「苦昼短」李賀

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【南威】中国唐代の詩人李賀という人がいるんだが、27歳で夭折した幻想的な作風の鬼才で、日本ではあまり知られていないが、泉鏡花、芥川龍之介、日夏耿之介、堀辰雄、三島由紀夫、塚本邦雄などが愛読していたというので知られている。暗いペシミズムと死の予感に彩られた独特の作風で知られている。この作品は、その李賀の「苦昼短」という詩をモチーフにしたものです。

飛光さん、飛光さん 
おまえさん、一杯やらんかや 
青いお空がどんだけ高いか、わしゃ知らん 
黃色い大地がどんだけ厚いか、わしゃ知らん 
ただわかるんはお月さんは寒く、お日さんは暖かいということ 
お日さんもお月さんもでて来ては人の寿命からからに煎ること 
熊の掌てのひら、こんなもん食べたらすぐに肥え太り 
蛙しか食えんかったらすぐ瘦せ細り 
神さまなんてどこにいるんかいな 
神さまなんぞなんでいるんかいな 
東の天に若木とかいう神さんの木があるそうな 
その下にお日さまをくわえた龍がいるそうな 
わしだったら龍の足たたっ斬って 
龍の肉噛みついて 
朝になっても空を回らしゃせんぞ 
夜になっても休ましゃせんぞ 
そうすりゃ年寄りが死ぬこともねえ 
少わけえもんが哭なくこともねえ 
死にたくねえと黄金こがね服のんでも何にもならん 
白い玉吞んだとて何にもならん 
誰があの任じん公こう子しなんて野郎になれるもんか 
 *「任公子」荘子に故事あり、不死の仙人
青いロバ騎またがって雲の中いくことなんかあるもんか 
 *「碧驢」碧い驢馬で青いロバ
漢の武帝さんだって死んだら、茂陵でただの骨の山になっただけ 
秦の始皇帝さんだって死んだら、魚の干物、棺桶につっこまれただけ 

タイトルは「昼の日の短きを苦しむ」と言う意味。さすがに南威さん、教養のあるところを見せてくれます。

コメント(7)

>苦昼短

 うちのは、くっちゃひるねw

>日夏耿之介

 のおん名がでてくるとは

 食あたりしないよう、こういう本からが無難w

(亀井俊介、沓掛良彦『名詩名訳ものがたり―異郷の調べ』(岩波書店 2005年)
「この本の中でとくに味わい深かったのは次の詩とその評釈です。
ゲーテ「ミニヨンの歌」(森鴎外訳)、ヴェルレーヌ「落葉」(上田敏訳)、ボードレール「死のよろこび」(永井荷風訳)、ポー「陪蓮(ヘレン)に餽(おく)るうた」(日夏耿之介訳)、ヴァルモール「サアディの薔薇」(斉藤磯雄訳)」
https://ikoma-san-jin.hatenablog.com/entry/20101212/1292136993

 ポーの詩というと、オバマ大統領の愛唱詩の大鴉とか、松本清張のゼロの焦点のアンナベル・リーが有名ですが、この「ヘレンに」こそが「なんどの改作して現在の形になったもの。Poeの詩の中で最も完璧に近いものとして広く認められている。」(亀井俊介)とのこと。 完璧とはいえないとしたら、最後のフレーズで韻を踏むため、whichという語の位置を、ちょっと無理な位置においたことくらい。
 ただ、これはゴシック・ロマンというよりは、古典主義的な完璧な作品なのですが。

李賀で唯一知っているフレーズは、
「長安有男兒 長安に男児有り
 二十心已朽 二十にして心已に朽ちたり」
20歳の頃の僕のこころに突き刺さりました。
還暦過ぎの今は心も体も朽ち果ててます。(´;ω;`)ブワッ

 上田敏の「落葉」(秋の日の ヰ゛オロンの ためいきの 身にしみて...) は高校で習った記憶があるが、その時はなんとも思わなかった、が、大学に入って(パスツールを読んだり仏文のJDを狙う為に)フラ語の勉強をしていて、ヴェルレーヌの元の詩のリズムを日本語で再現しようと凄い努力がされている、ということに気がついた、なんとまあ無駄な努力を、と思ったものである。仏語のものは仏語で鑑賞すればよいのである。
> この「ヘレンに」こそが「なんどの改作して現在の形になったもの。Poeの詩の中で最も完璧に近いものとして広く認められている。」
 などと書かれると、ボーの「ヘレンへ」もみてしまう訳だが、短かい詩ではあるが、このフレーズを利用して、"thy beauty is to me Like those Nicean barks of yore" などといっても、女の子のパンツのゴムが緩むどころか、(もし意味が正確に通じたとしても)なにこの変なヤシとガードを固められるだけのような気がする。ポーの詩は美しいが少なくともワシには難解すぎる。

https://en.wikipedia.org/wiki/To_Helen

 ワシがボサノバが好きなのは、ジョビンのメロディの美しさ、よりは、ヴィニシウスの詩が美しくかつ面白いからである。だが、その味はポル語が分らんと多分分らん、詩というのはそういうものであると思う。

> 元の詩のリズムを日本語で再現
> なんとまあ無駄な努力
相変わらずのズレ具合。
自分を基準にするのは基本だが、基準というのはそれがすべてではない。

詩というのは、音の響きというボディと、組み合わされた言葉が創出する意味という骨の部分が不可分に結びついたもので、そのへんが散文と違う(散文は意味先行であって、音の響きは二の次)。
音の響きという部分から音楽と結びつくわけで、というか、儀式の言葉の朗誦の節回しがメロディーになっていったそうだから、順番が逆か。

詩の翻訳にそれをする意味があるかどうかは、中井久夫先生あたりにじっくり聞くといいと思うが、翻訳者は、楽しく面白いからやってるわけで、結局は母語をいかに豊かにするかという文化的価値を考えていたんだろう。
漢詩が和歌、俳句に及ぼした影響を考え、また同様に英語haikuの隆盛を見れば、分かる部分もあると思う。
いずれも自分たちの言葉にすることによって、自らの言葉の海というか言の葉を豊かにしたいんだろう。

翻訳を介さずオリジナルの言葉で楽しむのはいい趣味だと思うけど、それは個人のレベルであって、詩人と自負する人たちは、そのレベルではおさまらない。というかおさまらない人を詩人と呼ぶんじゃないかね。

 音の響きまでを翻訳するのはほとんど不可能。 特に57の調はあっても強弱の韻はない日本語の詩の文体へは。 その不可能が可能になったように見えた時点で、たぶん、元のものとはちがうなにかになっているのだろう。  さっきでてきた「サアディの薔薇」の斉藤磯雄さんの訳がそうらしい。

(- 翻訳詩と解説について - 岸本礼子)
「しかし今、この類い稀な美文調の翻訳詩を目の前にして、私も出口裕弘氏と同じく、もはやマルスリイヌ・デボルト・ヴァルモオルのこの詩を改めて原文で読みたいとは思わない。(岸本礼子)」
「このとどめの、あえて美文といってもいい文章に惚れ込んだら最後、もう日本語だけで十分、横文字でせっかくの感興をそぎたくないとまで、少なくとも私は思ってしまう。(文中で引用されている仏文学者出口裕弘先生)」
http://www.rutsuko.com/k/c/c_01.html

 もはや原文で読みたいとは思わない、とまで思わせるほどの訳文とは!

 さて、ポーの、to Helen ですが、典型的な、音の響きを第一とする詩です。 穏やかに波打つ地中海を揺蕩うような強弱の韻を味わいながら。

 たほう、Annabel Leeのほうは、じぶんにとっては、「目薬の詩」です。 ドライアイ気味になって、涙で瞳を潤したくなったとき、この詩の最後の一節を口ずさむと、たちどころに涙があふれる、というわけですw

(その肝心の最後の一節ですが、テクストによって違いがあるというのが。 清張のゼロの焦点では、In her tomb by the sounding sea とどろく海辺の妻の墓 を採用しています。)

 二次創作がオリジナルを越える、ということはあるんだろう。ワシも映画をみて、ワシが監督だったらこーするのに、とか思うことはある。例えば「にっぽんの一番長い日」(岡本喜八の1967年版)とか「シルミド」とか「マッケンジー脱出作戦」とか、いずれも製作当時生存者がいたからそれへの配慮が必要だったんだろうがなんとも煮えきらない思いのする作品があってここをこーできないんだこうか、と思うことはよくある。そういえば、作曲者に、なんでここがこーじゃなくてこーなっているのか、とかケチをつけたこともあるw。
 ま翻訳で、訳注や解説の出来がよくて、オリジナルを越える、ということはままある。別投稿へのコメントで紹介した、「周恩来キッシンジャー機密会談録」なんかはまだ読んでないけどそーかもしれないと期待している。
 余談だが、4月の時点でキッシンジャーはコロナの世界へのインパクトを次のように見ている、数世代に渡って影響が続くだろう、とね。
https://www.jfir.or.jp/cgi/m-bbs/index.php?no=4692

>二十心已朽

 原口統三は、「二十歳のエチュード」を遺して逗子の海へ。一高の親友、鵜原抄の中村稔は93になるが、まだ現役でピンピンしている。 たぶん三浦くんだりの向かい側が伊豆なんて海よりも、房総の広い広い太平洋の海のほうが、長生きにはいいのだろう。

 さて、その半世紀後、オレはそのあたりの海で、ウィンドサーフィンでもやってみようか、風か波のせいで死んだらそれはそれでいいや、と引越を決意したのだが、悲しいかなそこは生来の臆病者、怖じ気づいてしまったのでござる。 

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