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「琉球を守れ、琉球に於て勝て。
 全日本の全日本人よ、
 琉球のために全力をあげよ。」
 (高村光太郎「琉球決戦」)
https://blogs.yahoo.co.jp/koyama2870041/12656194.html
今また沖縄を見捨てようとしている日本。戦争で沖縄を蹂躙した鬼畜アメリカにひざまずく安倍に右翼は何を感じているのか。
上記の詩を書いた高村光太郎は戦後、戦争協力に自責と懺悔の念を感じ、戦後自分を罰するかのように極寒の山小屋に一人住み死んだ。
【わが詩をよみて人死に就きにけり】
 「爆弾は私の内の前後左右に落ちた。
  電線に女の大腿がぶらさがった。
  死はいつでもそこにあった。
  死の恐怖から私自身を救ふために
  「必死の時」を必死になって私は書いた。
  その詩を戦地の同胞がよんだ。
  人はそれをよんで死に立ち向かった。」
NHKの歴史ヒストリアで私は高村光太郎の隠棲の晩年を知った。だが、番組では戦争協力の理由で寒い小屋に住んだとは一切語られなかったと記憶する。歴史はこのように捻じ曲げられ忘れ去られていく。

記憶があやふやなんで、「一切」という言葉は留保しておきます。


まだ時代が昭和だった1980年代なかば花巻市郊外の鉛温泉で湯治に一冬を過ごしました

春になり東京から家人も迎えに来て帰る計画を立てたりしながら陽光のなか近所を散策

大田村山口の光太郎山荘へ足を伸ばしたとき元村長の娘さんだった方にお会いして

偶然に当時のお話を聞くことができました

「大雪が降ってお父さんに心配だから見てこいといわれ 行くと布団の上に雪がつもって 」

この本当に粗末な苫屋は山中の使わなくなったもとは木樵小屋だったのを移築したそうです

亡くなったあと小屋が傷んだので村の人たちが持ち寄った材料で覆いをつけ さらにそれも

老朽化したため現在の立派な建物ができたとのこと「高村山荘」は二重箱に入っています/笑。

高村光太郎はこの小屋で戦後の七年間を暮らしています 1952年には東京に帰りアトリエを

中野に置いて作品を作りましたこれは同年に占領解除されたことと関係あるだろうと思います

神経を休める場所に鉛温泉を選んだのは賢治と光太郎に惹かれていたからでした 。。

吹きました‼️素晴らしすぎる音程感もっとやって❗️

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