絶滅しそうなもんを食ってんじゃねえ

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鰻の蒲焼の起源、というんだが、そもそも名前がおかしくて、「蒲焼」というのは「ガマの穂に似ているから」ガマ焼きなんですね。江戸時代の後期に、江戸から広まったのは知られていて、当時の旅行記を読むと、沼津から西に向かった原宿あたり、周囲がぜーんぶ沼地で、盛んに鰻を売っていたんだが、串に刺したアメリカンドッグみたいな蒲焼だったので評判悪かったらしいw その時代、大都会の江戸では、既に開きにして食っていたのだ。埼玉でも東松山だったか、「女郎鰻」というのがあったらしい。吉原で女郎をやっていたオンナが持ち帰った技術で、開きにして焼く、今風の蒲焼です。

 PR活動を続けているのは「浦和のうなぎを育てる会」。代表理事でウナギ料理専門店「中村家」の大森好治さん(76)らによると、浦和周辺にはかつてウナギの生息に適した川や沼地が多くあり、1950年代ごろまでたくさんの天然ウナギが取れたという。当時、旧浦和市(現さいたま市浦和区など)には約50軒の専門店があったが、その後、後継者不足などで徐々に減少し、現在は十数軒ほどしかない。
 「このままでは伝統が途絶えてしまう」。危機感を抱いた大森さんたちは93年に育てる会を発足させ、江戸時代の文献などを基に「かば焼き発祥の地」を宣言した。
 ウナギのかば焼き発祥の地については諸説ある。「日本の伝統産業 物産編」(1978年、通産企画調査会刊)には、浦和のかば焼きについて「宝永年間(一七〇四)、旅人に提供し好評を得たのがはじまりで、蒲焼(かばやき)発祥の地といわれる」との記述がある。中山道・浦和宿を行き交う旅人に提供し、消費地と生産地が直結していたためウナギ店が増えたとみられる。埼玉県立文書館所蔵の古文書「会田真言家文書」(1827年)にも、江戸時代に浦和から江戸・紀州藩邸にかば焼きを献上していたと記されている。
 一方、世界各地の珍しいウナギを展示する堺市の「うなぎミュージアム」の亀井哲夫館長(70)によると、社会風俗を題材にした小説「好色産毛」(1692~97年)の京都の路上を描いた挿絵に「うなぎさきうり同かばやき」と書かれており、上方が発祥の可能性もあるという。ただ、亀井館長は「浦和には川も沼地もあり、交通の要衝だった。かば焼き発祥の地というのは的外れではない」と話している。

江戸で発祥した今風の「蒲焼」が、人の移動につれ、地方に広がっていった。ちなみに鰻のタレは「濃口醤油と味醂が等量」というのが基本で、そこから考えても、濃口醤油と味醂が「商品」として大量に供給されるようになった時代、また、その地域、という事になる。

『駒井日記』(1593年(文禄2年))がみりん(蜜淋)の名称が記されたもっとも古い文献とされる[5]。『本朝食鑑』(1695年(元禄8年))に焼酎を用いた本みりんの製法が記載されている。
『萬寶料理秘密箱』(1785年(天明5年))「赤貝和煮」の記述以降、蕎麦つゆや蒲焼のタレに用いる調味料として使われはじめていった[6][7][8]。
時代とともに、そのエキス分が増すように姿を徐々に変えてゆき、現在の本味淋の形になり、一般家庭でも使われ出したのは第二次世界大戦後だといわれている。

そもそも、江戸の庶民が「醤油」を大量に消費できるようになったのは、千葉で作り始めてからで、江戸時代は水運が輸送の中心だったので、埼玉で「鰻の名所」と呼ばれる、浦和、川越、どちらも新河岸川水運の拠点です。鰻が生息していて穫れるというだけでは名物にならない。鰻と濃口醤油が出会った時にはじめて、「鰻の蒲焼」が完成した。

そんな事より、豆州楽市特選の「たくあん」と「梅干し」です。たくあんは熱海の七尾です。明治時代から特産として知られ、同じ製法でずっと作られてます。秘伝の三年漬けで、深い味わいです。梅干しもまた、三年漬け。こちらは江戸時代から小田原の特産品として知られています。


<(株)友和組合> 元祖七尾たくあん三年漬 3本入り 2500円
三年漬けの味わい深いたくあんです。熱海の高級旅館で明治以来、磨き抜かれた逸品です。ミシュランで星の付いた和食店でも使ってます。でも、三越では買えません。


<蔵元 田中屋本店> 三年漬梅干 17-23粒袋入 送料・税込み1150円 
江戸時代から愛された小田原の梅干しです。塩だけで漬けた本物です。蜂蜜・砂糖などは加えておりません。

豆州楽市がお届けします。
【さいたま】うなぎ「かば焼き発祥は浦和」と主張 江戸時代文献基に宣言 ※諸説あり、というわけで、例によって2ちゃんねるでは無責任なネットすずめたちがピーチク騒いでおります。ニュース速報板からです。
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埼玉県民だけど、浦和がうなぎ推しとか初めて知りました
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↑うなぎはまだいいよ
うちの街なんかナマズ推しだぞ
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↑沼津?
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↑お前らの親が、意図的に教えなかったんだろ?

『鰻なんて美味しくないよ!』
『鰻を食べると痛風になるよ!』
『鰻を食べると糖尿になるよ!』
『鰻を食べると疫痢になるよ!』

とか言って、食わせなかったんだろ?
俺の親みたいに、
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その前に埼玉県なくそう
市町村合併があるんだから
県合併もいいだろ
群馬県になろう
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↑北部を群馬、東部を千葉、秩父を山梨、南部を東京に分割委譲でいいよ
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たしかに浦和にうなぎ屋いっぱいあるな
ほぼ蒲焼きばっか
出してるのは中国産だろうけど
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"かばやき"という言葉の語源と初出はどうなの?
うなぎ以外にも昔から、かばやきが有るのかな?
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↑蒲焼きは今のような形ではなく、長い状態のウナギを串に刺して焼いたものだったらしい
姿形が蒲の穂に似ていたことから名前が着けられた
ちなみに蒲鉾も元々は竹輪
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こういうのはだいたい諸説ありますってコメントがつく
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絶滅しそうなもんを食ってんじゃねえキチガイ
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蒲焼の作り方は、古いところでは室町時代のものといわれる『大草家料理書』に次のようにあります。「宇治丸かばやきの事。丸にあぶりて後に切也。醤油と酒と交て付る也。又山椒味噌付て出しても吉也。」
このように丸のまま串にさして焼いた形が蒲の穂に似ていたのが、蒲焼の語源といわれています。

足利将軍家料理人、大草氏
大草氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/okusa_k.html
>家伝によれば、三郎左衛門尉公経が足利尊氏に仕えたとあり、公経をもって始祖にしている。
>三河国額田郡大草(三河県岡崎市)を領して、大草を家号にしたと伝える。

大草流庖丁道
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↑なるほど~ かばやき自体は背開き腹開きとは関係のない串焼きなんだね
うなぎのかばやき も最初は串に刺しただけなんだろうし
問題は、いつの時代から、今のような開いたものを焼くようになったかだな~
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レッズのマスコットはうなぎ
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日本にかばは居ないから食べすぎで絶滅しちゃったんだな
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うなきは世界中で食べられてるけど、大体どこもぶつ切り
あれを最初に開いてさばくことを考えた人は天才的だわ
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一般的にはどこになってんの? 浜松?
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↑京都
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↑京都の茶人・嘯夕軒宗堅が書いた『料理網目調味抄』(享保13~15年(1728~30年)刊)の調理法が現在の「鰻の蒲焼」の調理法とほぼ一緒の調理法の、文献上の初出だよね

『料理網目調味抄』(※左ページの「鰻」の項目内の記述)(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2557795/19
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いや、元々はカバを焼いて食う料理法なんだからどう考えても起源はアフリカだろ?
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この時期に市役所でやってる鰻まつりにはキャラデザの関係かアンパンマンショーがセットで、
やなせたかしも来てたんだが、へったくそなカラオケ披露してたな。
でも、子供もたくさん集まってきててすごく楽しそうだった。
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埼玉県民的には
寧ろ川越のが有名だが
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昔は屋台や辻売りが串焼きで売ってたらしいね
ジャンル的には滋養食であまり旨くはなかったみたい
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あの鰻の蒲焼きのタレを最初に作った人は本当にすごいと思う
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↑醤油と日本酒と砂糖と味醂だけでしょ。照り焼きのタレと同じ。
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満寿家、小島屋、山崎家、萬店は行った
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蒲焼きはあくまでも野田や銚子の濃口醤油の発達とセットでしょう
文化文政年間に大ヒットしたわけだが、その発端はいまいちわかってない
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屋根より高いうなぎのぼり
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昔、田舎に帰ると爺ちゃんが近所の川から鰻を取ってきて七輪で焼いて食べさせてくれた思ひ出
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浦和には江戸時代からうなぎの養殖池があるし、
浦和のすぐ北の街の川越が「うなぎの食べ納め」と言われる街で、
その先は暫く出す店がなかったからな。
 
江戸を出て最初の宿になる、中山道の浦和宿と言えば、昔から酒とうなぎだ。
良い水が出るので酒も盛んだった。
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別所沼の浦和うなこちゃんが盗まれてしばらく不在だった時は悲しかった
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まあ古くからあるから割と根拠はあるんだけどな
知名度は低いけど
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あんな蛇みたいににょろにょろした怪しいの食べるしかなかったのは貧乏人だろうから
埼玉浦和で間違いないとおもう
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池波正太郎は江戸後期の上方で今のような食べ方するようになったとか度々書いてたな
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関東で余るほど酒や醤油が作れるようになるのは元禄以降だから宝永だとありえるな
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明治の初めまで渋谷にカワウソがいたんだから
浦和には川も沼地もありってのも特別ではない
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ワールドカップの後の渋谷で捕れた獲物でバカ焼きを味わう
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バカは煮ても焼いても食えないw

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江戸の頃はその辺の川で普通に鰻がとれた。
名産物のない地域があちこちで鰻を「名産」に。
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関東は蒸すから脂が落ちて台無しになる
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↑関西風にしろひつまぶしにしろ柳川のせいろ蒸しにしろ、脂を如何にして落とすか、って話で、関西風だから脂落としてない、って話じゃないんだよw
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仕事で毎年浦和行くけど浦和でうなぎ食ったことないな
ホテル前とかにあるから食おうか迷って結局止めちゃう
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↑中村屋さんは埼玉会館の向かいですから寄ってみてください
ただし、予約して行くのをお薦めします!
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うなぎが旨い店多いのって愛知・岐阜・浜松だよなぁ
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↑愛知はそう多くない
多いのは三重の津
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↑多いよ
窯業やってるとこは鰻がつきもんなんだ
釜焼き職人のスタミナ飯だな

瀬戸、常滑、岐阜になるけど瀬戸の隣の多治見
この辺りは鰻屋が多い
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綺麗な湧水を大量に使える鰻屋には勝てない
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なぜ関東には鰻の握り寿司が無いのか?
関東人に聞いたら、穴子の握り寿司があるから鰻の握り寿司は要らないだろうと意味不明な意見が返って来る。
鰻と穴子全然違うのに、その違いすらわからないのか?!
関東人が鰻を愛してるとは思えない。
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浦和ってメンタリティが半島に近いからなぁ・・・
こうやって起源を主張したり、狂ったようにサッカー応援したりする
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↑埼玉の平壌とか言われるだけのことはあるな
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室町時代の大草家料理書にウナギの蒲焼の製法が書いてある。
これが初見だから京都も浦和も捏造すんじゃねえよ。
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↑それってぶつ切りを棒に刺して焼いたのを蒲に見立てた初期の蒲焼きだろ?
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発祥の地は譲るが、美味しいのは三島の鰻
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うなぎを守れというが蒲焼になってしまったうなぎを川に投げ込んでも泳ぎ出す訳じゃないし個人で何が出来るんだろう
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一時期荒川にいたアザラシも、うなぎを食って生きてたらしいな。
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うなぎのゼリー寄せはイギリス発祥で異議はないでしょうか?
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まあ沼が多いから一大産地だったのはあるだろうな
江戸から近いし
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そういや、川越もウナギが名物だな
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剣客商売なんか読むと、当時(田沼時代)うなぎはそのまんま焼くのが主流で、
蒲焼きは徐々に出てきたかなという程度だったらしい
それよりあとの文化文政の頃は白蒸しの蒲焼きになって、
平賀源内が「本日土用の丑」の看板を立てさせた話は有名
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ウナギの生産量

1位 鹿児島県 6,838 t
2位 愛知県 4,918 t
3位 宮崎県 3,167 t
4位 静岡県 1,490 t
5位 三重県 292 t
6位 徳島県 272 t
7位 高知県 216 t
8位 熊本県 179 t
9位 大分県 83 t
10位 愛媛県 43 t

ウナギは南九州・東海・四国でしかほとんどとれない
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うな丼がなぜ開発されたかというと、
陶工「窯は熱くて火入れすると何日も眠れないので手っ取り早く栄養補給する必要があった」
職人考案したってのが最初だ
ウナギの生産地や陶磁器などが盛んなところで大昔から食べられてきたのがウナギだよ
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発祥とか強く主張するのはいかがなものか。
半島臭が漂う。うなぎはいい匂いなのに
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三島の鰻というのは、アレだ、田方の百姓が作物を売りに三島までやって来て、当時の米倉庫は六反田というところにあったんだが、その跡地が青果市場だった。場所は広小路の近くで、作物を売ってカネになると、そのカネで肥料を仕入れたり、種子を仕入れたり、ついでに、三島には女郎がいたのでオンナも買うんだが、オンナを抱くために「精を付ける」というので、鰻ですw 昔から鰻屋というのは女郎屋の近所にあるというのが相場ですw

コメント(12)

>浦和発祥

 ほんとは川越だったりして。 発祥地争いにそうガツガツしてないだけでw 

>埼玉でも東松山だったか、「女郎鰻」というのがあったらしい。吉原で女郎をやっていたオンナが持ち帰った技術で、開きにして焼く、今風の蒲焼です。

・・・小川町ですなぁ~。女郎うなぎの由来は旅館の2代目主人善兵衛の頃に、吉原の女郎が小川町近辺の材木問屋の旦那に水揚げされて小川町まで連れて来られ ・・・(略)、そのお礼にと、女郎の実家・深川の鰻屋の秘伝のたれの味を旅館の主人に教えたのが始まり。ウナギのかば焼き発祥の地については諸説アリマス。さいたま市浦和区などのウナギ料理店などが「ウナギのかば焼き発祥の地」としてPR活動に力を入れマス。社会風俗を題材にした小説「好色産毛」(1692~97年)の京都の路上を描いた挿絵に⇒「うなぎさきうり同かばやき」と書かれており、上方が発祥の可能性もある。浜松は養鰻(ようまん)(=ウナギの養殖)をアピール。

 現代のウナギ事情ですが、積極的に購入している、或いはこだわっているのは高齢者で⇒土用の丑の日にも高齢層が好んで食べてイマス。絶滅寸前で量が減ってきており、価格が高騰しているウナギが、去年1年で2.7トンも廃棄されていました。元々ウナギに関しては「流通経路」が不透明で、「乱獲」も懸念されていマス。日本の養殖池に入れられるニホンウナギの6〜7割が、違法に漁獲された可能性が高い893家業。ヤクザの御蔭で稚魚の45.45%が密漁など違法取引、早急な対策を導入することが必要と解って居るが現状維持。価格高騰を受けて、割安なウナギ風蒲焼きが続々と登場中~。源内先生は『う』の付く食べ物を食せの、駄洒落世界の噺だった様な・・・。

◇埼玉県小川町の女郎うなぎ福助ホームページ。福助の歴史ページです。女郎うなぎの名前の由来。女郎うなぎ福助を訪れた有名人。明治時代に建てられたお店の雰囲気などをご紹介。

http://joro-unagi-fukusuke.jp/rekisi.html

 あと、せいろ蒸しなら、九州柳川で元和元年(1615年)

「当 本吉屋は、天和元年(1681年)”うなぎのせいろむし”を世に出して以来今日まで、三百有余年間、初代秘伝のタレと料理技術を忠実に継承してまいりました。」
http://www.yanagawa-cci.or.jp/kigyo/kigy0361.html

 ま、蒲焼きとは少し違うが。

(せいろ蒸し・・元祖のではありません、柳川というか別館のほうの羽犬塚のUMORIとかいう店)
http://saraya-fukuryu.com/umori/

 天和だったw 元和とは還暦以上も年が離れてるw それでも浦和か関東のどっかの蒲焼きよりは30年以上早いのでは。 ただ、うどん(うろん)発祥の地のはずの博多のうどんが全国的には広まらないのといっしょで(タモリが博多うどんの店を東京で出したらしいが客が来なくて諦めたらしいw)、このせいろ蒸しも柳川近辺から広まりませんな。

浦和でも大宮でも構はぬが、芝川・新芝川沿ひの低地の話ではないか川や沼地とは。
現在に於ても火葬場、ゴミ處理場または食肉處理場が設置され、人心は荒み車の運轉まで荒い。見沼なる地名が取沙汰されたが如く、丸ごと被差別部落ではと指摘に及んでゐる譯だ。


表の歴史もあれば裏の歴史もあるのだと。
さうした覺悟があつて表舞臺に表れたかと問ひたい氣分である。

> 1位 鹿児島県 6,838 t
> 2位 愛知県 4,918 t
> 3位 宮崎県 3,167 t
> 4位 静岡県 1,490 t

鹿児島や宮崎には、石倉というものがあるんだよ。
http://www.kitakawamori.jp/?cat=22

静岡県も順位を上げたかったら石倉を作るんですな。

3年ほど前まで,年に1回ウナギを食べていました。
私は大阪在住なので,近所で売っているウナギのかば焼きは,関西風の焼き方で私や亡父は嫌っています。
近所のデパ地下で「江戸焼き」のを買っていました。
絶滅危惧種だというのがいよいよ深刻になってきたので近年は食べてません。

絶滅危惧種を食べるんじゃねぇ!なんだけど,話題は尽きませんね。少しだけ書くと・・・
1)イオンが扱っている代用魚「パンガシウス」は結構いけるらしい。
2)ウナギの売れ残りはたくさん廃棄される。
3)ウナギの稚魚は流通量が怪しい。正式の量と同じくらいヤミから流通しているらしく,暴力団関係者が稚魚を捕獲・流通させているようである。

もりへー さんへ
源内先生は『う』の付く食べ物を食せの、駄洒落世界の噺だった様な・・・。

というけど,ウナギはそれなりの健康食品です。
源内先生は【あまざけ】もおすすめだったそうで,こっちは【ファイト~!いっぱぁつ!】みたいな滋養飲料です。
古い記事見つけました
【土用丑の日、うなぎの代替品は「あま酒」。かねこみそが平賀源内をキャラクターに甘酒推奨キャンペーン展開 かねこみそ株式会社 2013年7月】
https://www.value-press.com/pressrelease/113465

鰻もマグロと同じく、海外の連中も味を覚えて大量消費し始めたから資源枯渇しているんですなあ。
もともと鰻の蒲焼云々のウンチクの通りぶつ切りで焼いてたのを開いて強火で焼き小骨を柔らかくし油を落とす、皮の臭いを消すため強いタレで味を付けるというのはすぐれた調理法でして、どこの国の奴でも旨いといいますな。

最初は日本の商社が中国で養殖してかば焼きを現地生産させてたのを、農水とやくざがイチャモンつけて潰してしまって一時日本向け輸出が途絶えたんですな。そのときアジアから全世界にかば焼きを売り出したのは中国人です。

そしてもう一度かば焼きの味を覚えさせたらそりゃあバカバカ生産します。
シンガポールで現地の子に連れていかれた日本的食堂なんか、蕎麦にもカレーにもあらかたのメニューにかば焼きが載ってた。まあそういう食い方ですから、日本人とは違ってありがたがってちびちび食ったりしない。
というわけでヨーロッパ鰻の稚魚も全く入ってこなくなったのは中国と取り合いのせいですな。

やくざ云々というのは海産物関係とか、特殊農産物(具体名は恐ろしくて言えない)関係はみんなそう。
只の同業者組合なのかやくざなのか役所なのかわからんところが日本的でして、築地でも本当は外に出ない話はたくさんあるわけです。
いやそれが中央卸売市場法ができた原因でもあるわけですが、日本人でそれを覚えている人はほとんどいませんな。


【クックパッド】甘酒作り&活用レシピ まとめ

https://matome.naver.jp/odai/2142171985404118001?&page=1


◇100種以上の酵素が詰まった、日本古来のスーパーフード!酒粕


●食物繊維のような働きをするタンパク質として話題の“レジスタントプロテイン”を豊富に含む。

●酵母菌の働きでアミノ酸の数がお米の583倍に増加。ヒトの必須アミノ酸の9種類すべてを含む。

●ビタミンB2は26倍、ビタミンB6は47倍に増加し、美容やアンチエイジングに効果的。

●消化酵素、代謝酵素など、100種類を超える酵素を含む。

・・・甘酒は冬に体を温める飲み物で無く、夏のスタミナ補給ドリンクとしても飲まれていた歴史があります。缶の甘酒は長期保存できるので、いつでも使えるので便利。一番簡単でシンプル甘麹の作り方は、魔法瓶を使った方法かな? 美味しい甘酒を食べたいなら、『甘酒はできたてが一番美味しい!』ので自家製が良いでしょう。(乾燥麹でも楽に作れマス)

またテキトーに偉そうな事をw
鰻なんて元来は何処の河川でも獲れてて、
どう食するか?ぐらいの事で、
紀州の醤油が千葉方面に渡らなくては、
そんな文化も無かったでしょww

>江戸を出て最初の宿になる、中山道の浦和宿

こんな嘘をしれっとつくのはさすが浦和
最初の宿は荒川の向こうは蕨、内側は板橋
幕末近くまで参勤交代でも蕨が江戸に入る前の定宿
加賀藩に裏工作してその地位を取ってから浦和が栄えたんでしょうに
春日部が県庁になるのも工作で掠め取り
蒲焼の起源を僭称
まぁその調子で頑張ってください

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