加賀国 織田製

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こういうのは日本製なんだが、国内にはほとんど残されていない。輸出用です。1890年頃からアメリカに輸出された物が、里帰りで日本に入ってきている。「加賀国 織田製」との表示が高台にある。この、フルデコレートの食器類はアメリカ人に人気があったようで、戦後まで進駐軍のお土産として商売は盛んだったようだ。加賀国とあるが、織田商店というのは商社であって、横浜の会社です。末裔が今でも横浜の元町で洋服屋をやっているようだ。

私は石川県小松市に近い寺井というまちで生まれました。生家は古くから陶芸品を手がけていました。焼き物を作りながら、九谷、伊万里、薩摩なども扱っていました。明治14年、祖父の織田庄作が横浜に出てきて弁天通り(現 関内の一角)に陶器店を開きました。九谷のほか、瀬戸からも陶器を取り寄せて販売していました。一時期、弘明寺(南区)に織田オリジナル陶器を焼くため、自前の窯を持っていました。人が立ったまま出入りできるほどの大きさで、使う電気で市電(路面電車)一両を動かすことができました。 関東大震災まで弁天通りで商売を続け、その後、元町一丁目に移りました。

私は高等小学校(現在の中学生)のころ、父とともに横浜へ出てきました。織田陶器店は戦後、東京のお得意先からの注文を受け、白い生地の皿などに花鳥風月の和風絵を描いたオリジナルディナーセットを制作し、納めることが増えていました。運ぶのは私の役目でした。

納めるといっても1ダース単位のディナーセットは梱包するとかなりの数、重さになります。朝早く起き、荷造りしてリヤカーに積み込み、弁当を持って6時に出発します。当時の第一京浜国道は荷馬車が行き交い、たまに車が走ってくる程度です。リヤカーを引く自転車はスイスイ走れました。川崎を過ぎ、多摩川に着いて弁当をひろげ休憩をとります。お得意先はもうすぐです。納品を済ませ、元町へ戻り、残りの荷を積んで再びお客さまのところへ持っていく。そんな日が続きました。山手にもたくさんの外国人が住んでいましたが、織田陶器店に注文をくれるお客さまの多くが東京の方たちでした。口コミで評判が広まり、スペイン大使館からも大量のディナーセットを頼まれたことがあります。

証言をしているのは、大正4年生まれの爺さんです。器は薄手のエッグシェルと呼ばれる磁器で、透けて見えるほど。そこに色絵付けをして再度焼き、更に金彩を施して更にもう一度焼く。手間もかかるし、技術も高度な物が要求される。絵は華麗だが、手描きではない。派手なので、ヤフオクあたりではかなり高値が付きますw

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血筋という言葉があり、最近ならDNAですかね。

織田氏はもともと越前から出て北陸に広がった氏族で、剣神社なんかで検索すれば出てきます。朝倉の下剋上で本国を追い出され主君斯波氏と流れ着いた尾張で土着したのが織田信長の三代くらい前ですな。

ところで織田氏には剣神社の祭祀とともに製鉄・窯業の技術的な伝承があったんでしょうな。忌部氏も引っかけるとそのあたりが出てきます。
同族のネットワークが日本の各地産業の根っこになっている好事例でしょう。

まあ信長の茶器など焼き物好きの理由もわかりますな。血筋です。
(織田信成は知らん)

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