たち

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「イパネマの娘」というと、世界中でもっともヒットした曲として知られていて、とともに、ボサノバという音楽を造った記念すべき曲でもあるんだが、実は、モデルになった娘さんがいたんですね。上の写真で、海岸で雑誌を読んでいるビキニのネーチャンがそうですw 歌のモデルになったからって、印税貰えるわけじゃなし、ネーチャン悔しいというので、歌詞を印刷したTシャツとか作って、観光客に売ってるらしいw もう婆さんだがw イパネマの婆あw 



Elise Ashlyn Trou という、アメリカのミュージシャンです。ドラム叩いたり、ギター弾いたりする才女です。美人です。1999年生まれというから、ずいぶん若い。アメリカは層が厚いので、こういうのがゴロゴロいる。



ギター2本とベースの英国紳士3人に、女性ボーカルが加わった、ジャズバンド。渋くていいね! お姉さんが逞しい。ツアーの夜には、男三人相手にしそうな体力w



Ituanaという歌手だそうだが、アルバムも出してない無名なので、よく判らない。これはボサノバを集めたオムニバス・アルバムの一曲。ボサノバはこういう力のない、ふやけた声が似合うw それはそうと、映像のオンナが、何ともエロくて宜しいですw ファッションモデルだと思うんだが、どこからどう見ても、素人オンナじゃねーな、という風情だw



よく判らない人たちが演ってます。映像がきれいだね。絞りを開け気味にして、ハイキーな仕上げで、いい感じだが、年増のお姉さんが三人というのは、視点が分散して良くないw

昭和歌謡史つまみ食い

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昭和歌謡、といっても、戦後の歌謡曲なんだが、物凄いかけ足でつまみ食いですw まずは田端義夫。この人、80年間、歌手をやっていた。とてつもない貧乏育ちで、小学校を3年で中退してますw 「煎餅焼く手に涙が滲む」と平岡正明が書いていたが、それ以来、何十もの仕事を転々としたそうで、煎餅屋で煎餅焼いていた事もある。薬屋、パン屋、鉄工所などで丁稚奉公を続け、栄養失調で片目の視力を失いながらも、ディック・ミネに憧れて、歌手を目指し、20歳にしてデビュー。戦前にも何曲ものヒットを飛ばしている。「大利根月夜」(昭和14年)が代表的だが、「別れ船」(15年)もそうです。戦争中の日本人は、田端義夫の「別れ船」を聞きながら、南方へ、満州へと旅立って行った。



そして敗戦。二度と戻らなかった人も多い。かろうじて命だけは永らえて帰国した日本人が、港で耳にしたのが、「かえり船」(昭和21年)です。国破れて田端義夫あり。街は焦土となり、身は難民となって追われても、田端義夫の声だけは変わらなかった。戦前と戦後では、歌謡曲のトレンドは大きく変化したが、その後も田端義夫は長く現役を続け、死ぬまで懐メロ歌手にはならなかった。

おいらが見たドキュメンタリー番組では、田端義夫がいきなりギター持って普通の住宅街を歩き出し、そこら辺の空き地で突然、歌い始めるw 最初は誰もいなかったのが、一人、二人と婆さんがどこかから湧いて出て、涙を流しながら聞き惚れるという、ヤラセじゃないです。本当のハプニング。実は、田端義夫はそういうのを得意としていて、釜ヶ崎でもやった事があるw マネージャーがアンプ持って後からついて歩いているw 偉大なブルースマンです。



これはなかなか珍しいフイルム。「七変化狸御殿」1954年です。ドラム叩いているのはフランキー堺。フランキー堺というと名役者として知られているんだが、元はジャズドラマーです。この映画では「ジャズ狸」という役柄で出てますw 美空ひばりのバレリーナ姿がムチムチで、妙に色っぽいw まだ、16歳か17歳です。美空ひばりは昔の人で、成長が遅かったので、12歳ではホントの子供でガリガリなんだが、この頃からオンナっぽくなって来るw 堺正章の父親、堺駿二も出演している。この頃の堺正章も、幼くして、こうした映画スタジオに出入りして、子役で芸能界入りしてます。



さて、三波春夫です。この人、元は「天才少年浪曲師」だった。昭和初期には浪花節というのが大流行で、その中でももっと将来を嘱望された一人です。もう一人は村田英雄w ところが戦争で運命が狂って、三波春夫はシベリア送り。食えないオヤジなので、「浪曲レーニン伝」などを自作して宣撫活動に励み、ソ連に取り入り、ご機嫌伺い、インターナショナル唄いながらなんとか帰国を果たす。この「俵星玄蕃」は、日本歌謡曲史上に燦然と輝く大傑作。浪曲が廃れた今となっては、こういうの二度と生まれないですね。



キャロルの映像というのは色々残っているんだが、これがベストだと思う。元はNHKの番組として作られたんだが、過激だというので、ディレクターが馘首になってしまうw 日比谷野音のステージをウロツク姿が、土産物屋の菓子を狙っている不良猿みたいな中腰で、あるいはジャングルでゲリラ掃討やっているマシンガン持った米兵みたいで、カッコイイというか、カッコワルイというかw



ここで松田聖子のパンチラとはまた、ずいぶん端折ったもんだが、まぁ、そんな感じですw 松田聖子は、デビュー以来、快進撃を続けていたんだが、この曲の直前までは徐々にレコード売上げが下がってきたところで、そこで起死回生のパンチラですw わざとパンツ見せてますw ミニスカートのワンピースで、大きく片手を挙げるので、裾が引っ張られて、パンツが見える。パンチラ効果は絶大で、ここから急速にレコード売上げが回復し、松田聖子は不滅の大アイドルになったw

アメリカの青春時代

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ミュージカル、というのが、あったわけです。今でもあるのかも知れないが、ハリウッドの全盛期は1950年代までで終わっていると思う。ハリウッドでは、1945年の第二次大戦集結直後あたりから、大作はカラー化されていて、この「雨に唄えば」も1952年です。おそらく、全てのミュージカル映画の中で、もっとも有名なシーン。ジーン・ケリーのダンスも素晴らしいが、それを最大限に活かすように練られた脚本や細部の作り込みが凄い。どれだけ綿密なリハーサルを積み重ねて撮ったのか。



フレッド・アステアも人気者だった。アステアはタップダンスをベースに、コミカルな仕草が特徴。1951年の「恋愛準決勝戦」から、アステアが帽子掛けと踊るシーンw



シド・チャリシーとアステアで、1953年の「バンドワゴン」から。素晴らしい名曲です。シド・チャリシーは、昔は「シド・チャリス」と呼んでいたような気がする。夢の大都会ニューヨークで、美男美女が華麗に踊る。ちゃんと、シド・チャリシーのパンツが見えるサンビスシーンも入ってるしw ダンシング・イン・ザ・ダークは、ダイアナクラークの唄ったコレがいいね!この手のミュージカル映画というのは、白人文化の根底に今でも記憶として刻み込まれている基本です。



「巴里のアメリカ人」から、レスリー・キャロンの踊るシーン。この時代のハリウッドは性的表現にはうるさくて、パンツが見えるくらいが精一杯だった。そんな中で、工夫を凝らして女性の魅力を最大限に魅せてます。



ところでおいらが一番好きなミュージカル女優はエスター・ウィリアムズです。水着の女王! 1952年の「百萬弗の人魚」から。彼女は1940年の、あの幻の東京オリンピックの代表選手になるはずだった、本物の競泳選手だったんだが、戦争でオリンピックが中止になり、女優に転身。1944年の「世紀の女王」で大スターになる。日本軍が硫黄島で死屍累々玉砕し、庶民は「欲しがりません勝つまでは」「一億玉砕、火の玉だ」と、竹槍で焼夷弾消していた頃、アメリカ人はカラーの水着美女映画に見惚れていたw 



この手の大掛かりな水着映画、とんでもない費用がかかりそうw そのためもあってか、1956年には作られなくなる。エスター・ウィリアムズは実業家に転身し、今でも続く水着ブランドを立ち上げ、全米各地にプールを作って競泳選手を養成してます。

こうした、ストーリー的にはあたりさわりのない幼稚なモノながら、夢と希望に満ちあふれ、とてつもない費用と手間を注ぎ込んで作られていたミュージカル映画。二度と戻らない、アメリカの青春です。

世界一エロい曲

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大竹まことの双子の兄弟であるオサムが原作書いていた「ケンタウロスの伝説」というオートバイ漫画で、「おじさんに会いに行く」と言ってバイクでアメリカ大陸を延々と旅する話が出て来たような気がするんだが、そのおじさんというのが、ポール・モーリアだったな。こういうの、アメリカではエレベーター・ミュージックと呼ぶ。エレベーターの中でかかっているからで、日本ではBGMとかムード音楽とか呼んでいた。オーケストラで、何でも演っちゃいます。この曲は、セルジュ・ゲンズブールの作った曲です。元の曲はキチガイみたいな曲で、日本では長く、放送禁止だったw



これがオリジナル。当時、セルジュと愛人関係にあったジェーンバーキンとのデュエット。こいつらセックスしながら録音してるんじゃないか? 特に後半が酷いw 日本では、エロい曲というのはたくさん作られているんだが、コレを超えるモノはない。



もっとも、当初は、やはり愛人関係で不倫の仲だったブリジット・バルドーのために書かれた曲だったらしい。バルドーが、亭主の顔色気にして発売許可を出さなかったので、ずっとバルドー版はお蔵入りだったw 1986年に、「売上げは動物保護団体に寄付する」という条件でやっと、発売されましたw 聴き比べてみると、ジェーンバーキンの方がエロいですね。



さて、セルジュ・ゲンズブールというのは、エロい人で、たくさん曲を作っているんだが、スケベな歌詞が多い。しかも、本人は酒浸りで、ロクデナシだったようだ。コレなんて、13歳の少女にエロい事を仕掛けてますw フランス人はロリコンw ずいぶん可愛い娘だと思ったら、セルジュ・ゲンズブールとジェーンバーキンのあいだに産まれた、シャルロットちゃんですw タイトルが、なんと「レモン・インセスト」。自分の娘と近親相姦の歌をやっちゃうんだから、筋金入りのロクデナシw この人、ユダヤ系で、レゲエに傾倒して、ラ・マルセイエーズをレゲエにアレンジした曲をジャマイカでレコーディングして、右翼に襲撃され続けるw あまりに右翼が煩いので、セルジュ・ゲンズブールは競売でラ・マルセイエーズの著作権を買い取ってしまったそうですw

夢は夜ひらく

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作曲家の曽根幸明死去、だそうで、さっそくYouTubeで組もうと思ったハイエナ野次馬さんなんだが、実はこの人、アレンジャーが本職で、作曲は多くない。有名なところでは「座頭市子守唄」くらいか。代表作は「夢は夜ひらく」になるんだろうが、実はそれも「作曲者不詳の採譜」です。元は、練馬鑑別所で伝えられた伝承歌がベースのようです。それを、ナンシー・シナトラとリー・ヘイズルウッドのデュエット曲「サマーワイン」風に料理していっちょあがりw



1966年に、この曲が競作としていっせいに発売された。緑川アコ版がコレです。緑川アコが歌うと、ネリカン風味がいい感じに効いてますw おいらは好きだ。



この時の競作でもっともヒットしたのは園まり版。色っぽい。ネリカンの不良テイストは消えて、お妾さんソングです。



それから数年。一人の少女が衝撃的なデビューを果たす。三味線瞽女の娘、藤圭子です。白いギターを抱え、新宿の街を24時間、唄い歩くというキャンペーンをやったな。デビュー曲は「新宿の女」。そして翌年、「圭子の夢は夜ひらく」でオリコンシングル連続10週一位という爆発的な大ヒット。とたんに、「ナントカの夢は夜ひらく」というカバーが続出した。ちなみにこの曲にはオリジナルの歌詞が20種類あるそうですw



さて、その翌年。全日本フォークジャンボリーを機に世に出たのが、三上寛ですw おいらこの人が好きで、この頃ずいぶんライブも見てます。新宿公会堂でやった初のリサイタルも見ている。ガロとか吉田拓郎とか、軟弱なフォークには若い女のファンが大量に付いていたんだが、この頃のジョイント・コンサートでは、三上の出番になると女性ファンが一斉にトイレに逃げ込んだという逸話があるw 

作曲者不詳という事もあって、100人が100様の解釈と料理が出来る歌で、なかなか面白い。それでも作曲の著作権料金は曽根幸明さんに入るんだろうねw

そんな事より干し芋だ。日本のほしいもの元祖は遠州です。今年も美味しい干し芋が届きました。

_DSC1813_300.jpg 1100円(税・送料込み)
<ヤマセン 遠州産干し芋 180g×2>

今では日本中どこでも作っている干し芋、安い物では中国製もあるんだが、元祖は遠州です。さつまいもを蒸して切って寒風に干しただけの、無添加自然食品です。干し芋は茨城で生産されている物が多いんだが、発祥は遠州地方、それも浜岡周辺です。その、元祖の干し芋です。素朴な甘みがヘルシーなオヤツとして人気です。

豆州楽市がお届けします。

ウェスモンゴメリー

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ウェスモンゴメリーといえば、ジャズギターの巨星なんだが、36歳までは田舎のインディアナポリスで6人の子供を抱えて溶接工として働く、兼業ミュージシャンだった。朝7時から午後3時半まで溶接工、夜7時から午前2時まではバーで演奏し、午前2時半から5時まで、やっとジャズクラブで演奏という日々。極貧です。たまたまインディアナポリスを訪れたキャノンボール・アダレイに見出されて本格的なジャズシーンに登場するんだが、「巡業が嫌い。家族と一緒にいたい」というので、田舎に帰ってしまうw 困った人だw



まぁ言うまでもなく、抑制の効いたしっとりしたタッチで、スタンダード・ナンバー演らせたら天下一品ですね。活躍したのは10年間という短い期間なんだが、晩年にはポピュラー路線でオーケストラと共演したアルバムを幾つも出している。これが物凄い勢いで売れまくって、良かったね、なんだが、ジャズファンからは「才能のムダ遣いだ」と非難されてますw もっともウエスは「楽譜が読めない、ギターも独学」という人なので、編曲してオーケストラ乗せるのは、「後乗せ」だったという話もあるw



ピックを使わず、親指の腹だけで弾くとか、オクターブ奏法とか、独学なので、それまでのギター奏者とはかけ離れた、独特のスタイル。おいら、この人が好きで、少人数のマニアックなJAZZもいいし、「才能のムダ遣い」と呼ばれるポピュラー系アルバムも嫌いではない。



代表作のひとつ、フルハウス。カードゲームのフルハウスではなく、「満員御礼」のフルハウスらしい。ウイスキーが似合いそうだ。

ガトー・バルビエリ

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おいらがもっともよく聴いたレコードなんだが、ガトー・バルビエリです。一般的には、ラストタンゴ・イン・パリで知られているんだが、何かエロい映画だとは知っているが、すいません、見てませんw ガトー・バルビエリはアメリカでも活躍したマトモなジャズミュージシャンで、もっとも英語がまったく喋れず、奥さんの通訳に頼っていたというんだが、南米に戻ってからは、ラテン色の濃いアルバムをたくさん出している。元はアルゼンチンの人です。



「ブラジル」というのは有名な曲なんだが、ここでもガトー流のアレンジで聴かせます。この人、基本的にはバックはどーでもいい人で、とにかく後ろでガチャガチャ演っていてくれれば、自分は勝手に吠えまくってキモチイイというタイプw 野太い男性的なサックスだが、その奥に叙情的なテイストが感じられる。



サンタナをゲストに招いてのアルバムです。おいら、サンタナも好きで、全アルバム集めたんだが、この曲はサンタナのアルバムには入ってない。まぁ、どっちも似たような唯我独尊タイプですw



おいらが散々聴いたのは、1970年頃の、Chapter One 、Chapter Twoの、2枚のアルバムです。アメリカ武者修行から帰国したガトーは、アルゼンチンで民族音楽のミュージシャンを集め、そこに乗って演奏しはじめる。折しも日本では大阪万博が開かれ、そこに来日してます。おいらTVで見て、仰天した。フォルクローレのバンドを従えて、朗々と吠えまくるJAZZサックスw 南米人としてのJAZZを模索するガトーの、代表作です。



サンタナのヒット曲「哀愁のヨーロッパ」w 一緒に演奏してますねw それにしてもサックスという楽器は、人によって音色がまったく違って来るのが面白い。おいら的には、ガトーみたいなダーティーなトーンが好きです。

本日のBGM

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今日は3本だけなんだが、どれもフルアルバムなので、ゆっくりお楽しみ下さい。まずはマーティン・デニーなんだが、ハワイに住んでいたジャズ系のミュージシャンで、南国への憧れをかき立てる独特の「エキゾチックサウンド」を作り上げて一世を風靡した。死んだ後も、バンドでヴァイブラフォン叩いていた爺さんが引き継ぎ、よくホテルのロビーで演奏していたそうです。ちなみに、独特の「鳥の鳴き声」を演っていたのも、ヴァイブラフォンの爺さんw



ワルター・ワンダレイです。ブラジルのJAZZオルガニスト。シンセサイザー出現以前のオルガンというのは、R&Bでもよく使われるんだが、なかなか良いものです。今となっては時代を感じさせるが。名曲サマー・サンバは、このワルター・ワンダレイの演奏でヒットし、その後、歌詞が作られた。



この人の歌う「イパネマの娘」が絶品で、カバーでオリジナルを超えるというのは大変なんだが、しかも、世界一ヒットしたとも言われる名曲「イパネマの娘」を、彼女は独特のセンスで唄いあげている。ある意味、オリジナルを超える「気持ちよさ」ですw

ガブリエラ・アンダースはアルゼンチン生まれ。音楽への早熟な関心は、現在彼女の数々のレコーディングにも参加している、ジャズ・サックス奏者の父親が影響しているようだ。ハイスクール卒業後ニューヨークへ移住し、カレッジでオーケストレーションを学びながら、徐々にクラブ出演やレコーディングの仕事を手にしていくようになる。

この人、日本のザ・ピーナッツのカバーでアルバムも出してますw ウナ・セラ・ディ東京w お洒落な、意識高い系ミュージック? もう一曲「スターダスト」


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謎のインド人「コーラ・パンディット」なんだが、インド人になる前はメキシコ人だったという話はよく知られていて、上の写真がその証拠ですw デビューは第二次世界大戦期で、レストランやクラブのラウンドなどで演奏したり、ラジオ出演、米軍兵士のための放送吹き込みなどやっている。それがインド人になったのは、カリフォルニアで白人とヒスパニックが社会的な摩擦を起こして騒がれるようになったからだというんだが、世界大戦が終わったあたりからは、いつの間にかインド人ですw インド人となったこの人、TV放送開始とともに、自分の番組を持って、いちやく大人気となる。初期のTVスターです。



人気が衰えてからは、1970年代にはレストランでの演奏や、スーパーマーケット、自動車販売店など、エレクトーン教師などどこでも演奏を続けて食い繋いでいたらしい。一人オーケストラなので、こういう人はシブトイですw 1994年にはカルト映画「エド・ウッド」に本人役でカメオ出演してます。上のYoutubeはその場面だ。



さて、それではコーラ・パンディットのアルバムです。この人、最盛期はSP時代なので、ヒット曲を寄せ集めた風情のアルバムなんだが、使っているオルガンはごく初期のハモンド製の電子楽器で、シンセサイザーの元祖みたいな機械です。当時はまだ発売されたばかりの新型だった。

ところで、この人の正体なんだが、実は、ごく普通のアフリカ系黒人です。ミズーリ州出身w 父親が牧師で、オルガンはそこで覚えたらしい。おいらの知人のオルガン弾きは神父さんだったな。オルガンというのは、ピアノに似ているけれど、音の出し方はまったく原理的に違う楽器で、持続音が出せるというのが、ピアノにはない特徴です。この人、結局、死ぬまで偽インド人で通したw 実は黒人でした、というのが公表されたのは、死後2年経ってからですw

ミシルル

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「ミシルル」という曲です。19世紀にオスマントルコの版図において流行したらしい。「エジプトから来た娘」というような内容の歌詞があり、今でも広く愛されているんだが、この曲はアメリカでも流行った。このバージョンはエキゾチック・ミュージックの雄、マーチン・デニーです。彼はハワイのミュージシャンで、南国風の独特なサウンドを作った。もっとも動画の方はまったく無関係な、「The Indian Tomb (1959)」という映画の、デブラ・パジェットという女優さん。邦題が「大いなる神秘・情炎の砂漠」だそうでw ハリウッド映画としては究極のエロですw デブラ・パジェットのエロダンスもう一本、行っとく? 「大いなる神秘 王城の掟」のダンスシーンです。



怪しいインド人、コーラ・パンディットです。ひと目で判る偽者インド人w ホントはアフリカ系のごく普通の黒人なんだが、この人、何故かヒスパニックを自称して売り出し、白人とヒスパニックの摩擦が社会問題になると、今度はインド人を自称して売れっ子になったw ご覧のように、オルガンとピアノを自在に操って、一人オーケストラを演奏します。主にエキゾチカ系のサウンド。



サーフィンサウンドです。ビーチボーイズもカバーしているのでよく知られているんだが、こっちが早い。



エロネタに乏しいイスラムなんだが、ベリーダンスだけは別なのか? つうか。イスラム教が出来る前からある踊りなので仕方ないですw まぁ、コレが本家本元のミシルルですね。最近は日本でも、ダイエットに効くというので、ベリーダンスのレッスン受けるお嬢さまがたが多いんだが、本場のベリーダンサーはみんな腹が出ていて、「腹踊り」と呼ばれるくらいなので、ダイエットに効果があるのかは疑問だw それにしても、この腰使いで締りが良かったら、ちんぽ食い千切られそうで怖いですw

ボサノバを作った人

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ブルースとか、アルゼンチンタンゴとか、演歌とか、近代に入ってから生まれた音楽ジャンルというのは、創始者がハッキリしない、伝統音楽と西洋音楽の融合から自然発生的に産まれた物が多いんだが、ボサノバは違う。1950年代末にジョアン・ジルベルトとアントニオ・カルロス・ジョビンの二人によって作られた音楽です。元はといえば、ヒキコモリのマリファナ中毒者だったジョアン・ジルベルトが、サンバのリズムをギター一本で再現しようと、バスルームに篭って延々と苦労していたところから始まる。やっと、ギター一本でサンバのリズムを演奏できるようになったジョアン・ジルベルトは、リオに戻って、アントニオ・カルロス・ジョビンと出会う。その頃、ジョビンは既にレコード会社のディレクターとしても活躍する作曲家だった。既に、舞台「黒いオルフェ」のための曲などを作っていた。この二人の出会いから、ボサノバが始まる。





ボサノヴァをきっかけに、ブラジル音楽を好きになっていろいろ聴いているのですが、いろんなことが不明でした。
お店でかかっている音楽を聴いて、「なんかこれいい♪」と思うと「ブラジル(の音楽)だよ~」ということが何度もあり、
でも、何に魅かれているのかは自分でもよくわからない。

そんな疑問に答えてくれる。
ブラジルのミュージシャンたちが、どんな風に自分たちの音楽をつくりあげているか、どんな歴史を紡いで音を表現しているのか?
音楽の著者が2人書いてあるけど、作詞、作曲って分かれていないのはどうして? 
ボサノヴァコンピレーションには「サンバ」とタイトルがある曲がたくさんあるけどどうして?
ボサノヴァとジャズは同じ分野としてくくられていることが多いけど、関係があるの?

大滝詠一死す

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大滝詠一というと、大ヒットしたのがこの「A面で恋をして」なんだが、今じゃCDなので、A面もB面もない、愛想のない時代です。お亡くなりになったそうで、有能な人ほど早死にする。おいらはせいぜい嫌われながら長生きしたいもんだ。ちなみに、CM曲についても「本気」で取り組んだ人で、それだけ集めたアルバムも出している。この人、アングラ・レコード・クラブからエレック、そしてベルウッドと、日本三大アングラレーベルを転々とした人なので、70年代ではこのアルバムが最も売れたらしいw



 ナイアガラのリマスターシリーズもついにここまで来たかと言う感じです。
 今回もなかなか凝っていて、モノ、ステレオの他、レアリティーズ、デモと盛りだくさんです。往時を知っている人には、涙なしでは聴けない一枚になっています。
 聴いてみて、興味深いのは三ツ矢サイダーのコマーシャルソングでいろいろなバージョンというかテイクがあり、本人も難産だったとのことです。この人にして難産だったとはCMソングとはいえ馬鹿に出来ないものです。その他、歌詞カードなどもこれまでのシリーズ同様復刻されており、やはり涙をそそります。
 焼き直しはいい加減に、との声もあるようで、確かに事情をご存知でない方には、モノ、ステレオと延々同じ曲を聴くのもちょっときついかとも思いますが、私としては、こういう一枚を聴くと、やはり、これからもドンドンやってもらいたい気持ちでいっぱいになります。

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