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トンキンエレジー

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タイトルに「東京」が入る曲は無数にあって、「東京」というタイトルの曲も複数あるようなんだが、これはおいらの好きな曲で、昭和49年というから、「木綿のハンカチーフ」の前の年です。団塊の世代が次々に東京を目指した時代を象徴する曲。この曲、実は刑務所の中でリクエストNo,1になった事があるらしい。なんとなく判るw



桜たまこの「東京娘」です。このビデオも時代を感じさせるが、この人が現役だったのはもっと昔で、これは懐メロ扱いで登場している。援助交際の歌みたいw バックで踊るスクールメイツもまた、味がありますねw 昔の流行歌は下品で猥雑ですw



内山田洋とクールファイブ「東京砂漠」。マンション屋かなんかのCMでずいぶん聞かされたな。ところで、この手の「歌謡コーラスグループ」というのは、基本的に「バンド+ゲスト歌手」という組合せがベースになっていて、なので、歌手でもなければ、目立たない内山田洋の名前が大きく扱われる。



フランク永井と松尾和子といえば、ムード歌謡の大御所です。どちらも素晴らしい名歌手だったが、不幸な死に方をしたな。松尾和子の「再会」は刑務所の中でリクエストNo,1になった名曲なんだが、彼女の息子は覚醒剤で刑務所行き。



それにしても、タイトルに「東京」が入る曲というのは、なんか、泥臭くて田舎臭い曲が多いねw 田舎の人から見た、花の都東京、なんだろう。これも歌謡コーラスグループで、本来はキャバレーやクラブのバンドです。TVに出る時にはバック・ミュージシャンがいて、「邪魔だから音出すな」とイジメられるので、仕方ないので、ワウワウ言ってるw 今ではすっかり廃れてしまったスタイルです。



マヒナスターズは元はハワイアンのバンドだった。ここではクレイジーキャッツが共演してます。珍しく真面目に演ってますw 植木等が意外に、歌がうまいw ウナ・セラ・ディ東京というのは、イタリア語で「東京の一夜」という意味。

暗い日曜日

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最近はとんと聴かれなくなったジャンルの音楽なんだが、昔はこうした馬鹿みたいに暗い歌というのが、結構あったわけです。この曲はまた別格ですがw 水死体の歌w 早川義夫には「サルビアの花」という名曲もある。からっぽの世界は凄い名曲なんだが、なんせ出だしから「僕、オシになっちゃった」なので、TVで聴かれる事は、まず、ない。



山崎ハコです。この曲は滋賀県に伝わる伝承歌だそうで、メロディーはハコが付けたというから、元は語り物だったのだろう。と思ったら、

 「きょうだい心中」は、1979年公開の映画「地獄」(神代辰巳監督)で山崎ハコによる、挿入歌として発表された。この映画の主題曲「心だけ愛して」と併せてシングル版『地獄「心だけ愛して」』として発売されている。「ベスト コレクション」のライナーノーツには、「作詞:不詳(「江州音頭」より)、作曲:山崎ハコ」とある。

ちなみに江州音頭というのは、河内音頭みたいな感じです。デロレン祭文とかの、古い放浪芸の末裔のようです。

ところで話は変わるんだが、山崎ハコというと、このジャケット写真なんだが。
時は流れて (MEG-CD)というアルバムなんだが、デビューして10年後というから1985年になるんだが、この写真を見て、おいら、ギョッとしたわけです。箱根ホテルの屋上テラスだろ、これ。念のため、グーグルマップで確かめたんだが、背景の山の形からして、間違いないです。箱根ホテルというのは、おいらお気に入りの南欧風ホテルで、よく、コーヒーを飲みに行った。泊まった事も何度かある。今は建て替えて新しくなってしまったので、既に見られない景色です。壊してる時においら訪ねて、写真に移っている瓦を一枚、貰って来ました。どっかにしまってあると思うw



浅川マキというのもまた、独特の歌手だった。とにかく、歌うのが全て、こんな感じの暗い唄ばかり。映像が少ないです。以前、特集組んだんだが、すでに全て削除されていて、残っていたのはコレだけだった。



寺山修司が作り上げたお人形w 本人はこういうの好きではなかったようで、その後、ロック歌手になって、この路線から離れて行った。



森田童子もいいよね。アルバム二枚持っていて、擦り切れるほど聞いた。今の音楽界には、こういう暗い歌というのがなくなってしまった。人は誰しも、心に闇を抱えている筈なのに。



歌が暗いだけじゃなくて、存在そのものがなんとも情けないという、あがた森魚。この曲は初期の名作なんだが、アレンジが抜群です。アルゼンチンタンゴ風の伴奏で盛り上げておいて、途中で一気にグループサウンズ風に転換する。ところで、1970年代、伝説の中津川フォークジャンボリーになぎらけんいちが行った時に、まだデビュー前のあがた森魚が道端で自主制作のレコード並べて、泣きながら歌っているのを見て、仰天した、というエピソードがあるw

マティーニ・キングス

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マティーニ・キングスというジャズ系のバンドなんだが、まぁ、アレだ、ラウンジ・ミュージック。ハワイとか、あっち方面で活躍しているのだろうか。ここで演っているのはマーティン・デニーの名曲、クワイエット・ビレッジ。この曲はよくストリップに使われるらしいw ここではエロティカ・バンブーという日本人ダンサーが踊ってます。彼女は「バーレスクの世界大会『ミス・エキゾチックワールド』で優勝したただ一人の日本人」だそうです。足が短くて、胴が太いところがエロいですw



市場の片隅で演ってますw ちなみに、ヴァイブラフォンというのは「打楽器」なので、芸大の打楽器科の卒業生は、普段、太鼓叩いていても、ちゃんとヴァイブラフォンが弾けるらしい。ロックやジャズ系のスタジオミュージシャンは、ほとんどが太鼓しか叩けないが。



オヤジ三人という色気のないバンドなので、意味もなく、色っぽいお姉さんと絡めた映像が多いですねw



ラウンジミュージックというのは、「邪魔にならない」「洗練されている」「ボサノバ好き」といった感じで、BGMとしては最適。ちなみに、マティーニ・キングスのモットーは、「JAZZ, TIKI, LOUNGE & EXOTICA FOR ANY OCCASION」だそうですw

戦争と歌謡曲

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終戦後すぐに流行った唄として有名なのが、「りんごの唄」なんだが、実は元はミュージカル映画で、それも敗戦後10日目にクランクインしたという、何ともドサクサですw この時代、ミュージカル仕立ての映画が多い。映画の主演をやってるのが並木路子です。歌手というより「歌う銀幕スタァ」だったのかね。

「リンゴの唄」吹き込みの際、作曲者の万城目正は度々ダメを出し、「もっと明るく歌うように」と指示した。しかし、この注文は当時の並木には酷で、並木は戦争で父親と次兄、3月10日の東京大空襲で母を亡くしていたため、とてもそんな気分にはなれなかったのである。その事を聞いた万城目は、「君一人が不幸じゃないんだよ」と諭して並木を励まし、あの心躍らせるような明るい歌声が生まれたという[1]。

作詞は天才サトウハチローなんだが、戦争中だったので、検閲で不許可とされていた。それが、敗戦後10日で映画のクランクインまでやってしまうんだから、よほど戦争で欲求不満が溜まっていたんだろうねw ちなみに映画の公開は10月10日。レコードの吹込みの時には、大ヒットを確信した当時の人気歌手、霧島昇が押しかけて、強引にデュエットにしてしまったため、レコードでのオリジナルはデュエットです。



引揚船というと、田端義夫の「かえり船」なんだが、それにはひとつの大きな理由がある。田端義夫というのは戦前から人気歌手で、昭和15年に「別れ船」という大ヒット曲を出している。「別れ船」で日本から外地に赴いた引揚者が、やっと帰国を果たした時に、田端義夫の「かえり船」が彼らを出迎えたのだ。国破れて山河在り、東京は焼け野原となったが、田端義夫だけは変わらなかった。70年間に渡って歌手を続けた、日本の誇るべきブルースマンです。もっとも、彼はデビューするまでに食うや食わずの貧しい少年時代を10年間送っている。片方、目が見えないんだが、子供の頃の栄養失調が原因です。



これも、戦後を代表する曲で、東京ブギウギ。1947年の吹き込み。舞台で既に人気になっていたらしい。そのため、吹き込みの時には米軍関係者が詰めかけ、大声援を送り、笠置シヅ子はノリノリで歌ったというw



美空ひばりのデビューが「河童ブギ」だというのは知られているんだが、実は彼女、笠置シヅ子の物真似が上手だというので出て来た娘で、なので東京ブギウギが得意ナンバーだった。ところが笠置シヅ子は美空ひばりが大嫌いで、東京ブギウギを歌うのを禁じた。それで、河童ブギという曲を作ってデビューしたわけですw これは川田晴久との映画のシーン。川田晴久は「あきれたボーイズ」などの歌謡漫談みたいなのをやっていた人で、美空ひばりの初体験の相手だという説もあるw



上海帰りのリルです。若き日の森繁久彌w 森繁は満州放送のアナウンサーだった。若い頃はオンナ遊びが激しいので知られていて、モテモテだったらしいw



さて、ここで時計の針を大幅に戻して、満州国です。李香蘭というのは、日本が満州に打ち立てた傀儡国の、宣撫工作のために作られた「満州映画」の大スターで、戦争が終わるまではずっと、中国人だと思われていた。日本が負けて、危うく戦犯として処刑されそうになったんだが、両親ともに日本人であり、中国国籍を持ってなかったので、辛うじて殺されずに国外追放で済んだ。川島芳子は、元が清朝皇帝の娘だったので、戦犯として処刑されました。



これは李香蘭こと「山口淑子」の引退記念の映像です。1958年で、「映画界20周年」というから、彼女の満州映画時代はわずか数年ですね。もっとも、彼女は戦後は、香港やアメリカの映画に多数、出演している。ハリウッド名は「シャーリー・ヤマグチ」です。日本初の国際的なスターだと言ってもいいかも知れない。この映像は38歳の時。結婚のために女優を引退した。おいらが知っているのは、そのずっと以降、オバチャンになってからの姿しか知らないが、若い頃はホントに良い女です。

アレサ・フランクリン亡くなる

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アレサ・フランクリンが亡くなったそうで、Twitterではこの動画が貼られまくっているらしい。ちなみにコレでブルース・ブラザーズにゲスト出演した有名ミュージシャンは全員亡くなりました。この当時、アレサ・フランクリンはまだ30代。凄い貫禄ですw ソウルの女王と呼ばれていたので、ネトウヨが勘違いして罵詈雑言浴びせないかと楽しみにしているんだが、今のところそれはないみたいw



ブルース・ブラザーズというのは良く出来た映画で、ブルースのみならず、黒人音楽全般にわたっての愛が満ち溢れている。



ジェームス・ブラウンのお説教シーン。おいらの古い知人のブルースマン(本職はエロ本屋)は最近、こうしたゴスペルの教会に通い詰めてるらしい。ブルースのベースはゴスペルだからね。



この映画で一番カッコよかったのは、このシーンだと思う。ジョン・リー・フッカーです。コードは一つしか知らないらしいw



ミニーザムーチョを踊るキャブ・キャロウェイ。この人古い人で、戦前のモノクロアニメでベティ・ブープと共演している。若い頃の「変な歩き方」は凄いです。マイケル・ジャクソンの原点。

真夏の夜のビリー・ホリデイ

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毎年の恒例なんだが、この時期になるとネットゲリラの読者というか、視聴者が物凄く減って、特に豆州楽市の通販なんか8割くらい減るんだが、そんなわけで、帰省で誰も見てないので、好き勝手やります。まぁ、いつも好き勝手なんだがw というわけで、ビリー・ホリデイ。晩年の映像です。ビリー・ホリデイは麻薬と酒の中毒で、どんどん衰えて行ったんだが、声量も落ち、体力も失われ、死ぬ寸前のこの頃はボロボロです。でも、何故か、そんな頃のレコーディングが素晴らしい。



天才少女、アンジェリーナ・ジョーダン。2年前にネットゲリラでも特集したんだが、今でも相変わらずです。ちょっとだけ、色気も出て来たw



こちらが本家w おいらの38cm業務用SPバックロードホーンで聴くと、アルテックのホーンが素晴らしいサウンドを奏でます。歌詞の一つ一つが染み入って来る。英語のリスニングが上手になったみたいな錯覚w



これぞ「ブルーノート」という、素晴らしいボーカルだ。ブルーノートとは何か? 「調子っぱずれ」という事だ。半音のそのまた半分くらい、ズレた音程。黒人音楽のキモです。伴奏も素晴らしい。JAZZのグルーブ感というのがどういう物か、これを聞けば判ります。



ご存知、アズ・タイム・ゴーズ・バイ。映画カサブランカで有名になったが、元は1931年にブロードウェイ・ミュージカルのために作られた曲だ。映画は1942年に作られてヒットし、ビリー・ホリデイは1944年にレコーディングしている。



最晩年に作られたアルバムです。これはフルアルバムで、全部、聴けます。ひと頃おいらは毎日、これを聴いていた。まぁ、ジックリ聴いて下さい。

サマータイム

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サマータイムが話題というので、サマータイムの特集だ。とはいえ、サマータイム制度とは何の関係もない。1935年に作られたオペラ「ポギーとベス」の中の曲で、黒人の貧しい生活を描いた、ガーシュウィンの代表作です。これが、翌年にはビリー・ホリディによってカバーされ、大ヒットする。その後もJAZZの世界ではコルトレーンも名演奏を残しているし、ジャニス・ジョプリンの歌でも有名だ。



チェット・ベイカーです。ジャズファンの間では「オカマのチェット」と呼ばれていたw 別にオカマというわけではないんだが、歌い方がオカマっぽいw 一時はマイルス・デイヴィスより人気があったんだが、ドラッグに溺れ、生活保護や刑務所まで体験する。アムステルダムのホテルの窓から転落して死亡。



以前に特集を組んで紹介した天才少女です。何度聴いても凄いわw 成長したら普通の女の子になっちゃわないかと心配したんだが、割と最近の動画でも、いい感じです。



安田南は日本では唯一の天才女性JAZZシンガーだった。若くして姿を消し、どこかでひっそりと亡くなっていたらしい。このアルバムはロブロイというジャズクラブで客を入れずに収録されているんだが、まだ現役のヤクザだった時代の安部譲二が経営していた店です。店のクロークには「客が忘れていった猟銃やライフル」が置いてあったらしいw




夏なので、どうせ暑苦しいので、松田聖子の特集やっちまおう。まずはデビュー曲で「裸足の季節」。この曲は元々、松田聖子のために書かれた曲ではなく、資生堂のエクボ洗顔フォーム」のCMソングです。女優をめざしていた松田聖子はオーディションを受けるが、エクボが出来ないので落選w 代わりに、CMソングを担当する事になったというエピソードがある。



デビュー二曲目も、裸足の季節と同じ作曲・作詞のようですね。松田聖子というと夏っぽい歌が多いような気がするんだが、調べてみたらやはりそうで、特にデビューしてからしばらくは、夏の歌が半分くらいを占める。でも、芸能人水泳大会の松田聖子はO脚で、あまり見てくれが良くなかったですw



これも資生堂のCMソング。しかし、この時代、生バンドがキッチリ演奏している前で、生放送で歌うんだから、この当時のアイドルというのは、今とは歌唱力が違う。桁違いです。



この曲から作詞が松本隆になる。松田聖子という人は、元は女優志望だったというだけあって、歌が上手いというだけでなく、「表現力」が優れている。だから、当時は「ぶりっ子」と呼ばれたw 可愛い子ぶってる、という意味ですw そらそうだ、可愛い子のキャラとして歌っているんだからw



作曲は呉田軽穂、つまり荒井由実です。作詞は松本隆。松本隆は、こうした思春期の微妙な少女の心理を描かせたら絶品だね。



それにしてもこの時期、松田聖子の歌は「リゾートの夏」ばかりですw おいらはエロ本屋として油の乗った盛りで、リゾートどころじゃない、日々、撮影と原稿書きと編集に追いまくられていたがw



パンチラで有名w 実は、この曲までの松田聖子は、少しずつ人気が落ちていて、そこで起死回生、パンツを見せて人気浮上を図った。作戦はズバリ当たって、一気に人気回復。松田聖子は不動のアイドルとしての地位を確立したw



作曲が細野晴臣ですね。この時期までの松田聖子の曲はどれも、非常によく作り込まれた傑作ばかりです。日本はまだ若く、元気だった。夏は永遠に続くのだと、みんなが信じていた。そんな時代の象徴です。

梅雨が明けたので夏の歌特集

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さて、梅雨が明けたので夏の歌特集だ。昔のアイドルはちゃんと歌ってたし、エロいし、言うことないですねw 最近のヤツは、売れなきゃ即、デリヘル落ちないしはAV落ちみたいな半端者ばかりで、有難味がないです。



この歌、元歌はフランス製です。フランスのシンガーソングライター、ミッシェル・フュガンの「Une belle histoire」(愛の歴史)。人件費高騰の折、こうしたコーラスグループというのも少なくなりましたw 今のトレンドは素人のバカ娘を集めて、味噌も糞もいっしょくたに売り出して、使い潰すだけ。



ピンクレディのデビューを、おいら、誰より早く見ているんだが、というのも、静岡まつりだったか、ローカルな放送で、「今度デビューする地元出身、ピンクレディのお二人です」というのを目撃したw トンキンのTVより早く、静岡放送でデビューしていたのだw 名前がピンクレディだし、衣裳がアレだし、てっきりエロ狙いだとばかり思っていたんだが、マスコミも予想してなかった、子供に大受けで、大ブレイクする事となるw



この時代のアイドルは、個性があって、味わい深いですねw ショートカットで、ちょっと太目w エロいけど、健康的なので下品ではないw



今はなき亡き川島なお美です。その後ワインで有名になるが、この頃はシャンペンだったw 



南佳孝って、年々歳々、顔がゴツく、怖くなってますねw まぁ、若い頃からイケメンというわけではなかったがw この曲は郷ひろみが「セクシー・ユー」として発売して大ヒットした。



矢沢永吉は特に好きというわけでもないんだが、この曲だけは名曲だと思う。キャロルも良いバンドだったが、結局、矢沢永吉しか残さなかったな。

団塊世代が若かった、これらのヒット曲の時代。それが、日本の「夏」だった。今はさしずめ晩秋か、それとも真冬かw いつかまた春は来るのだろうか。

今年もサマーサンバ

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エレベーター・ミュージックという言葉があるんだが、エレベーターの中で流れているようなイージーリスニング音楽を言います。有名なところで、ブルース・ブラザーズのエレベーターシーン。よく聴いてみたら、それが「イパネマの娘」だと判る。ボサノバというのは、つまり、そういう音楽としてアメリカでは受け止められていた。



という予備知識があると、コレは笑えるw エレベーターボッサ・デュオというコンビですw 曲は、やはりボサノバの名曲で、サマー・サンバ。



サマーサンバはワルター・ワンダレイのこの演奏で大ヒットした。夏らしい爽やかな曲で、おいら、大好きだ。毎年、この季節になるとネットゲリラでもサマーサンバ特集やってるんだが、今年も恒例ですw



女性歌手の定番曲なんだが、おいら的には、ベベウ・ジルベルトが好みです。これはリオでのライブ映像で、だいぶ崩して歌っているんだが、素晴らしい景色ですね。ちなみに彼女はアストラッド・ジルベルトの亭主だったジョアン・ジルベルトが、離婚後に次の妻との間作った娘です。なのでアストラッド・ジルベルトとは赤の他人w こっちのビデオもいいね。それでは皆さま、今年も良い夏を!

サンタナより他に神はなし

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さて、サンタナだ。言うまでもなくラテン・ロックの第一人者。つうか、他にラテン・ロックのミュージシャンて、誰がいたのか覚えがないんだが、ウッドストックでの衝撃的なデビュー以来、半世紀に渡ってスタイルを変えずに続けている。もっとも、ウッドストック以前には、彼のバンドは「サンタナ・ブルースバンド」と名乗っていた。彼のルーツはラテンだけじゃない、ブルースにもある。ジョン・リー・フッカーはブルースブラザーズの映画でお馴染みですねw ワンコードで延々押しまくるスタイルw エッタ・ジェイムズはアメリカの和田アキ子です(違 デビューした頃はカワイイ女の子だったんだが、ここでは既にオバチャンになってるw マックロクロスケの黒人ブルース・ミュージシャンに混じっても、サンタナは何の違和感もないw



12小節のブルースでジャムセッションといったら、ミュージシャン仲間では挨拶みたいなもんで、基本中の基本なんだが、なんとコレはアランフェスから入るというお洒落ですw ところで、サンタナというと「泣きのギター」で売れたわけだが、どのアルバムにも「泣き」の曲というのは一曲しか入ってなくて、ちょっと欲求不満になるわけですw それが、ライブに行くと、サンタナが一人で延々とソロを取るらしいw これでもか、という勢いでw お腹いっぱいになるまで、ソロを聞かせてくれるそうですw 商売人だわw



サンタナの大ヒット曲、「哀愁のヨーロッパ」なんだが、ここではアルゼンチン出身のジャズミュージシャン、ガトー・バルビエリと共演してます。ガトー・バルビエリというのは元はフリージャズ畑の人で、おいらが最初に知ったのは、大阪万博で来日した時だった。TVに出て一曲やったんだが、フォルクローレのバンドを従えてけたたましく鳴り物入りで、一人、気持ちよさそうにダーティートーンのサックスを吹きまくっていた。なんじゃこりゃ! と仰天したんだが、その後、ラストタンゴ・イン・パリで世に出た。サンタナもそうだが、ガトーも自分の出自から来るアイデンティティを濃厚に持った人で、やはり表現者にとって、アイデンティティというのは大事だと思う。



有名なウッドストックでのサンタナです。映像があるのは、このEvil WaysとSoul Sacrificeだけのようだ。ちなみに音だけだったら40分のステージ、フルに残ってます。ウッドストック出演時には、まだアルバムデビュー前。10万人の観客の誰も自分を知らないステージで、22歳のストリートミュージシャンが、この度胸ですw



誰の曲かと思ったら、ジョージ・ハリスンの曲でしたw ビートルズでも一番目立たないメンバーで、要らない子かと思ったら、そうでもないみたいw 洋楽マニアの間では、サンタナというととっくに過去の人扱いなんだが、実は根強いセールスを誇っていて、1999年に出した「スーパーナチュラル」というアルバムはビルボード20世紀歴代チャートで、チャビー・チェッカーの「ザ・ツイスト」に続く第二位です。

しわがれ声の子守唄

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ビリー・ホリディです。マル・ウォルドロンはビリー・ホリディの「最後の伴奏者」と言われていて、この曲はビリー・ホリディに捧げられた。マル・ウォルドロン唯一のヒット曲ですw マルは日本人と結婚したのでよく来日していたんだが、おいらの知人のSM屋さんが面倒見ていた。貧乏で、「自宅にピアノがなかった」そうだ。カシオかなんかの安いキーボードしか持ってなかった。レフト・アローンは名曲です。こういう音数の少ない演奏が、おいらは好きだ。フュージョンみたいな「手数王」で騒々しいのは好きではない。



ビリー・ホリディは、彼女を取り巻く「物語」が凄すぎて、聞く前に身構えてしまうんだが、売春婦の娘として産まれ、みずからも売春婦として社会に出、歌が上手かったので歌手になったものの、一生、人種差別に悩まされ、麻薬と酒に溺れて、男運が悪く、ヒモみたいな男に貢ぎ続け、身体を壊して44歳で亡くなってます。

その死に当って、ビリーが唯一の相続人であるこの前夫(まだ離婚手続きは完了していなかった)に遺したのは1,345ドルであった。しかし僅か6ヵ月後の1959年末には、彼女のレコードの印税は10万ドルに上った。

物語は物語として、とりあえず忘れておいて、虚心坦懐、ただ、彼女の唄に耳を傾けてみよう。晩年は声も出なくなって、若い頃の「技術」みたいなのは失われているのかも知れないが、しわがれ声の子守唄。沁みるねぇ~w



1958年なので、亡くなる前の年です。この頃には既にだいぶ痩せ衰えている。



亡くなった年の収録。衰えていく生命力の中で、最後まで歌い続けたビリー・ホリディ。晩年の彼女には、捨てられるモノは全て捨て去り、ギリギリまで残された歌がコレです、といったような気迫が感じられる。おいら、ビリー・ホリディのベストアルバムは「ラスト・レコーディング」だと思う。

踊る指揮者

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アイナ・レイ・ハットンという美人なんだが、母親がピアノ弾きで、本人は8歳からステージに上り踊り歌っていたという、まぁ、根っからのエンターテイナーだ。黒人の血が混じっているという説もあるらしい。1934年にガールズバンドを結成。ビッグバンドジャズ最盛期の華ですw



踊る指揮者といえばこの人。キャブ・キャロウェイ。こんなんですが、アメリカのビッグバンドジャズ最盛期を代表するバンドです。長生きして、ブルースブラザーズの映画にも良い役で出てますね。



踊る指揮者、日本版ですw スマイリー小原。この人、ナベプロの専属で、日本のバンド界のビッグボスです。最盛期にはこの人の名前を冠した「ジュニアバンド」が7つくらいあって、毎晩、新宿のキャバレー、ナイトクラブを掛け持ちで走りまわっていたらしい。今じゃ、生バンドの入った箱なんか、ほとんど絶滅してしまったが。ザ・ピーナツのステージでも、よく一緒に踊っていたよねw



ペレス・プラードです。言うまでもなく「マンボの王様」だ。この人もよく踊りますw 足は短いけどw 

ところで、指揮者というのは、演奏だけを考えると「要らない」という説がある。クラシックのオーケストラの場合、コンサートマスターが居れば指揮者は要らないそうで、だからツンボのベートーヴェンが指揮を出来たんですね。ステージでは指揮者なしでも同じように演奏は出来るというんだが、ポップスの場合も、バンドリーダーの仕事というのは、「マネージャー」なのだそうで、この手のバンドはマネージャーが付いてない事が多くて、バンドリーダーが雑事を全てこなすのだという。ヤクに溺れて出て来ないペット吹きを叩き起こしに行くとか、ヤクザのオンナに手を出したメンバーの後始末とか、そんなんw 「キャバレーの箱バン(専属バンド)のリーダーというのは、そのキャバレーの『音楽部長』という肩書で仕事をするから、どんな大物歌手でもまっ先にアタマを下げるくらい偉いんだよ」と、箱バンのバンマスやってたオヤジが自慢してたw まぁ、自分が楽器を弾くわけでもない指揮者というのは暇なので、せいぜい踊っていて下さい、という事だ。ところで、その後は指揮者なんていないロックバンドの全盛期になって行くわけだが、初期には「タンバリンマン」というのを抱えたバンドが多かったねw なんで居るのか、よく判んない人w

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どう見てもビッグ・ママ

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ハウンドドッグと言えば、プリスリーの初期代表作なんだが、実は、オリジナルではない。オリジナルはこのオバチャンです。ビッグ・ママ・ソーントン。こりゃ、どう見てもビッグ・ママだわw レコードではラストに犬の吠える声を真似しているw このビデオでは、後半のブルースハープ合戦もお楽しみw おいらより下手なのが一人混じってますw こうした、黒人しか聞かない黒人音楽を、白人の癖してヌケヌケと演ってしまったのが、プレスリー。

あんたは酷い女ったらしの犬だ
いつも鳴きわめいている
口だけの犬以外の何者でもない
鳴き散らしている
そんなんじゃ一生ウサギちゃんを捕まえられない
友達にもなれやしないって



リトル・リチャード。なかなか魅せるステージですねw プレスリーが壊してしまった、白人音楽と黒人音楽の垣根。そこから、白人の知らなかった魅力的な黒人音楽が怒涛のように溢れ出す。



やっぱ、初期のプレスリーはいいよね。狂気を孕んでいるw どこからどう見てもオカシイw 変な歩き方をして見せたりw 基本的にお行儀の良い白人にはこんなキチガイはいなかった。黒人にはいましたw 黒人ミュージシャンはいかにして「目立つか」と、それだけを考えて生きているw



さて、海を渡ったヨーロッパでも、黒人音楽にハマる若者が急増。特にイギリスはブルースが大好きで、昔はジョン・メイオールとか、いたな。その時代から変わらず演っているのがローリング・ストーンズ。ビートルズは進化しようともがいた挙句に、失速して分解した。ローリング・ストーンズは進化しない。半世紀経っても同じ事をやっている。偉いねw

アベシンゾーにSAYONARA

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ナンシー梅木の歌う「SAYONARA」。彼女は戦後、進駐軍の慰問活動の関係から歌手になり、米国に渡ってハリウッドで活躍、1957年、マーロン・ブランド主演の映画「サヨナラ」で、アカデミー助演女優賞を受賞。東洋人俳優としては初めての、アカデミー賞です。日本よりアメリカで有名かも知れない。「サヨナラ」というのはアメリカ人の見たエキゾチック・ジャパンで、今からしたら国辱映画だw 中身は、まぁ、蝶々夫人みたいなもんですw 「ハリウッドはプッチーニを乗り越えられない」という言葉があるねw ちなみにナンシー梅木は「サヨナラ」というタイトルの曲だけでも3曲歌っていて、全部、違う歌ですw



映画もヒットしたし、曲もヒットした。スタンダードナンバーとして、多くの歌手が歌ってます。アメリカでは、「日本と言えば、この曲」という定番なんだが、日本人は誰も知らないですね、こんなのw



桜の咲く季節だというのに去って行く恋人。さて、そこでアンサーソングとして作られたのが、「チョットマッテクダサイ」という曲だ(嘘 この曲はハワイのミュージシャンが歌ってヒットした。この曲も、海外でむしろ有名な日本を歌った名曲です。おいらは映画「サヨナラ」と、こちらの曲を繋げて歌いますw よく合いますw おいらの歌える、唯一の英語の曲ですw



これもSAYONARAという曲なんだが、歌っているのはタイ出身で米国で活躍したソンディ・ソッサイで、カヴァー(1959年)です。元は「ジャパニーズ・フェアウェル・ソング」というタイトルだったが、映画「サヨナラ」のヒットにあやかろうと、ムリヤリ変えたらしいw 作曲者は「Hasegawa-Yoshida」という偽名。おそらく、作詞のフレディ・モーガンではないか?と言われている。彼はスパイク・ジョーンズとよく共演していたバンジョー弾きで、作曲も達者。「五匹のこぶたとチャールストン」を作った人です。

以上、「サヨナラ」と呼ばれる曲について、なんだが、アメリカ人の見る東洋というのは、タイも日本もごっちゃだし、銅鑼が鳴って、チャカチャカチャーンみたいな、そんなカンジダw 

テケテケに死す

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小学校6年生の時のおいらは、講堂の掃除を命じられて、箒抱えて、ベンチャーズの真似をしていた小僧だった。クラスメートの話題は、「ベンチャーズとビートルズ、どっちがギター上手か?」という、実に、哲学的な命題でしたw ジャズのフルバンドの中でリズムを担当していたギターが、音量が小さいという欠陥を補うために電気化され、それが普及したのが、ベンチャーズ登場のちょっと前なんだが、やがて、音が大きくなったギターだけでバンドを組んでみよう、と、思いついた人がいて、これが、時代を変える事となる。これは1966年の来日。おいらが講堂の舞台に乗って、「テケテケ」と叫んでいた頃ですw



全米メジャーデビューで大ヒットとなった、「急がば廻れ」。どーでもいいけど、この変なチアガールがいいねw



昔、マカロニ・ウエスタンというのがあった。イタリア人の映画監督が作る西部劇です。ハリウッド製の西部劇より、生臭くて迫力があった。ベンチャーズはそんなのまでカバーしてますw ちなみに映画のサントラ盤はこちら。



ベンチャーズというのは腰の軽いバンドで、一回目の来日は「ギャラが足りなかった」という理由で、二人だけで来日してますw 日本側でドラムとベースを用意したんだが、ベースがなんと、ウッドベースw ステージはメタメタだったらしいw それに懲りずに、二回目も来てくれたので、日本にエレキブームが巻き起こった。割と最近だが、修善寺公民館で、「ビール付き3000円」「という公演をやっていて、驚いたw



ラテンの名曲です。「パーフィディア」。1939年の曲なので、スタンダード・ナンバーだな。ザビア・クガート版グレン・ミラー版。こうしてみると、ベンチャーズというのは正当な西洋音楽の路線上に位置するきわめてまっとうなポピュラー音楽だというのが理解できる。アメリカ音楽なのに、「黒く」ない。おいらの経験では、ベンチャーズが好きなギター小僧というのは、ブルースや黒人音楽を理解できない、シロンボ頭ですw ビートルズは、比較すると、「ちょっと黒い」。ローリング・ストーンズは、「かなり黒い」w ペイントイットブラックw



さて、ノーキー・エドワーズが亡くなったというんだが、彼はベンチャーズのリードギターとして知られているんだが、最初はベース担当だった。82歳です。ご冥福をお祈りします。これでベンチャーズの生き残りは一人だけになってしまったが、なに、二代目メンバーがいるので、グレン・ミラー楽団みたいに、永遠に続くだろう。いや、続いてほしいもんだ。

お下劣尻踊り

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お下劣尻踊り、という話なんだが、レゲエというのは宗教的な音楽であって、思想とか、そういう裏付けがあるわけです。まぁ、葉っぱ吸ってハッピー、みたいな、その程度の思想だが。ところが、レゲエが世界的なブームとなって、ミュージシャンがどんどんジャマイカから出て行ってしまうと、残されたジャマイカの民衆は、自分たちの新たな音楽を求める。そんな中から出てきたのがダンスホール・レゲエというジャンルで、ミュージシャンがいないので、リズムはみんな打ち込み、歌手がいないのでDJが叫ぶという、そういうジャンルです。その分、オンナたちが尻を振ってオモテナシw どこからどう見てもメジャーになり得ないお下劣さが素晴らしいw まぁ、マニアに能書き垂れさせると一日中でも喋っているので、そんな感じでお願いしますw Wikipediaの関連項目を1時間くらい読み込んだが、出て来るミュージシャンの名前を誰一人知らないんだから、話にならないw



ルーツ・レゲエと比べると、テンポが速い。どうせ機械なので、いくらでも速くできる。ツマミ一つだ。タイでも、モーラムからテンポの速いラムシンが誕生した。ラムシンのシンは、「レーシング」のシンです。下品さもラムシンと良い勝負で、歌詞は下ネタ満載なんだが、あいにくとパトワ語なので日本人には判りませんw



パトワ語というのは、いわゆるヒジン・イングリッシュです。植民地の土人が使う、訛りの強い英語。しかし、若い娘のレゲエダンスはいいねw 



それでは、黒人娘の尻を存分に堪能してくだされw



日本人のダンサーもいますw



しかし、黒人て、中年過ぎての太り具合が凄いね。バンコクでもずいぶんアフリカ黒人のオバチャン見たが、ほぼ全員、100kgオーバーだ。そのでっかいケツを向けられて誘われても、怖いだけなんすがw




芸能生活70年というので驚くんだが、この人、3歳で浪曲師としてデビューしている。父親がそもそも浪曲師です。岸壁の母は戦後、菊池章子が歌ってヒットさせた曲なんだが、それを「歌謡浪曲」としてアレンジし、カバー。大ヒットになった。二葉百合子は芸が衰える前に引退したので立派です。基本が「浪曲師」なので、紅白歌合戦には一度しか出場してない。本来なら大トリ飾るべき存在です。



三波春夫も、元は少年浪曲師だった。戦後、シベリアに抑留され、浪曲「レーニン伝」とか作って、ソ連兵に媚びて生き延び、帰国したw 俵星玄蕃は講談師が作った架空のキャラクターです。

浪曲というのは、大正時代から昭和、特に戦前にかけて庶民に受けた芸能で、戦後、あまり流行らなくなって、二葉百合子や三波春夫といった若手が次々に「歌謡曲」に転身する。客をストーリーに引きずり込み、情緒的な共感を押し売りする「技術」というのは物凄い世界で、GHQはそれを恐れて、時代劇そのものや、仇討ち物などが規制され、廃れてしまった。庶民というのは、理屈では動かない。情緒で動く。サヨクが駄目なのは、庶民を理屈で動かそうとするからだ。

ソングライター荒井由実

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荒井由実は、当初、「ソングライター」としてデビューした。タイガースの一員だった加橋かつみのために作曲した「愛は突然に」(作詞は加橋かつみ)がデビュー作だそうです。レコーディングではピアノも弾いてます。この時、荒井由実、17歳。天才少女だw 曲を作ったのは14歳の時だそうです。ところで、この時代、芸能界はアイドルブームで、「カワイイ」女の子でないとなかなか表舞台に出られなかった。荒井由実の作る歌は素晴らしかったが、本人が、あの、ちょっと、アレなので、まぁ、思い切って言ってしまえば「厚化粧で派手なオバサン」っぽいブスだったので、まずは、このハイファイセットのカバーからヒットする。ハイファイセットというのは、フォークグループ「赤い鳥」から出た山本潤子を中心としたコーラスグループで、ニューミュージックを代表する存在です。都会的で洒落たセンスで、1975年のアルバム「卒業写真」から売れるようになった。荒井由実は、「ハイファイセットのヒット曲をたくさん書いた人」として、まずは有名になる。



「まちぶせ」は、1976年に三木聖子が歌ったんだが、あまりヒットしなかった。石川ひとみがカバーして、こちらがヒット。イマドキだったらストーカーですw しかも、それが「厚化粧でオバサンっぽいブス」だったら、もう、絶望的w なので、プロのレコード会社は、ひらひらドレスのアイドル少女に歌わせたw ちなみに三木聖子バージョンの方が、女の業みたいなのを感じさせて、「怖い」ですw



原田知世です。この人も、あまり変わらないまま、年を取ってますね。これも松任谷由実の作った曲です。



松田聖子の「秘密の花園」です。途中でパンチラが入るので、有名w これも、作曲が松任谷由実です。



若き日の薬師丸ひろ子です。カワイイね。これも松任谷由実の曲。薬師丸ひろ子とか原田知世とか、育ちの良さを感じさせて、そのまま年取って行くところが好感が持てる。育ちの悪いオンナは、年老いてからの劣化が酷いw で、話は荒井由実に戻る。女子大生時代の映像を見ると、「厚化粧で派手なオバサンっぽいブス」なんだが、今ではそれがそのまま「厚化粧で派手なオバサン」に成長しているわけで、アレはアレで「正解」だったんだな、と納得せざるを得ないw 

荒井由実

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この歌に登場する「山手のドルフィン」というのは実在するレストランで、絵物語作家の山川惣治が経営していた。山川惣治というのは、手塚治虫と並んで、現代日本の漫画・劇画のルーツです。店は横浜の根岸にある。山手から散歩して訪れた事があるんだが、おいらが行った頃にはまだちゃんと海が見えていて、歌の通りの景色が展開されていて、感動しましたw 山川惣治は手形詐欺に遭って全財産を失い、店も奪われるが、その後、角川春樹によって救われる。八王子の荒井由実が、なんで根岸の喫茶店に通っていたのかというと、「年上のボーイフレンドが、この近くの外国人収容所に収監されていた」というんだが、実は今でも三代目のオーナーが店を経営していて、ユーミン・ファンの聖地になってますw マンションが建ったりして、景色はすっかり変貌したが。

戦争と音楽

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戦争と音楽。まずは有名どころでリリー・マルレーン。これはオリジナルのララ・アンデルセンの歌唱です。第二次大戦中にドイツから人気が出たんだが、やがて敵味方を越えて歌われるようになり、連合軍側ではマレーネ・ディートリッヒが歌う。デートリッヒはヒトラーがご執心で、ナチスの広告塔になるように命令したんだが、拒否、アメリカ市民権を取得する。そのため、彼女は戦後も長く、ドイツ人から「売国奴」と罵られ、嫌われていた。



ヒトラーがご執心といえば、このポーラ・ネグリもそうですw 世紀の二枚目と呼ばれたルドルフ・ヴァレンチノが死んだ時に、「ワタシが婚約者」と自称して、大げさに何度も葬式で失神して見せたりして、売名行為だと笑われた女優だが、ドイツで撮った映画の、この「夜のタンゴ」という曲がヒットして、ヒトラーがプロパガンダ映画に出演を依頼。それを嫌ってフランスに移住しているw



さて、ヒトラーの愛人ばかりやっていてもしょうがないので、ここで「サセパリ」だw 演奏はドイツの貴族、ゲッツィが率いるヴァルナヴァス・フォン・ゲッツィ楽団。第二次大戦前の、楽しいパリの映像です。ミスタンゲットがプライベートの映像で登場してます。ベル・エポックというのは第一次世界大戦前の時代を指すんだが、この時代はレザネフォル、狂乱の時代と呼びます。



つうか、サセパリはミスタンゲットの持ち歌だ。第二次大戦では、占領下のパリで歌っていたためにドイツ軍の協力者だと疑われた。もっとも70歳過ぎていたので、さすがにヒトラーの愛人とは言われなかったw 戦後、76歳で舞台出演するが、

このとき、76歳のミスタンゲットを心配した興行主が「このレヴューには新人を仕込むシーンがあって、大階段を下りなければならないが、どんなものだろう」と相談したところ、ミスタンゲットは「私の相手をしてくれるその年寄り役はだれ?」と聞き返したという。舞台では、12分間つづくダンスを最後まで踊りとおした。

デビューは19世紀です。第一次世界大戦の前の、本物のベル・エポック時代からレヴューに出続けた女優です。



さて、最後に。グレン・ミラーのラジオ放送エアチェック盤なんだが、ラストが、これから軍隊に入って慰問の公演にまわる事、なので放送はオシマイです、というご挨拶です。そして、ムーンライトセレナーデを、いつもよりずっとスローテンポで。この後。グレン・ミラーは飛行機が落ちて戦死する。ムーンライトセレナーデは名曲だが、この、スローテンポのムーンライトセレナーデは、涙なくして聴けない。戦争は誰もシアワセにしない。

小さな喫茶店

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「ティーフォーツー」をやったんで、今度は「小さな喫茶店」だ。アルフレッド・ハウゼ楽団です。ヨーロッパには「コンチネンタル・タンゴ」の系譜というのがありまして、今でも社交ダンスとか競技ダンスの世界ではタンゴというと、コンチネンタル・タンゴです。アルゼンチンタンゴとどう違うのか? アルゼンチンで産まれたタンゴは、戦前、ヨーロッパに渡って公演をやって大人気になった。そんな中、タンゴをヨーロッパ風にアレンジして、洗練されたのがコンチネンタル・タンゴで、代表的な楽団として貴族だったバルナバスフォンゲッツィの楽団とか、あったんだが、戦後、それを受け継ぐ形でやっていたのが、このアルフレッド・ハウゼ楽団とマランド楽団だ。もっとも、ハウゼは元々タンゴバンドではなく、タンゴ以外もずいぶんやっている。



どっかのお婆ちゃんが複雑怪奇なアコーディオンを見事に弾きこなしています。バンドネオンともまた、ちょっと違うみたい。



あがた森魚。デビュー・アルバムに収録されている。デビュー・アルバムには、戦前の歌謡曲が取り上げられていて、それも、あまり有名じゃない曲なのが凄いです。蒲田行進曲もリバイバルさせたのはあがた森魚だ。



日本では、戦前にヒットしました。これは中野忠晴。彼は戦前の大歌手なんだが、コロムビア・ナカノ・リズムボーイズというコーラスグループのリーダーでもある。「 タイガー・ラッグ 日本のジャズコーラスの嚆矢。ところが戦後はいっさい歌は歌わず、作曲家に転身した。三橋美智也の「達者でナ」若原一郎の「おーい中村君」など、歌謡曲でのヒットも多い。ひとつ気になったのは、上記Youtubeのコメントなんだが、

僕の卒業した世田谷区立奥沢中学の音楽教師が中野忠晴先生だった。ジャズが大好きで戦前は官憲に随分いじめられたらしい。音楽レベルは極めて高い内容で、中学でもう、コールユーブンゲンを教えてくれていた。作曲法も初歩を教えてくれた。それで奥中は、芸大や桐朋に進む生徒は多かった。

中野忠晴の戦後の消息というのは、「作曲家としてビクター専属になり、ヒット曲も書いている」という事しか出てこないんだが、中学で音楽を教えていたとしたら、おいらの知らなかった新事実です。中野忠晴は父親が教会の牧師でオルガン弾きだったし、本人も武蔵野音楽学校を出ているので、音楽教師をやっていても不思議ではないんだが。

Tea for Two

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ティーフォーツーです。「二人でお茶を」。ドリス・デイの1950年の映画で大ヒットしたので、戦後のヒット曲として知られているんだが、元はミュージカルナンバーで、1925年にヒットした。よく出来た曲で、JAZZの人が好む。名演奏が多いんだが、クラシックでもショスタコーヴィチが編曲してますw



ジャンゴ・ラインハルトとステファングラッペリの黄金コンビ。ジャンゴ・ラインハルトというのはジプシーのギター弾きで、指に障害があって、小指と薬指が動かなかった。なので、独特の奏法を生み出した。楽典の素養もなかったらしくて、デューク・エリントンと共演した時、「キーは何にする?」と聞かれて、「キーなんてない」と答えたそうだw ジャンゴは43歳で死んでいる。早死にだよね。惜しいです。



ナット・キング・コールです。この人、ベルベットボイスの不世出なシンガーとして名を残したが、元はジャズピアニスト。ピアノも達者だ。男のジャズボーカリストには、元は演奏者という人も多い。



ショスタコーヴィチの編曲によるティーフォーツー。1927年作。ところで共産圏では「著作権」という概念がないので、この曲もショスタコーヴィチの作品という事になっているw 共産圏では全ての芸術は共産党に奉仕するための存在なので、個人の所有物ではないのだw ちなみにティーフォーツーを聞いたショスタコーヴィチは45分でこのオーケストレーションを済ませたそうだw



「父親の思い出とともにムッシュが歌う」というんだが、ムッシュの父親、ティーブ釜萢 は1930年代まではアメリカで過ごした日系二世で、ほとんど日本語は喋れなかった。1925年にヒットしたオリジナルのティーフォーツーを知っている世代です。シンガーだが、ピアノも弾いたらしい。つうか、楽器は何でもこなせたらしい。上海でバンスキングやったり、東京ローズのバックバンドやったりしていたらしい。スパイダースの名付け親でもある。戦後はJAZZ学校を作り、ミッキー・カーチス、平尾昌晃、弘田三枝子、ペギー葉山、日野皓正などを育てるが、生涯、日本語はほとんどしゃべれなかったw

on the street

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「スタンド・バイ・ミー」は名曲で、路上ミュージシャンがよくやるんだが、GかCのブルースハープがあると合わせられる。こちらはウイリー君が白滝公園の路上でやったヤツ。おいらがブルースハープで入ってます。



シンガポールの路上にて。なんか、日本人みたいなので調べたら、「日本を代表するハンドパン奏者ユキさん」だそうです。ジュエリー制作とストリートライブをしながら世界中をまわっているそうです。



路上ライブ系で意外に多いのがドラムソロ。路上ライブは警察との追いかけっこになってしまうケースが多いんだが、コレだったらドラム捨てて、すぐに逃げられるw



ブエノスアイレスの路上ダンサー。ひと頃、「タンゴ・アルゼンチーノ」でブロードウェイまで進出。娼婦と伊達男のエロダンスが世界を席巻した。日本でも公演やったんだが、この伊達男たち、楽屋ではカード博打ばかりやっていたそうですw



オマケ。もう10年も前だ。

上海特集

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さて、今日は上海特集だ。上海は1949年までは外国資本が投下された国際都市で、日本租界とか外国人租界とかあって、中国でも治外法権みたいな土地だった。かまやつひろしの父親は、その上海のジャズバンドで演奏していて、戦後もしばらくは帰れなかったらしい。よちよち歩きのかまやつひろしは、上海でタップダンスの真似をして、観客を沸かせていたというんだが、そのかまやつも死んじゃいましたね。



上海リルというのは戦前の歌謡曲として有名なんだが、実は1933年のアメリカ映画で、ジェイムズ・キャグニーが歌ってますw 日本では川畑文子がヒットさせた。川畑文子というのは日系三世で、まずはアメリカで売れた。13歳で天才ダンサーと呼ばれ、あまりに売れたので草臥れて、日本には休養のつもりで来たんだが、横浜港にコロンビア・レコードが待ち構えていて、アメリカの契約を残したまま、日本でもデビューしたのが、17歳w アクロバチックなダンスとジャズを上手に歌うというので大人気だった。戦後はアメリカに帰って引退してしまったので、知る人は少ないんだが、上海バンスキングの吉田日出子の元ネタになった人です。



戦後の1951年に、上海リルのアンサーソングとして作られ、大ヒットしたのが、この「上海帰りのリル」。1951年というと、上海に中共が入って外国資本を追い出した翌々年だし、日本にも上海帰りがたくさんいたので、割とリアルな雰囲気の歌だったんだろう。



そして幾星霜。1978年になって上海が改革開放で、外国資本が入るようになる。1949年から、30年が経過していた。その間、毛沢東の大躍進やら紅衛兵やら、激動の時代があったんだが、30年ぶりに上海に戻ったビジネスマンが驚いたのは、和平飯店のジャズバンドが健在だった、という事だ。和平飯店というのは、昔のサッスーンハウスです。1920年代に上海経済を支配したサッスーン家の根城。1949年までは、このビルにサッスーン家の会社であったキャセイホテルが入居しており、上海ではもっとも名門のホテルだった。おいら、1978年になって改革開放された当時の、このジャズバンドの音源を持っているんだが、あまりのヘタクソさに涙が出て来るw 1949年までは、日本を含め、世界中から腕っこきのジャズマンが集まって競っていた上海で、化石のように生き残った爺さまたちは、もうね、元からヘタだったんだろうが、年取ってヨレヨレで、それでも懸命に「ジャズらしき物」を演奏しているのが、世界中で評判になった。



その後も、和平飯店の爺さまたちは、世代交代しながらも、あのヘタクソさは変わらず、いい雰囲気で上海名物になってますw

アンジェリーナ・ジョーダン

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おいらの持論なんだが、「歌の上手いヤツは生まれた時から上手い」というんだが、裸足の美少女ジャズシンガー、アンジェリーナ・ジョーダンです。彼女は裸足で歌うのがスタイルなんだが、それには理由がある。

6歳のときイランにいた際、道端で働く孤児の幼い女の子に出会ったアンジェリーナちゃん。「とっても素敵なお靴ね」と女の子から言われると、「ありがとう。欲しい?」とアンジェリーナちゃんは自らの靴をその場でプレゼント。そして女の子の夢を尋ねると、「お医者さんになりたい...、でも私はなれないわ」。
アンジェリーナちゃんの靴をもらった女の子は、アンジェリーナちゃんの夢が叶うよう毎日お祈りを捧げることを告げたといいます。そして7歳になり出場したゴット・タレント。アンジェリーナちゃんは裸足でステージに上り、その歌声を世界中に響かせます。

オーディション番組で、裸足でステージにあがり、ビリー・ホリディの唄をやって審査員を泣かせてデビューしたのは、7歳の時です。



選曲がまた渋いわw きっとオヤジがコテコテのジャズ、ブルースの愛好家なんだろう。こういうの聴いてしまうと、もうね、歌なんて、練習するだけ無駄だと判るw



まだ歯が生え揃ってないですw でも、目を瞑って聴いていると、ビリー・ホリディみたいw やっぱ、泣いちゃうよね、こんなの聞かされたらw 子供なのに上手い、とか、そういうレベルじゃない。



ちなみにノルウェーの女の子です。3歳からジャズボーカルのレッスンを受けていたというから、両親がジャズ好きなんだろう。



問題の、オーディション番組。売春婦アガリの麻薬中毒、死にかけビリー・ホリディの魂が、今、蘇る。ちょっとたどたどしさも残る。この頃と比べると、最近はもっと上手くなってます。それにしても、なんで7歳の無垢な少女が、こんなの歌えるのかw

ムーンライト・セレナーデ

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グレン・ミラーの「ムーンライト・セレナーデ」といえば、知らぬ人のない名曲で、楽団のテーマ曲でもあるんだが、ラジオ放送のエアチェックで残された演奏では、通常の半分くらいのテンポで演っているバージョンがある。おいら、グレン・ミラーのエアチェック盤を持っているんだが、その解説によれば、グレン・ミラーが出征する時に、ラジオの視聴者に最後のお別れとして演奏した時の録音だそうです。米軍に参加したグレン・ミラーはその後、楽団を率いて、前線を慰問してまわり、乗っていた飛行機が行方不明になって、戦死した。アメリカ人にとって、グレン・ミラーというのは、特別な存在です。英雄です。でもね、そんな英雄なんて、生まれない方がいい。そんなエピソードを知ってしまったら、あの異常に遅いテンポのムーンライト・セレナーデ、涙なくして聴けません。



フランク・シナトラです。映像は関係ないんだが、まぁ、合ってるからいいかw



なんかよく判んないんだが、フランス語のバージョンです。映像は1900年代のポストカード。おいら、この手のポストカードを数万枚持っておりまして、本も出した事があるんだが、第一次世界大戦の出征兵士と家族とのハガキのやりとりとか、オトコからオンナにあてての猛烈なラブレターとか、100年前のプライバシー覗き見というのも、なかなか楽しい。やっぱり平和が一番だ。



ラウラ・フィジィという歌手です。この人、母親がベリーダンスの踊り手だったそうで、父親はオランダ人。英語・仏語・スペイン語・ポルトガル語・中国語で歌う人です。




アイドルについて。かつてのアイドルは、よく見るとブスだよねw 薬師丸ひろ子だって、今のアイドルグループの一員だったらパッとしないかも知れない。けれど、あれだけ世の中で存在感を示し、魅力的だった。何故なのか? アイドルが使い捨ての乱造でなかった時代。一人の少女に、業界を挙げてカネと思い入れを注ぎ込んで育てた。男たちの思い入れが、少女をアイドルに変えた。そんな時代。



これもまた、微妙なアイドルw 薬師丸ひろ子も原田知世も、女優ではあるが、歌手ではない。凄く美人かというと、そうでもない。歌が上手かというと、そうでもない。そんな素人臭い娘を、何十億もかけて育てる。角川春樹は凄かったw もう二度と、ああいう人物は出て来ない。



角川映画というと、途方もない額の広告費を注ぎ込んで、力技で映画をヒットさせるという、角川方式だ。まぁ、原作の文庫本も売れるので、トータルで元が取れりゃいいという強引な商売で、ワンマン経営の最たるモノだ。あの当時の角川はカネ持っていて、自社周辺の土地の地上げまでやっていたw 角川春樹はあんな人間だが、意外に音楽的なセンスは良くて、ジョー山中の起用とか、凄いよね。業界的には知られていても、一般にはほぼ無名。マイナーなミュージシャンです。結局、この曲がジョー山中の代表作になった。



薬師丸ひろ子のデビュー作。まだ小学生です。ロリコンにも程があるw 主題歌はズーニーブーで白いサンゴ礁を歌っていた町田義人。ズーニーブーはグループサウンズだが、本来はR&B系。これまた渋い歌い手を連れて来たもんだw



スローなブギにしてくれです。南佳孝。彼は、はっぴーえんどとティン・パン・アレイとかムーンライダースとか、そっち系の、当時としてもマイナーなミュージシャン系で、こういう人を連れて来て、大作映画の看板を任せるという、角川春樹の豪胆さが素晴らしい。角川映画では、名前の売れた大物俳優が脇役というケースも多く、懐かしいですw やっぱり、映画作りでは「カネ持ってるキチガイ」が一番強いわw



さて、アイドルです。こういう人も、当時はアイドル枠だった。火曜サスペンス劇場のエンディングテーマでお馴染みです。昔のアイドルで売れた人というのは、突出したモノを持ってますね。

暴走ドラム

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ドラムの暴走、という映像なんだが、昔からドラムが暴走するギャグというのはたくさんあって、まずはクレイジーキャッツ。デビューしたてのタモリとの共演です。タモリは早稲田のジャズ研で司会者をやっていたので、プロのミュージシャンと遊びで共演するくらいの腕は持っている。クレイジーキャッツは、元はマトモな音楽バンドです。



ビートルズの前座でやったドリフターズ。演奏しながらコントw ドリフターズはクレイジーキャッツの後釜に座ったんだが、同じナベプロで、やはり元はマトモなバンドマンたち。昔の喜劇人は、何かしら「芸」を持っていた。



嵐を呼ぶ男。喧嘩で手を潰されたドラマーが、ドラム合戦で仕方なく、マイクを握って歌うw あの中学生も、スティック奪われて手で叩いたところまでは良かったが、次はマイクを奪って歌うべきだったw 殴られてオシマイでは、ドリフですw



昔は「ドラム合戦」というのがありましてw 要するにツインドラムなんだが、ドラムは花形楽器で、白木秀雄というのは1960年代ジャズのスターです。晩年は睡眠薬に溺れ、孤独死した。



フランキー堺というのも、今では「俳優」として記憶に残っている人だが、元はドラマーです。歌手江利チエミがなかなか来ないので、ドラムソロで場を繋いでいる、という映画のシーン。ドラムというのは普段は裏方で目立たないが、実はスターなんですw 

夏になると聴きたくなる

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夏になると聞きたくなる、マーチン・デニーです。ハワイ在住のJAZZ系ミュージシャンで、通称「エキゾチカサウンズ」と呼ばれる独特の音楽を作った。1956年のフイルムから、代表曲の「クワイエットビレッジ」。この人の音楽の特徴は、「南国風のサウンドだが、いわゆるハワイアン音楽ではない」という事。本人はピアノ弾きで、あとはバイブラフォン。第二次大戦中は空軍兵士で、欧州戦線で戦っていたというんだが、長生きして、亡くなったのは2005年です。



この人、コンピューター・ミュージックの先駆けとしても知られていて、YMOにも影響を与えたと言われている。モーグのシンセサイザーを使ったアルバムから。



エキゾチカサウンズといえば、代表的なナンバー、ミザルー。映像はまったく関係ないんだが、ハリウッドのB級映画から。この映像は大好きだw



チョットマッテクダサイ、という曲は、ハワイ発で世界的に大ヒットした流行歌です。80歳になってのアルバムから。マーチン・デニーのアルバムはYoutubeにフルアルバムでたくさん置いてあるので、ぜひ、BGMにしてやって下さいw

嗚呼...しみるねぇ

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うき世舞台の花道は表もあれば裏もある 花と咲く身に歌あれば 咲かぬ花にも唄ひとつ、嗚呼...しみるねぇ...



演歌の花道です。来宮良子のナレーションで有名なんだが、彼女は82歳で亡くなったので、あの名調子はもう、聞けません。東京12チャンネルが総力を挙げて作っていた番組で、おいらも毎週、見ていた。今では年に一度、スペシャルでやってますね。単なる歌番組ではなく、セットを組んで、PV風の造りです。この、わざとらしいところがタマランw 今でも通用するコンセプトだと思うので、ぜひ、復活させて。



気が狂って、ビルから飛び降りて死んでしまった藤圭子です。宇多田ヒカルがブレイクするまでは、藤圭子の亭主はずいぶん苦労した。藤圭子と亭主が二人でユニット組んで、TVに出ていたのをおいら、見てます。



これまた不幸な変死を遂げたテレサ・テン。おいら、テレサが変死したホテルを旅の定宿にしていて、テレサの幽霊に犯されそうになった事があるw 「年増は苦手なんだ、勘弁して」と、必死でうなされていたw あの時に逃げなかったら、今頃ここにいないw



ところでこの番組は大正製薬の一社提供だったんだが、社長が演歌好きで、番組で使った曲のカラオケを用意するのが、TV局の仕事だったそうだw



復活してからの森昌子はなんかパッとしないが、シアワセな主婦生活を送って、立派な息子を育て上げてからの復活なので、どうも演歌らしくないw やっぱ、行かず後家とか、次々に亭主が変死するとか、不幸の似合うオンナでないとw と、無責任な感想ですw

後ろでウワウワ言ってろ

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ムード歌謡の世界だ。最近、復活の兆しもあるようなんだが、かつての「ムード歌謡」というのは、「歌謡コーラスグループ」というのがあって初めて、成り立っていた。歌謡コーラスグループというのもまた、独特の存在なんだが、基本は「キャバレーやナイトクラブの箱バン」です。昔は日本中、各地の盛り場で、ナマの演奏を聴かせるバンドがいた。それが適当な歌手を連れてきて、たまたまオリジナルの曲を吹き込んでヒットしたりすると、TVにも出るようになる。いつもは自分たちで演奏しているんだが、TVの歌謡番組にはあの時代、オーケストラが入るので、演奏は邪魔w 歌手以外は邪魔にならないように、後ろでウワウワなんか呻いてろ、というスタイルになるw これはシルビアという女性歌手をフューチャーしているんだが、シルビアはその後、ロス・インディオスを離れて独立。なので、Youtubeの映像でもシルビアが出てないモノが多い。



歌謡コーラスグループの全盛期、このヒトは一人で歌います。名曲ですw なんだよ、夜の銀狐ってw キツネだから人を騙すんだろうが、夜の銀狐と呼ぶと、ちょっとカッコイイw おいらは歌が上手いので、こういう歌を、逝かず後家の40女の目を見つめながら対面で吹き込んで泣かせるくらいの技はありますw



宗右衛門町ブルースを探していたら、なんせ古い曲なので歌手がヨレヨレで、聞くに耐えなかったので、憂歌団の木村くんのバージョンでw



典型的な歌謡コーラスグループのスタイル。コーラスやってる連中全員、本来はミュージシャンです。TVではフルバンドがいるので、邪魔w ウワウワ言ってろ、というスタイル。元々、クールファイブというのは長崎のキャバレー『銀馬車』の専属バンドで、競合店の専属バンドだったコロラティーノが思案橋ブルースで世に出たので、クールファイブは当時佐世保のナイトクラブで頭角を現していた前川清を引き抜いて、専属歌手とした。当時のキャバレーは専属バンドを抱えていて、ゲストのバンドと交互に演奏していた。日本中、夜の街にはナマの歌が溢れていた。



ハッピーアンドブルーという歌謡コーラスグループのボーカルだった、森本英世。TVで演る限りでは、敏というとハッピーアンドブルーは要らないですねw ノリの良い曲なので、この曲をオカマバーで歌うと、合いの手が大変な事になるw まぁ、今は人件費の高い時代なので、生演奏聞きながら酒を飲むなんて店は、ほぼ絶滅ですw

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世界のベリーダンス

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ベリーダンスを鑑賞するのが楽しくて、気がつくと何時間もYoutube見ているんだが、残念なのは、オバチャンが多いという事。コレはまだ若くてマシだが。どうも、人種が違うと、体型もこれだけ違うのかw これはエジプトですね。エジプトは世俗的な国なので、観光客にベリーダンスを見せる店なんかも多いのかも知れない。



イスラムでも、戒律の厳しい国があるんだが、そういう国でもベリーダンスをやっているんだろうかw 黒いオバQが踊りますw



こちらは「アメリカン・トライバル・ベリーダンス」という、ベリーダンスから派生した現代風のダンスです。踊っているのは、ウクライナ出身のNY住まい女性。このクラスのダンサーともなると、さすがにいいオンナですw



コレはまた、拾い物だったw ベトナムの娘w ベリーダンス自己流で始めて数ヶ月だそうで、先生について習っているわけじゃない、ビデオ見ながら勝手にやってるだけw 体型が、明らかに中東とは違うw 白人やアラブ人の基準からしたら、「幼児体型」だわな、こういうのw この貧相さは、おいら、大好きだw



同じ娘です。こういう食堂(カフェ?)で踊ってるらしい。アジアの女は逞しいわw つうか、サイゴンは元気良いねw

イパネマの娘たち

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「イパネマの娘」というと、世界中でもっともヒットした曲として知られていて、とともに、ボサノバという音楽を造った記念すべき曲でもあるんだが、実は、モデルになった娘さんがいたんですね。上の写真で、海岸で雑誌を読んでいるビキニのネーチャンがそうですw 歌のモデルになったからって、印税貰えるわけじゃなし、ネーチャン悔しいというので、歌詞を印刷したTシャツとか作って、観光客に売ってるらしいw もう婆さんだがw イパネマの婆あw 



Elise Ashlyn Trou という、アメリカのミュージシャンです。ドラム叩いたり、ギター弾いたりする才女です。美人です。1999年生まれというから、ずいぶん若い。アメリカは層が厚いので、こういうのがゴロゴロいる。



ギター2本とベースの英国紳士3人に、女性ボーカルが加わった、ジャズバンド。渋くていいね! お姉さんが逞しい。ツアーの夜には、男三人相手にしそうな体力w



Ituanaという歌手だそうだが、アルバムも出してない無名なので、よく判らない。これはボサノバを集めたオムニバス・アルバムの一曲。ボサノバはこういう力のない、ふやけた声が似合うw それはそうと、映像のオンナが、何ともエロくて宜しいですw ファッションモデルだと思うんだが、どこからどう見ても、素人オンナじゃねーな、という風情だw



よく判らない人たちが演ってます。映像がきれいだね。絞りを開け気味にして、ハイキーな仕上げで、いい感じだが、年増のお姉さんが三人というのは、視点が分散して良くないw

昭和歌謡史つまみ食い

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昭和歌謡、といっても、戦後の歌謡曲なんだが、物凄いかけ足でつまみ食いですw まずは田端義夫。この人、80年間、歌手をやっていた。とてつもない貧乏育ちで、小学校を3年で中退してますw 「煎餅焼く手に涙が滲む」と平岡正明が書いていたが、それ以来、何十もの仕事を転々としたそうで、煎餅屋で煎餅焼いていた事もある。薬屋、パン屋、鉄工所などで丁稚奉公を続け、栄養失調で片目の視力を失いながらも、ディック・ミネに憧れて、歌手を目指し、20歳にしてデビュー。戦前にも何曲ものヒットを飛ばしている。「大利根月夜」(昭和14年)が代表的だが、「別れ船」(15年)もそうです。戦争中の日本人は、田端義夫の「別れ船」を聞きながら、南方へ、満州へと旅立って行った。



そして敗戦。二度と戻らなかった人も多い。かろうじて命だけは永らえて帰国した日本人が、港で耳にしたのが、「かえり船」(昭和21年)です。国破れて田端義夫あり。街は焦土となり、身は難民となって追われても、田端義夫の声だけは変わらなかった。戦前と戦後では、歌謡曲のトレンドは大きく変化したが、その後も田端義夫は長く現役を続け、死ぬまで懐メロ歌手にはならなかった。

おいらが見たドキュメンタリー番組では、田端義夫がいきなりギター持って普通の住宅街を歩き出し、そこら辺の空き地で突然、歌い始めるw 最初は誰もいなかったのが、一人、二人と婆さんがどこかから湧いて出て、涙を流しながら聞き惚れるという、ヤラセじゃないです。本当のハプニング。実は、田端義夫はそういうのを得意としていて、釜ヶ崎でもやった事があるw マネージャーがアンプ持って後からついて歩いているw 偉大なブルースマンです。



これはなかなか珍しいフイルム。「七変化狸御殿」1954年です。ドラム叩いているのはフランキー堺。フランキー堺というと名役者として知られているんだが、元はジャズドラマーです。この映画では「ジャズ狸」という役柄で出てますw 美空ひばりのバレリーナ姿がムチムチで、妙に色っぽいw まだ、16歳か17歳です。美空ひばりは昔の人で、成長が遅かったので、12歳ではホントの子供でガリガリなんだが、この頃からオンナっぽくなって来るw 堺正章の父親、堺駿二も出演している。この頃の堺正章も、幼くして、こうした映画スタジオに出入りして、子役で芸能界入りしてます。



さて、三波春夫です。この人、元は「天才少年浪曲師」だった。昭和初期には浪花節というのが大流行で、その中でももっと将来を嘱望された一人です。もう一人は村田英雄w ところが戦争で運命が狂って、三波春夫はシベリア送り。食えないオヤジなので、「浪曲レーニン伝」などを自作して宣撫活動に励み、ソ連に取り入り、ご機嫌伺い、インターナショナル唄いながらなんとか帰国を果たす。この「俵星玄蕃」は、日本歌謡曲史上に燦然と輝く大傑作。浪曲が廃れた今となっては、こういうの二度と生まれないですね。



キャロルの映像というのは色々残っているんだが、これがベストだと思う。元はNHKの番組として作られたんだが、過激だというので、ディレクターが馘首になってしまうw 日比谷野音のステージをウロツク姿が、土産物屋の菓子を狙っている不良猿みたいな中腰で、あるいはジャングルでゲリラ掃討やっているマシンガン持った米兵みたいで、カッコイイというか、カッコワルイというかw



ここで松田聖子のパンチラとはまた、ずいぶん端折ったもんだが、まぁ、そんな感じですw 松田聖子は、デビュー以来、快進撃を続けていたんだが、この曲の直前までは徐々にレコード売上げが下がってきたところで、そこで起死回生のパンチラですw わざとパンツ見せてますw ミニスカートのワンピースで、大きく片手を挙げるので、裾が引っ張られて、パンツが見える。パンチラ効果は絶大で、ここから急速にレコード売上げが回復し、松田聖子は不滅の大アイドルになったw

アメリカの青春時代

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ミュージカル、というのが、あったわけです。今でもあるのかも知れないが、ハリウッドの全盛期は1950年代までで終わっていると思う。ハリウッドでは、1945年の第二次大戦集結直後あたりから、大作はカラー化されていて、この「雨に唄えば」も1952年です。おそらく、全てのミュージカル映画の中で、もっとも有名なシーン。ジーン・ケリーのダンスも素晴らしいが、それを最大限に活かすように練られた脚本や細部の作り込みが凄い。どれだけ綿密なリハーサルを積み重ねて撮ったのか。



フレッド・アステアも人気者だった。アステアはタップダンスをベースに、コミカルな仕草が特徴。1951年の「恋愛準決勝戦」から、アステアが帽子掛けと踊るシーンw



シド・チャリシーとアステアで、1953年の「バンドワゴン」から。素晴らしい名曲です。シド・チャリシーは、昔は「シド・チャリス」と呼んでいたような気がする。夢の大都会ニューヨークで、美男美女が華麗に踊る。ちゃんと、シド・チャリシーのパンツが見えるサンビスシーンも入ってるしw ダンシング・イン・ザ・ダークは、ダイアナクラークの唄ったコレがいいね!この手のミュージカル映画というのは、白人文化の根底に今でも記憶として刻み込まれている基本です。



「巴里のアメリカ人」から、レスリー・キャロンの踊るシーン。この時代のハリウッドは性的表現にはうるさくて、パンツが見えるくらいが精一杯だった。そんな中で、工夫を凝らして女性の魅力を最大限に魅せてます。



ところでおいらが一番好きなミュージカル女優はエスター・ウィリアムズです。水着の女王! 1952年の「百萬弗の人魚」から。彼女は1940年の、あの幻の東京オリンピックの代表選手になるはずだった、本物の競泳選手だったんだが、戦争でオリンピックが中止になり、女優に転身。1944年の「世紀の女王」で大スターになる。日本軍が硫黄島で死屍累々玉砕し、庶民は「欲しがりません勝つまでは」「一億玉砕、火の玉だ」と、竹槍で焼夷弾消していた頃、アメリカ人はカラーの水着美女映画に見惚れていたw 



この手の大掛かりな水着映画、とんでもない費用がかかりそうw そのためもあってか、1956年には作られなくなる。エスター・ウィリアムズは実業家に転身し、今でも続く水着ブランドを立ち上げ、全米各地にプールを作って競泳選手を養成してます。

こうした、ストーリー的にはあたりさわりのない幼稚なモノながら、夢と希望に満ちあふれ、とてつもない費用と手間を注ぎ込んで作られていたミュージカル映画。二度と戻らない、アメリカの青春です。

世界一エロい曲

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大竹まことの双子の兄弟であるオサムが原作書いていた「ケンタウロスの伝説」というオートバイ漫画で、「おじさんに会いに行く」と言ってバイクでアメリカ大陸を延々と旅する話が出て来たような気がするんだが、そのおじさんというのが、ポール・モーリアだったな。こういうの、アメリカではエレベーター・ミュージックと呼ぶ。エレベーターの中でかかっているからで、日本ではBGMとかムード音楽とか呼んでいた。オーケストラで、何でも演っちゃいます。この曲は、セルジュ・ゲンズブールの作った曲です。元の曲はキチガイみたいな曲で、日本では長く、放送禁止だったw



これがオリジナル。当時、セルジュと愛人関係にあったジェーンバーキンとのデュエット。こいつらセックスしながら録音してるんじゃないか? 特に後半が酷いw 日本では、エロい曲というのはたくさん作られているんだが、コレを超えるモノはない。



もっとも、当初は、やはり愛人関係で不倫の仲だったブリジット・バルドーのために書かれた曲だったらしい。バルドーが、亭主の顔色気にして発売許可を出さなかったので、ずっとバルドー版はお蔵入りだったw 1986年に、「売上げは動物保護団体に寄付する」という条件でやっと、発売されましたw 聴き比べてみると、ジェーンバーキンの方がエロいですね。



さて、セルジュ・ゲンズブールというのは、エロい人で、たくさん曲を作っているんだが、スケベな歌詞が多い。しかも、本人は酒浸りで、ロクデナシだったようだ。コレなんて、13歳の少女にエロい事を仕掛けてますw フランス人はロリコンw ずいぶん可愛い娘だと思ったら、セルジュ・ゲンズブールとジェーンバーキンのあいだに産まれた、シャルロットちゃんですw タイトルが、なんと「レモン・インセスト」。自分の娘と近親相姦の歌をやっちゃうんだから、筋金入りのロクデナシw この人、ユダヤ系で、レゲエに傾倒して、ラ・マルセイエーズをレゲエにアレンジした曲をジャマイカでレコーディングして、右翼に襲撃され続けるw あまりに右翼が煩いので、セルジュ・ゲンズブールは競売でラ・マルセイエーズの著作権を買い取ってしまったそうですw

夢は夜ひらく

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作曲家の曽根幸明死去、だそうで、さっそくYouTubeで組もうと思ったハイエナ野次馬さんなんだが、実はこの人、アレンジャーが本職で、作曲は多くない。有名なところでは「座頭市子守唄」くらいか。代表作は「夢は夜ひらく」になるんだろうが、実はそれも「作曲者不詳の採譜」です。元は、練馬鑑別所で伝えられた伝承歌がベースのようです。それを、ナンシー・シナトラとリー・ヘイズルウッドのデュエット曲「サマーワイン」風に料理していっちょあがりw



1966年に、この曲が競作としていっせいに発売された。緑川アコ版がコレです。緑川アコが歌うと、ネリカン風味がいい感じに効いてますw おいらは好きだ。



この時の競作でもっともヒットしたのは園まり版。色っぽい。ネリカンの不良テイストは消えて、お妾さんソングです。



それから数年。一人の少女が衝撃的なデビューを果たす。三味線瞽女の娘、藤圭子です。白いギターを抱え、新宿の街を24時間、唄い歩くというキャンペーンをやったな。デビュー曲は「新宿の女」。そして翌年、「圭子の夢は夜ひらく」でオリコンシングル連続10週一位という爆発的な大ヒット。とたんに、「ナントカの夢は夜ひらく」というカバーが続出した。ちなみにこの曲にはオリジナルの歌詞が20種類あるそうですw



さて、その翌年。全日本フォークジャンボリーを機に世に出たのが、三上寛ですw おいらこの人が好きで、この頃ずいぶんライブも見てます。新宿公会堂でやった初のリサイタルも見ている。ガロとか吉田拓郎とか、軟弱なフォークには若い女のファンが大量に付いていたんだが、この頃のジョイント・コンサートでは、三上の出番になると女性ファンが一斉にトイレに逃げ込んだという逸話があるw 

作曲者不詳という事もあって、100人が100様の解釈と料理が出来る歌で、なかなか面白い。それでも作曲の著作権料金は曽根幸明さんに入るんだろうねw

そんな事より干し芋だ。日本のほしいもの元祖は遠州です。今年も美味しい干し芋が届きました。

_DSC1813_300.jpg 1100円(税・送料込み)
<ヤマセン 遠州産干し芋 180g×2>

今では日本中どこでも作っている干し芋、安い物では中国製もあるんだが、元祖は遠州です。さつまいもを蒸して切って寒風に干しただけの、無添加自然食品です。干し芋は茨城で生産されている物が多いんだが、発祥は遠州地方、それも浜岡周辺です。その、元祖の干し芋です。素朴な甘みがヘルシーなオヤツとして人気です。

豆州楽市がお届けします。

ウェスモンゴメリー

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ウェスモンゴメリーといえば、ジャズギターの巨星なんだが、36歳までは田舎のインディアナポリスで6人の子供を抱えて溶接工として働く、兼業ミュージシャンだった。朝7時から午後3時半まで溶接工、夜7時から午前2時まではバーで演奏し、午前2時半から5時まで、やっとジャズクラブで演奏という日々。極貧です。たまたまインディアナポリスを訪れたキャノンボール・アダレイに見出されて本格的なジャズシーンに登場するんだが、「巡業が嫌い。家族と一緒にいたい」というので、田舎に帰ってしまうw 困った人だw



まぁ言うまでもなく、抑制の効いたしっとりしたタッチで、スタンダード・ナンバー演らせたら天下一品ですね。活躍したのは10年間という短い期間なんだが、晩年にはポピュラー路線でオーケストラと共演したアルバムを幾つも出している。これが物凄い勢いで売れまくって、良かったね、なんだが、ジャズファンからは「才能のムダ遣いだ」と非難されてますw もっともウエスは「楽譜が読めない、ギターも独学」という人なので、編曲してオーケストラ乗せるのは、「後乗せ」だったという話もあるw



ピックを使わず、親指の腹だけで弾くとか、オクターブ奏法とか、独学なので、それまでのギター奏者とはかけ離れた、独特のスタイル。おいら、この人が好きで、少人数のマニアックなJAZZもいいし、「才能のムダ遣い」と呼ばれるポピュラー系アルバムも嫌いではない。



代表作のひとつ、フルハウス。カードゲームのフルハウスではなく、「満員御礼」のフルハウスらしい。ウイスキーが似合いそうだ。

ガトー・バルビエリ

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おいらがもっともよく聴いたレコードなんだが、ガトー・バルビエリです。一般的には、ラストタンゴ・イン・パリで知られているんだが、何かエロい映画だとは知っているが、すいません、見てませんw ガトー・バルビエリはアメリカでも活躍したマトモなジャズミュージシャンで、もっとも英語がまったく喋れず、奥さんの通訳に頼っていたというんだが、南米に戻ってからは、ラテン色の濃いアルバムをたくさん出している。元はアルゼンチンの人です。



「ブラジル」というのは有名な曲なんだが、ここでもガトー流のアレンジで聴かせます。この人、基本的にはバックはどーでもいい人で、とにかく後ろでガチャガチャ演っていてくれれば、自分は勝手に吠えまくってキモチイイというタイプw 野太い男性的なサックスだが、その奥に叙情的なテイストが感じられる。



サンタナをゲストに招いてのアルバムです。おいら、サンタナも好きで、全アルバム集めたんだが、この曲はサンタナのアルバムには入ってない。まぁ、どっちも似たような唯我独尊タイプですw



おいらが散々聴いたのは、1970年頃の、Chapter One 、Chapter Twoの、2枚のアルバムです。アメリカ武者修行から帰国したガトーは、アルゼンチンで民族音楽のミュージシャンを集め、そこに乗って演奏しはじめる。折しも日本では大阪万博が開かれ、そこに来日してます。おいらTVで見て、仰天した。フォルクローレのバンドを従えて、朗々と吠えまくるJAZZサックスw 南米人としてのJAZZを模索するガトーの、代表作です。



サンタナのヒット曲「哀愁のヨーロッパ」w 一緒に演奏してますねw それにしてもサックスという楽器は、人によって音色がまったく違って来るのが面白い。おいら的には、ガトーみたいなダーティーなトーンが好きです。

本日のBGM

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今日は3本だけなんだが、どれもフルアルバムなので、ゆっくりお楽しみ下さい。まずはマーティン・デニーなんだが、ハワイに住んでいたジャズ系のミュージシャンで、南国への憧れをかき立てる独特の「エキゾチックサウンド」を作り上げて一世を風靡した。死んだ後も、バンドでヴァイブラフォン叩いていた爺さんが引き継ぎ、よくホテルのロビーで演奏していたそうです。ちなみに、独特の「鳥の鳴き声」を演っていたのも、ヴァイブラフォンの爺さんw



ワルター・ワンダレイです。ブラジルのJAZZオルガニスト。シンセサイザー出現以前のオルガンというのは、R&Bでもよく使われるんだが、なかなか良いものです。今となっては時代を感じさせるが。名曲サマー・サンバは、このワルター・ワンダレイの演奏でヒットし、その後、歌詞が作られた。



この人の歌う「イパネマの娘」が絶品で、カバーでオリジナルを超えるというのは大変なんだが、しかも、世界一ヒットしたとも言われる名曲「イパネマの娘」を、彼女は独特のセンスで唄いあげている。ある意味、オリジナルを超える「気持ちよさ」ですw

ガブリエラ・アンダースはアルゼンチン生まれ。音楽への早熟な関心は、現在彼女の数々のレコーディングにも参加している、ジャズ・サックス奏者の父親が影響しているようだ。ハイスクール卒業後ニューヨークへ移住し、カレッジでオーケストレーションを学びながら、徐々にクラブ出演やレコーディングの仕事を手にしていくようになる。

この人、日本のザ・ピーナッツのカバーでアルバムも出してますw ウナ・セラ・ディ東京w お洒落な、意識高い系ミュージック? もう一曲「スターダスト」


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謎のインド人「コーラ・パンディット」なんだが、インド人になる前はメキシコ人だったという話はよく知られていて、上の写真がその証拠ですw デビューは第二次世界大戦期で、レストランやクラブのラウンドなどで演奏したり、ラジオ出演、米軍兵士のための放送吹き込みなどやっている。それがインド人になったのは、カリフォルニアで白人とヒスパニックが社会的な摩擦を起こして騒がれるようになったからだというんだが、世界大戦が終わったあたりからは、いつの間にかインド人ですw インド人となったこの人、TV放送開始とともに、自分の番組を持って、いちやく大人気となる。初期のTVスターです。



人気が衰えてからは、1970年代にはレストランでの演奏や、スーパーマーケット、自動車販売店など、エレクトーン教師などどこでも演奏を続けて食い繋いでいたらしい。一人オーケストラなので、こういう人はシブトイですw 1994年にはカルト映画「エド・ウッド」に本人役でカメオ出演してます。上のYoutubeはその場面だ。



さて、それではコーラ・パンディットのアルバムです。この人、最盛期はSP時代なので、ヒット曲を寄せ集めた風情のアルバムなんだが、使っているオルガンはごく初期のハモンド製の電子楽器で、シンセサイザーの元祖みたいな機械です。当時はまだ発売されたばかりの新型だった。

ところで、この人の正体なんだが、実は、ごく普通のアフリカ系黒人です。ミズーリ州出身w 父親が牧師で、オルガンはそこで覚えたらしい。おいらの知人のオルガン弾きは神父さんだったな。オルガンというのは、ピアノに似ているけれど、音の出し方はまったく原理的に違う楽器で、持続音が出せるというのが、ピアノにはない特徴です。この人、結局、死ぬまで偽インド人で通したw 実は黒人でした、というのが公表されたのは、死後2年経ってからですw

ミシルル

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「ミシルル」という曲です。19世紀にオスマントルコの版図において流行したらしい。「エジプトから来た娘」というような内容の歌詞があり、今でも広く愛されているんだが、この曲はアメリカでも流行った。このバージョンはエキゾチック・ミュージックの雄、マーチン・デニーです。彼はハワイのミュージシャンで、南国風の独特なサウンドを作った。もっとも動画の方はまったく無関係な、「The Indian Tomb (1959)」という映画の、デブラ・パジェットという女優さん。邦題が「大いなる神秘・情炎の砂漠」だそうでw ハリウッド映画としては究極のエロですw デブラ・パジェットのエロダンスもう一本、行っとく? 「大いなる神秘 王城の掟」のダンスシーンです。



怪しいインド人、コーラ・パンディットです。ひと目で判る偽者インド人w ホントはアフリカ系のごく普通の黒人なんだが、この人、何故かヒスパニックを自称して売り出し、白人とヒスパニックの摩擦が社会問題になると、今度はインド人を自称して売れっ子になったw ご覧のように、オルガンとピアノを自在に操って、一人オーケストラを演奏します。主にエキゾチカ系のサウンド。



サーフィンサウンドです。ビーチボーイズもカバーしているのでよく知られているんだが、こっちが早い。



エロネタに乏しいイスラムなんだが、ベリーダンスだけは別なのか? つうか。イスラム教が出来る前からある踊りなので仕方ないですw まぁ、コレが本家本元のミシルルですね。最近は日本でも、ダイエットに効くというので、ベリーダンスのレッスン受けるお嬢さまがたが多いんだが、本場のベリーダンサーはみんな腹が出ていて、「腹踊り」と呼ばれるくらいなので、ダイエットに効果があるのかは疑問だw それにしても、この腰使いで締りが良かったら、ちんぽ食い千切られそうで怖いですw

ボサノバを作った人

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ブルースとか、アルゼンチンタンゴとか、演歌とか、近代に入ってから生まれた音楽ジャンルというのは、創始者がハッキリしない、伝統音楽と西洋音楽の融合から自然発生的に産まれた物が多いんだが、ボサノバは違う。1950年代末にジョアン・ジルベルトとアントニオ・カルロス・ジョビンの二人によって作られた音楽です。元はといえば、ヒキコモリのマリファナ中毒者だったジョアン・ジルベルトが、サンバのリズムをギター一本で再現しようと、バスルームに篭って延々と苦労していたところから始まる。やっと、ギター一本でサンバのリズムを演奏できるようになったジョアン・ジルベルトは、リオに戻って、アントニオ・カルロス・ジョビンと出会う。その頃、ジョビンは既にレコード会社のディレクターとしても活躍する作曲家だった。既に、舞台「黒いオルフェ」のための曲などを作っていた。この二人の出会いから、ボサノバが始まる。





ボサノヴァをきっかけに、ブラジル音楽を好きになっていろいろ聴いているのですが、いろんなことが不明でした。
お店でかかっている音楽を聴いて、「なんかこれいい♪」と思うと「ブラジル(の音楽)だよ~」ということが何度もあり、
でも、何に魅かれているのかは自分でもよくわからない。

そんな疑問に答えてくれる。
ブラジルのミュージシャンたちが、どんな風に自分たちの音楽をつくりあげているか、どんな歴史を紡いで音を表現しているのか?
音楽の著者が2人書いてあるけど、作詞、作曲って分かれていないのはどうして? 
ボサノヴァコンピレーションには「サンバ」とタイトルがある曲がたくさんあるけどどうして?
ボサノヴァとジャズは同じ分野としてくくられていることが多いけど、関係があるの?

大滝詠一死す

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大滝詠一というと、大ヒットしたのがこの「A面で恋をして」なんだが、今じゃCDなので、A面もB面もない、愛想のない時代です。お亡くなりになったそうで、有能な人ほど早死にする。おいらはせいぜい嫌われながら長生きしたいもんだ。ちなみに、CM曲についても「本気」で取り組んだ人で、それだけ集めたアルバムも出している。この人、アングラ・レコード・クラブからエレック、そしてベルウッドと、日本三大アングラレーベルを転々とした人なので、70年代ではこのアルバムが最も売れたらしいw



 ナイアガラのリマスターシリーズもついにここまで来たかと言う感じです。
 今回もなかなか凝っていて、モノ、ステレオの他、レアリティーズ、デモと盛りだくさんです。往時を知っている人には、涙なしでは聴けない一枚になっています。
 聴いてみて、興味深いのは三ツ矢サイダーのコマーシャルソングでいろいろなバージョンというかテイクがあり、本人も難産だったとのことです。この人にして難産だったとはCMソングとはいえ馬鹿に出来ないものです。その他、歌詞カードなどもこれまでのシリーズ同様復刻されており、やはり涙をそそります。
 焼き直しはいい加減に、との声もあるようで、確かに事情をご存知でない方には、モノ、ステレオと延々同じ曲を聴くのもちょっときついかとも思いますが、私としては、こういう一枚を聴くと、やはり、これからもドンドンやってもらいたい気持ちでいっぱいになります。

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