柿渋集団の村

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忽然と消えた村、というんだが、そういう話するなら、日本の三大秘境のひとつと言われる遠州京丸の話をしちゃうぞ、いいのか? 止まらないぞw というのは置いといて、中伊豆にもこうした廃村がありまして、丸い石を置いただけの墓があったり、異様な雰囲気です。ここは水がなくて水稲栽培ができず、長年、荒れ地だったんだが、静岡市が空襲に遭って被災者が出た時に、静岡市から被災者が移り住んだ土地です。ところが、山の高地で寒くて、水利が悪いので、ロクな作物が穫れない。街の復興が進むにつれ、いつしか人は去り、おいらが見に行った頃には二軒しか残ってなかった。今では一軒もないかも知れない。

嘉永4―5年(1851―52年)に書かれた「多紀郡明細記」に「柿渋師 夙村ノモノ」の記述がある。
柿渋は、未熟な青い柿の実を砕いて絞り、その汁を発酵・熟成させて作る赤褐色の液体。防腐・防水効果や、補強、医薬品、紙布の染料など、当時は多くの利用があったとされる。
酒井さんは、「夙の人々は柿渋を製造する職人集団で、柿を求めて各地をめぐる出稼ぎの人々だったのでは」と話す。
一時期、80戸を誇る大きな村を形成していた夙村だが、嘉永年間(1848―55年)のわずか7年の間に7戸にまで戸数を減らし、さらにその後、全戸がなくなったという記述が1884年(明治17)に編さんされた「兵庫県多紀郡地誌」にある。
「わずか7年間という短期間で7戸にまで減ったのは疫病が流行ったからでは」と酒井さんは推測。自寺の過去帳から葬儀件数を割り出したところ、同時期の件数が平年の4・4倍にも跳ね上がっており、近隣のほかの寺においても高い値を示している事実から、「村の9割近くがあっという間になくなってしまうということは、やはり流行り病が原因と考えてしまう」と話す。

その後、明治中期から後期にかけて味間南で火災が続いた。あまりに相次ぐ大火に、当時の村人たちはその原因を「消滅した夙の人たちの霊を放置しているからだ」とうわさした。
そこで村人たちは、夙の村跡の掃除をしたり、夙の氏神であった加茂神社の御神体を味間南の岩上神社に、仏像(阿弥陀如来坐像)を同集落の地蔵堂にそれぞれまつるなどした(1908年)。
さらに、山中に散在していた夙の人々の墓石を1カ所に集め、毎年、秋の彼岸には地元の住職を迎えて供養をするようになった。
以来、大きな火事は起こっていないという。

さて、こちらの話は兵庫県です。農村と、その近くの非農村という関係なんだが、農村と非農村では江戸時代の支配制度が違うんですね。農民は大名とか幕府の管理下にあって、移動を禁じられていた。逃げたら「逃散」といって、処罰の対象です。その土地に住み続け、支配者のためにコメを作って税金として収めるというのが、農民のお仕事です。それが非農村では、そもそも「山の中に勝手に住んでるだけ」なので、どこに行こうが勝手。コメが穫れないところに住んでいるので、支配者にとっては興味がない。どこにでも移動し、税金を収めないw 特権階級みたいなもんだが、それだけに農民からは妬まれ、エタヒニンとまで呼ばれる。農民から見ると、職人、商人のほぼ全部がエタヒニンです。正式な支配体制に組み込まれた「日本」の正社員w それが農民w それ以外は非正規w

そんな事より国産烏龍茶なんだが、台湾の凍頂ウーロン茶といえば、製法が門外不出でいまだに中国本土では作れないんだが、日本だったら真似して、同じような製品が作れますw 花いろ烏龍茶は、香り高いお茶、そして黒烏龍茶は安くてよく出る常用のお茶です。

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なんでお茶だけで添加物もないのに、こんなに花の香りがするの? と不思議に思う人が多いんだが、この製法で作るお茶はそれが特徴です。水色も鮮やかな金色で、さっぱりした爽やかな飲みくちです。ただ、日本茶ではないので、ちょっと淹れ方が違う。基本的に烏龍茶は熱湯で淹れます。お湯を冷まして入れる日本茶と違います。値段は高いですが、少量の茶葉で、何度でも淹れられます。

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豆州楽市がお届けします。
【地域】江戸時代に忽然と地図から姿を消した村。祟りを恐れ今も墓参りを続ける近隣住人たち。兵庫県篠山市、というわけで、例によって2ちゃんねるでは無責任なネットすずめたちがピーチク騒いでおります。ニュース速報板からです。
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ヘイトのしすぎで消されたネトウヨ村か?
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↑地元民に対する非常に差別的書き込みで厳重に勧告するレベル
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本当は皆殺しにして食料奪ったんだろ
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うはぁ、横溝正史の世界
雰囲気ありすぎw
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こういう話が大好き
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まぁ普通に疫病でかなり死んで他は引っ越して流れで0になっただけなんだろな
マスターキートンでペストが村の子供連れてく話思い出した
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夙のカムイ
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↑やっぱ思い出すよねー、これ
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↑だよな
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↑創作ではなく由来あったんだな
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交流のある村で破滅的な疫病が発生。
そこで近隣の村々がどう動くか。
想像に難く無い。

そりゃ祟る罠。
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↑横溝正史の小説みたい...
最後に夙の領主が片目に矢が刺さりながら「祟ってやる! 歴代延々と祟ってやる!!」とか言ってそうだな
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茨城県にも 一村まるごと400人 老人も女も子供も 皆江戸幕府によって大虐殺されたところがあるぜ
茨城県大子町の小生瀬 地獄沢ってところ
江戸時代初期に佐竹家が追いやられて幕府直轄になった村が年貢詐欺のゴタゴタで役人殺しちゃったんで
報復で幕府にやれちゃったの 400年前の話
ほぼ全員大虐殺にあったけど生き残った数人が300年も語り継いだ
興味あったらぐぐってみてね
現地には首塚 胴塚 耳塚とかあるんだって。ここの人ならどういう事か意味がわかるでしょう

小生瀬の一揆について
小生瀬の一揆について
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↑茨城は天狗党の所業の方が怖いわw
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↑水戸の人って黄門様から良いイメージだけど、
歴史を知るとDQNしか居ないよなw
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これからまたどんどんこういう場所が増えてくから
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江戸時代なんて江戸以外は飢饉の度にバタバタ死んでたんだろ疫病も防ぐ手立てないし
幾らでもこんな村あっただろ珍しくもなんともない
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夙ってかつての被差別階級の夙しか思いつかんな
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大辞泉によると、夙とは、「江戸時代、畿内多く居住し、賤民(せんみん)視された人々」とある。
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どうせ不便だから誰も住まなくなっただけだろw
日本にある集落とかよくあんな不便なところに住むよな?病気したらどっちにしろ
人がいる町まで搬送せにゃならんしたった数人のために電気も引いてるし・・これ完全に老害だろ
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↑戦後は「救急搬送しても間に合わない」という理由で
最後の住民が移住して消滅集落になったところが多い
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夙川の皮革部落に移住しただけ
芦屋で柿渋で皮なめしするために
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写真だけやたら抜群ワロタ
ナイス霧

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もともとこの手の賤民は土地にはこだわらない人たち
良い場所がアレば何の未練もなく元々の村を捨てて移住する

土地に執着する農民とは全く異なる

阪神間の部落地域に私立学校が多いのも
部落だと底の住民が土地に執着せずに
学校に必要なまとまった大きな土地が得られるから
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カムイ伝の当初のタイトル案は「夙の三郎」
黒大豆知識な
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夙(しゅく、夙の者、宿の者)は、
中世から近世にかけて近畿地方に多く住んでいた賎民。
中世の非人身分が分解する際に生じ、被差別部落の起源の多くであったかわたよりも下位
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https://www.kakishibu.com/kakishibu
>柿渋とは、まだ青いうちに収穫した渋柿の未熟果を搾汁し発酵熟成させたもの。
>日本では古くから、この柿渋を塗料や染料、あるいは万能民間薬として、マルチに活用してきました。
>家屋や生活道具、衣料品の耐久性を高め、防水・防虫・防腐・消臭効果を与えるなど、その効能は驚くほど多彩。
>近年は柿渋から抽出した「柿タンニン」も、健康・美容素材として注目を集めています。

よく分からないけど色んな事に使える謎の液体を製造していた集団なのか

夙 - Wikipedia
>かわたの間に伝わる伝承では:
>夙はかわた村よりも下位の賎民であった。
>夙の一部はかわた村の直接支配を受けていた。
>かわた村の中には夙筋という一系列があり、一段低いものとして差別された。
>かわた村の手下となった夙は三味線・鞁弓を弾き、小歌・芝居などの雑芸能に携わった。
>などとあり『日本財政経済史料』巻八もこの伝承を収録している。
>江戸時代には夙村ないし宿村が各地に存在し、
>九州の高島における「四苦」も安政頃に穢多に改名されているが夙の者であったとみえ、
>五畿内以外にもかなり広く存在した。

夙って地名じゃなく階級的な意味なのか
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↑柿渋は今でも色々なものに使われてるぞ。
ただ恐ろしく臭いがきつい。
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たしか柿渋は皮なめしに使われる
明治になって大量に皮革需要ができて
いまでは大金持ちで芦屋の六麓荘に住んでるよ
そういう部落産業の人たちだから
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↑ホンマかいな
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↑柿渋=タンニン
皮なめしに欠かせないもの
明治の軍国主義で大量の皮革製品需要ができてるから
なにもクソ田舎の篠山の山の中に潜んでほそぼそと暮らす必要なし
篠山はいまだに江戸時代のままみたいな進化が止まった
アホな農民が多し、なので村が絶滅したと思ってるんではw
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篠山の山に住み着いてたのも
そこが誰も住まない付加価値の低い場所だから
山なので農地にならない

近畿の賤民はみんな山手に住んでいるが
そういうこと
夙川から神戸まで全部部落だと言われてるのも
山しかなく、農地なんてできないから
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賤民って言ってもガッツリ阻害されてたわけじゃないのか
なんかイメージと違うな
なんで柿渋作ってて賤民扱いされるのかしらんが定住しなかったから?
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↑職人は、柿渋に限らず賤業だよ
昔はね
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↑岡山藩が被差別部落に柿渋染めの服以外着てはいけないと強制した結果被差別部落が猛反発して渋染一揆という事件が起きてる
武士や町民農民は藍染め服を着て柿渋染めは山伏や被差別部落ていうイメージがあったらしい
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兵庫の内陸部は仕事で一年間毎日車で走り回っていたけど、
なんかすごい田舎だよね。普通に生活してたら行く用事ないようなw
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兵庫県といえば丹波杜氏
そして酒造りには柿渋が欠かせなかった
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↑へぇ、どの工程で使うの?樽作りとか?
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↑清酒に含まれる不純物が柿渋のタンニンと結合して沈殿する性質を利用して、清澄剤として使われる。
http://www.mimasu-kakishibu.com/seityou.html
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↑柿渋で清酒ができるのか
灰を入れるもんだとばかり思ってた
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↑灰はアルカリで原酒の酸味を中和するんじゃなかったっけ?
柿渋(タンニン)は残留タンパク質の除去だから、また違う目的だと思う。
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↑酒を絞るための木綿の袋を柿渋に浸けるんだわ
柿渋で染まった袋はとても強度が増すうえに柿渋の成分も酒に溶け出してうま味を増す
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柿渋って臭いがすごいしまあ下賤な仕事ってことなんだろ
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昔親父がアユ釣り用のタモを作っていたが防水塗料として柿渋を塗っていたな
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夙てカムイ伝て漫画に出て来たな
部落の名前
画風も内容も暗い漫画で40巻くらいあるんだけど読んでると気分が落ち込んでくる
内容は基本同じことの繰り返しが延々と続いていく
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↑白土というか本名岡本の作者は紛れもなく穢多だが夙については創作だろ
こいつ東京育ちだぞ
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白土三平の父親は戦前の有名な共産党系の画家で、小林多喜二が拷問死した時には同志・小林多喜二の死顔を描いている。本人も特高による拷問で病気になり、5年間の闘病生活を送った。もっとも路線の違いもあって、戦後の1958年には共産党を離れている。白土三平は、そんなわけで、真っ赤といえば真っ赤だが、だからといって日本共産党と仲が良いわけではない。むしろ、新左翼によって支持されていた。

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江戸時代になって丹波青垣の山奥に賤民として潜んでいた落武者の武蔵足立氏が
明治になって弾左衛門の芦屋にでてきて
さらに弾左衛門が利権をもつ武蔵の江戸に凱旋帰国し
墨田区やらに散らばってた芦屋皮革民をあつめて足立区を作った・・・・らしい
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まあ一番、山村が消えたのは高度経済成長期なんだけどな。
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>消え去った村「夙(しゅく)」

もう字が怖い
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今でも供養を続けてらっしゃる方々は尊敬する
世界中で似たようなことはあっただろうけど
ほとんどの場合、そんなことは無かったことにしてるだろうに

にしても、当時の状況を想像すると涙がでてくる
どうにかならなかったのかという思いと同時に、どうにもならなかっただろうという思いと

たぶん自分もその場にいたらおなじことをしただろう、とか考えてしまう
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東北にも享保天明の大飢饉で餓死者が大量に出た村が普通にあるけど、
何事もなかったようだわ。郷土史、碑文でやっと知る程度
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柿渋需要が無くなって、姫路に引っ越してゼラチン作ってるだけだと思うが。
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ちなみに姫路の御着の皮革は明治以降につくられ川がない所に無理に水を引っ張ってくるのが難しかったと書いてあった
軍のベルトを大量に作ってたらしい
皮革工場を作った者の名前もわかってるが朝鮮系かどうかはしらんがならず者だったらしい
御着の皮革工場に関しては明治以降なんで元々は部落ではなかったんだけどね
水が無いところでは皮革は出来ないんだよ・・
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↑戦争のたびに皮革産業は大儲けだったらしいよね
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被差別部落で夙という漢字が使われるのは元々は非人宿(非人の集落)を省略して宿と呼んでたのが
江戸時代以降に宿場なんかの宿とごっちゃになるからか同じ発音の「夙」に当て字されたものらしい
「夙」は元々差別制度とは関係の無い漢字なので無関係の地名かもしれないし非人宿があった事で夙川になったのかも知れないしよくわからない
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「夙」は早朝という意味。
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画像すごいね
山中でこんなのに出くわしたら無神論者の俺でも手を合わせるわ
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↑こんなのよくあるぞ
山奥に突然やぐらがあったりな
そんなのばかり見てるから別になんともない

小さい小道に地蔵がずらっと並んでたり、墓が並んでる場所なんて腐るほどある
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嘉永年間だとコレラか麻疹だろな。。。
夙とカワタは、なめし職人と親方の関係みたいなもんだべ
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記事では微妙な書き方してるけど、柿渋は革なめし用だよな
夙って身分は初耳だったがかわた(穢多)のさらに下って定められた身分だったんだな
支配側としては革の安定供給の為に、製造ラインの統制ができるように
上下関係を整備した、ってとこなんだろうね

WIKIみると播磨ではかわたの支配に抗してなんどか争いになった、って書いてあるが
忽然と消滅はその関係・・・ではないよな、まさかなw
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↑江戸時代に柿渋が防水材として広く使われてたのは事実だよ。
だから、古い港町の庭には渋柿が植えてあったりする。
この手の物は強烈な悪臭を放つし、おそらく職人の手や服なんかも渋で汚れてたはず。
だから、皮革とかが関係なくても自ずと差別される。
鉄腕DASHでも防水材として作ってたな。
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花粉症で滅んだ村
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関西人は墓参りとか法事好き
ギャル系が墓参りを理由に誘いを断るし
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消滅した時期からみてコレラの蔓延を想起
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旧街道の宿場が、明治以降に鉄道や国道のルートから外れてだんだん廃れて行った感じの地区は味わい深いな
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うちから数キロの竹やぶの中にも無人の集落あるぜ。
太平洋戦争中に起きた地震で壊滅した集落だ。
当時は情報が統制されてほとんど報道されなかったらしいが...。
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ただの職人さんなのに蔑まれるとか、酷え時代だなw
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所謂、穢多の下に設定された階層だね
穢多からは差別されたが一般人からの差別は少ないというか知られてなかったようだ
家畜処理とか穢多の業務が出来なかったから逆に外見の良い仕事、芸人とかもやっていたらしい
滅ぼした犯人は穢多だったりして

そういえばカムイは夙谷だったな
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あべの悪政のせいで廃村!
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横溝っぽい雰囲気のある写真だね
各地を転々とする職人集団というと
木地師もそうだね

鎮魂の歴史といえば、井沢元彦の
「怨霊と鎮魂の日本芸能史」って本が興味深かったかな
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革を使った武具作りなどは、武家にとって必要不可欠だが、作っていたのは賎民。
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↑革職人は、身分は低いが「賎民」とはちょっと違う、他の身分の人間は革職人になれなかったから一種の特権階級でもあった。
まあこの辺は藩によって対応が違っていたみたいだがな。
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賎の字にイメージ引っ張られすぎな所はあるな
作業上の都合で定住地から離れる必要のあった職能集団、本物の流浪民、逃散などの事情で定住できなくなった者、本物の被差別者、嫉妬から蔑視された資産や権益持った族、技能や利益を独占出来る人々で、共同体の指導層にいなければ全部『賤しい民』。
そりゃわけわからんようになるよ
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神戸の質の良いヒカワ産業は有名だが、歴史を遡ると色々複雑ですね
自分の野球用品はオニツカタイガーで揃えてた
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↑大塚製靴の創業者のひ孫が自民党の衆議院議員 大塚拓なんだけど
Wikipediaに大塚製靴と大塚拓の関係を書き込むとすぐ消されるんだよ
議員サマになっても いや、なったからこそなるべく出自は隠したいのか...と思うと切ない
ちなみに大塚拓の妻は元テレ朝アナで参議院議員の丸川珠代
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しかしカムイ伝第二部の伏線を回収できずに未完で終わった感は半端ない
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このスレ興味深いなと思って読んでいたら気付いた
職業差別は人種や出自によるのではなく、仏教由来だよ
河口慧海の「チベット旅行記」を読めばわかる、婚姻制限などバッチリ当て嵌まる
柿渋が皮革業と繋がりあるってことは屠殺業と同類に見做されるんだろう
恐らく鹿を狩って鹿皮を売ったりもしてたはず
昔の日本人は獣肉を食べることに抵抗ある人が多かった、兎を一羽と呼ぶように
ただし海洋国家であるため、漁師は差別を受けなかったり高貴な身分の人が鷹狩りを嗜んだりで仏教的差別が曖昧なんじゃないかな
現在はどうか知らないが、明治末期の時点でチベットは漁師も生き物の命を奪うことから婚姻制限の対象とされる卑賤な身分だった
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崇と祟は、微妙に字が違うのだが、なんか複雑な気持ちになる   たかし
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↑「たたる」と「あがめる」は表裏一体だからじゃね。漢字ひとつにも意味があって面白いぞ
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廃村になった集落なんて昭和でも珍しくもないだろう。何百という集落が消えている
そして墓は大抵置き去りにされてる
そんな湿っぽい理由じゃなく消えた集落も多いからな
無人島に成った島も結構な数あるし、ダムの底に沈んだ集落なんていくつもある
いちいち墓守りしないと祟りがあるなんて気にしていたら日本には住めないよ
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さて、遠州京丸です。これは民俗学では良く知られた土地で、「本当にあった隠れ里」として有名だ。

京丸(きょうまる)は、静岡県内の地名である。浜松市天竜区春野町小俣京丸。かつて、一部からは仙境視、秘境視され、伝承、風俗が民俗学者などの興味を引いた。享保年間に起きた洪水の際に、下流の石切村に流れ着いた椀が発見されるまでは、存在を知られていなかった隠れ里とされる。柳田國男や折口信夫も興味を持ち、折口信夫は実際に来訪し、村の藤原本家に宿泊して、実地調査を行った。

ここには「京丸で心中した男女の命日,60年に1度,京丸山には唐傘大のボタンの花が咲く」という伝承がある。ちなみに「洪水でお椀が流されて、上流に人が住んでいるのを知る」というのは、柳田国男が集めた伝承でも、よくあるパターンです。薪炒り番茶KKの隠れ茶畑や、本川根の茶畑の割と近くだw 静岡県は奥が深いですw

コメント(11)

藤原家当主のみがおこなう行事があって、最近それがとだえていたんですよね。南朝の親王の塚の場所の情報も、それと同じく失われてしまった。
でも当代の当主が偶然発見した。立派な石積みの塚が、南アルプス深南部にある。山住神社の社殿がその方向を向いているのは、偶然でしょうかね。

消えた街、集落は現在も進行中です
福島の原発でやられた地域では進行中。
福島の相双地域では悲しい現実が進行中です。

 柿渋といえば番傘が思い浮かぶ。
 番傘といっても、実物を見たことがある人は、じぶんより上の世代だろうな。

(番傘の柿渋染め 湘南和傘 英遊さん)
「写真の番傘は白地の和紙に柿渋を塗り、そのあとに防水油を塗って仕上げました。
柿渋を和紙に塗り重ねしています。柿渋の染めムラが多少あります。またそれが味かも…。」
http://shonanwagasa.com/modules/goods/index.php?lid=113

>嘉永年間(1848―55年)

 アメリカの軍艦からコレラが大流行したのは安政5年(1858年)なので、それより前か。 掘り返して死体のDNAでも調べれば疫病の種類が分かるかも。
 
 あるいは、アヘン戦争の次は日本、ということで軍備増強モードになって皮革製品の需要が急増し、柿渋職人の需要が増えてよそに移住したのかもしれんが。

 ちょっと誤解与えかねん引用してしまった。

 じぶんが「実物」といったのは、あくまで実用品の番傘であって、上で引用したような「げーづつ品」ではないw

 ただ、実用品の番傘って、いくら探しても見つからないんだな。 それはもうどうしょうもないぐらい汚らしいもんでっせw

 あ、これも書き過ぎだ。 その昔、実用品の番傘をこさえた人に申し訳ない。 でも、子供心にも、とてもビューティフルとは思えなかった。 実用性がどれくらいあるかは、見ただけで使ってないのでわかりません。

 番傘 唐傘ともいいました。
色合いはベージュ色とでもいいますか
決して汚らしいものではありませんでした。
母の実家では 屋号入りの番傘でした。その家その家の
屋号入りの注文品です。

実用性はありましたよ。
重かったと記憶してるけど。

 二階堂の兄ちゃんが援護射撃ですw

(れつぞう)
http://www.nikaidou.com/archives/106204

 これを「ねつぞう」と読んだヒトは、よほど目が悪いか、偏見の持ち主ですw

柿渋集落話、うっとり拝見いたしました。
京丸の話も大変興味を持っております。
そうですね。
農民の祖父の矜恃は正規雇用の誇りだったように感じますw
 
番傘は、現役で製造されていますよー。
すごく高いけどものすごく素敵です。
ネットフリマで探すと古物の激安品があります~。
柿渋を使った張り物では一閑張りのバッグが、作るのも持つのも流行っていますね。
私は職場のファサードに無臭柿渋を塗装しております。


>昭和22年カスリン台風の被害を経て、移転問題が進み、昭和56年に新川村はなくなった。

◇幻の新川村・新川エコミュージアム

http://www.shinkawa-muse.net/

> 300年前、ここ・江川河岸にはたくさんの舟があったんだよ・・・。50石や60石の帆掛け舟が河岸に到着するのを待ちかねて、荷物の積み下ろし、荷車がひしめき。米や油・塩の問屋の男衆・女衆の掛け声、そして子どもたちは元気よく走り回ってネ・一面桑園だった明治・大正・昭和の中ごろまでは春・夏・秋蚕で村の人口は蚕日雇いで3倍にも膨れたんだ・。みんな夜も寝ないで、蚕の世話をしたよ。家の中は蚕に占領されていたよ。蚕種屋、共同作業所、さらしや、機屋もあったさ。上分・下久下村・下分江川村はお祭りも盛んだった。土手の向こうから笛や太鼓を打ち鳴らしながら男たちがやってきた。上分には「白蛇様」下分では八幡様のお祭りが賑やかだでね。そうそう、夕暮れになると「おとかっぴ」-狐火をよく見たものさ。

・・・・徳川幕府が米の生産量を増やすために、荒川の流れを変えた歴史がアリマス。廃村が敗戦後の為(河川敷にもかかわらず)電柱があり、墓地(江戸時代の石仏や石碑もある共同墓地)も旧三嶋神社の鳥居も残っている。その昔河岸には回船問屋や筏問屋・塩問屋・油問屋が軒を並べ、江戸浅草と武州新川を結ぶ荒川を帆掛け舟が往復していました。秩父山中から流した木材は筏舟にして江戸へ。

 昭和22年のカスリーン(キャサリーン)台風、死者は1,077名、行方不明者は853名と関東地方に甚大な被害を及ぼす。消えた新川村から南は東京湾へ至るまで、広大な土地が水没しました。

http://www.geocities.jp/fukadasoft/bridges/kuge/ara/index.html

 もう何年もひょっとしたら何十年も使い古したものだったんでしょうね、じぶんが見た記憶のは。 ネットで番傘で検索して、あまりに思い出のイメージと違うのであきれるばかりです。 

京丸のこと取り上げていただき嬉しく思います。春野出身の者です。小学生の頃、学校で京丸ボタンのことを教わった記憶がかすかに残ってます。

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