中国人が制覇して大和になったのではない

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縄文人とかいう話題になると、ネットは盛り上がるw 卑弥呼とおんなしw 縄文人は弥生人によって「駆逐」されたわけではなく、大陸からの文化を受容した縄文人が弥生化していった、少なくとも両者の激しい衝突というのはなかった、というのが認められつつある。大陸から水稲文化が流入したのは大きなエポックメーキングだったが、一度に大量の移民があったわけでもなく、また、水稲栽培に適した土地というのは縄文人の生活圏の外だったので、利害関係もなかった。ヒトはコメだけで生きられるわけじゃないので、水稲文化の移民たちも、採れたコメを物々交換で肉や魚と交換して相互にメリットがあっただろう。また、大陸からの移民も「宗教」に汚染される前のせいぜい原始道教だったので、人種の混交も進む。例外的なのは近畿圏で、アレは移民の巣です。今でも近畿圏だけは色々と違う。文化もDNAもw

 縄文人は農耕をしたのか--。首都大学東京の山田昌久教授(考古学)らが今年、全国5カ所の研究施設と協力し、縄文人が食べた可能性がある植物の本格調査を始めた。北陸からは能登町の町真脇遺跡縄文館が参加。野生種の豆を植え、肥料の有無による収穫量の違いなどを調べて、遺跡から出土した植物の種などと比較する。研究の最先端を走る大学と、遺跡を熟知する地域がタッグを組み、歴史の謎に挑む。
 調査では、縄文時代に植物が大型化したメカニズムの解明を目指す。研究チームによると、近年、各地の縄文遺跡の発掘調査で、クリやツルマメ(大豆の祖先)などが野生の状態より大きく育っていたことが分かった。遺伝子の突然変異のほか日当たり、栄養などの環境が影響するとみて、調査を計画した。食べられる植物を縄文人が大量に得ていた状況が明らかになれば、農耕が行われていた可能性も浮かぶ。

もっとも原始的な農業は、焼き畑だと言われている。今でも西日本には焼き畑が残ってます。焼き畑によって余分な草木を除去し、灰は肥料となる。西日本の焼き畑で、山を焼くと、まっ先に生えてくるのが茶の木だというw 茶の木がいつ、日本に入ってきたのかも不明なんだが、もしかして、それこそ、弥生とか縄文時代からあったのではないか、とも言われている。そもそも、中国でも、「お茶」が飲料となったのは有史時代だが、それ以前から「煎じて飲むクスリ」として存在していたという話もあるのだ。

そんな事よりうなぎ缶詰だ。オリンピックでメダルを獲った水泳女子選手が、「鰻の缶詰」をリオに持ち込んで食っていた、という報道があったね。多分、コレです。また一つ、伝説に追加ですw 戦前からうなぎの缶詰だけを作り続けてきたメーカーさんです。潜水艦で、拘置所で、登山で、過酷な環境で愛されてきた逸品です。歌人の斎藤茂吉は、戦争中に買い占めてチビチビ大事に食べていました。もちろん、浜名湖の国産うなぎです。


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浜名湖産のうなぎ蒲焼を缶詰にしました。缶詰なので蒲焼のタレが芯まで滲み込み佃煮風。うな丼に、お茶漬けに、ひつまぶしに。
その日に調理したうなぎを蒲焼きに加工し、そのまま缶に詰めました。夏バテや夜盲症を予防するビタミンAが豊富に含まれています。

豆州楽市がお届けします。
【考古】縄文人は農耕をしたか 大学×地域、歴史の謎挑む 植物大型化、解明目指し、というわけで、例によって2ちゃんねるでは無責任なネットすずめたちがピーチク騒いでおります。ニュース速報板からです。
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弥生人だけでは人手不足だから、現代と同じように実習生奴隷程度の事はしただろ。
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縄文、弥生で日本人を分断する意図での、こいつ等のウソもバレてきたな
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弥生時代は定義が曖昧になっているから廃止した方がいいわ
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水耕はまだしてなかったんじゃなかったか
陸稲作ってたと聞いたような
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↑日本の稲作開始は陸稲栽培で
6700年程度前まで遡れる
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↑縄文時代に陸稲があったと
考古学会は沸き立って
そのあと一生懸命頑張って調べたけど
精度が上がった最新の研究でも確かな痕跡が出てこないので
今は懐疑的な状態
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三内丸山遺跡で栗の栽培してて近隣の野生種より
実が大きくて沢山なるように改良されてたって
テレビでやってたな
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↑あーいきなりせーかいいうてもーたな(スレしゅーりょー
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弥生を調べれば調べるほど
縄文が色濃く残っていて
時代の分断なんかあったのか?って気持ちになるって
考古学者が言ってたな
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貝塚の堆積具合を見ると潮干狩りだけでも十分なんだろう
あとは季節の山菜と栗拾い
集落の周りは野グソで自然に栄養与えられて栗の実は大きくなる
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そろそろ在日朝鮮人がワラワラ出て来るぞ
半島からから来た弥生人が縄文人を征服したニダ
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南関東と畿内の日本国内人口シェア

縄文早期8100年前 南関東35.8% 畿内 0.5%
縄文前期5200年前 南関東28.6% 畿内 0.4%
縄文中期4300年前 南関東27.4% 畿内 0.2%
縄文後期3300年前 南関東21.7% 畿内 0.7%
縄文晩期2900年前 南関東 5.0% 畿内 1.1%
弥生時代  200年 南関東10.0% 畿内 5.1%
奈良時代  725年 南関東 9.4% 畿内10.1%
平安遷都  800年 南関東 9.4% 畿内10.4%
平安前期  900年 南関東11.3% 畿内 8.1%
平安末期 1150年 南関東13.0% 畿内 7.3%
関ヶ原合戦1600年 南関東10.6% 畿内18.6%
享保改革 1721年 南関東12.6% 畿内 8.6%
寛政改革 1792年 南関東11.6% 畿内 8.1%
明治維新 1873年 南関東10.7% 畿内 6.1%
明治23年1890年 南関東11.7% 畿内 6.7%
大正 9年1920年 南関東13.7% 畿内 7.9%
昭和25年1950年 南関東15.6% 畿内 7.7%
昭和50年1975年 南関東24.2% 畿内10.5%
平成 7年1995年 南関東25.9% 畿内10.2%
平成17年2015年 南関東31.9% 畿内 9.9%
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組織的収奪がない時代だから生活豊かなものよ
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縄文時代ってすんげえ長いけどあんま誰も気にしない件
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縄文人も弥生人も何で文字使わんかったんやろな?
当時の事は中国の歴史書頼らな分からんってちょっと悲しい
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↑文字は基本的にゲス
最古の文字はぜ~んぶ貸し借りの証文
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灌漑技術が無きゃ、固定された田畑なんて成立しないんじゃないの?
大水の後の川岸とか、土地が肥えてそうな場所に種を蒔いてみるって感じじゃね?
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↑水田はそうだけど、畑は違うよ。
うちの地域の畑で、灌漑設備がしてあるのはないよ。
水が引けないから畑のままなんだよ。
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↑畑→湛水灌漑せずに農作物を栽培する耕地

焼畑は灌漑を利用しない天水農業で
人類最初の農業形態であったと考えられている
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ある程度の期間とどまれる集落が存在したということは農耕をやっていたということ
狩猟採集だけならとどまれない
大型の哺乳類を追いかけながら移動するしか無い
とどまる理由がない
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ある日、朝鮮半島から、ずる賢いお猿さん(弥生人) 
が日本列島にやってきました。

縄文人の方、どうかお願いします、
二、三日でいいから泊めてください。

しかし、一年たっても、ずる賢いお猿さん(弥生人) 
は日本列島から出ていかず、

「この土地は昔からオレらのものだ」

と言い出しました。
それから、仲間を呼び寄せて、縄文人を 
襲撃し始めました。
縄文人は、数で負けて逃げる他はありません。
しまいに、ずる賢いお猿さん(弥生人)たちは、

「自分たちが日本人で、あいつらは土人だ」 

と言い始めました。
そして、おまえらの土地をすべて差し出し、
日本列島から出て行けと言いました。

良かったねw
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笑ったw何周遅れの知識だよ
縄文中期に稲作の痕跡あった大矢遺跡発見は考古学的に無かった事になってるのかw
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果樹や栗なんかと一年草のコメ麦とでは社会のありようが全く違う
果樹なんかはかなり早くから狩猟採取がメインの部族でも行ってただろう
食べた後のタネをそこら辺に吐き出しておけば芽を出し
勝手に育っていずれ実をつける
だが一年草は暦がいるし灌漑も必要になるその分収穫は早く量も多い
人数を養えるのでその分社会は大きくなれるし栽培量も増える
社会のありようが全く変わる
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焼き畑に種を直播きだろうよ
弥生のように耕すための農具がないし、備蓄するためのネズミ返し付き高床式も作れないから、自宅分だけ作ってオシマイ
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↑木の桑のような物は縄文遺跡の湿原地帯から見つかってる
木を伐採して農地化する技術は無いと思うが
草を掃って農地化する技術は持っている
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縄文人の子孫なら、北海道のアイヌと沖縄県人だ。
なぜか、ネトウヨは嫌いなんだよな。
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↑沖縄県人は本土人とほぼ同じということが分かっている
アイヌはいくつか系統があるが、
一部は純粋な縄文人の子孫であると見られている

沖縄人が日本人ではないという主張は大陸系
昔からシナが欲しがっているから
遺伝的には、ほぼ日本人と言っていい
むしろ朝鮮に進出して大陸に近づく前の純日本人だよ
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↑本土もそうだけど
ただ江南辺りの人間が稲を持ってやって来て、相対的に数が増えたんだよ
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稲も水張らずに畑みたいな場所で半自生栽培やってる農家あるよ。雑草と稲が一緒に育ってる。収穫は少ないが無農薬で世話もほとんどしない
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現代日本の感覚からは、農耕は水稲の稲作とイコールに近いのだが、
世界的なレベルでは決してそうでもないよね。

縄文時代に水稲の稲作はまだ本格的に始まっては居ないけど、
陸稲やサトイモなんかの栽培は既に開始されていたとみるのが大勢。
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愛知の遺跡とか縄文の上に弥生の上書きじゃなくて段々弥生系になってるんよね
単に大陸から技術運ばれてきて練度上がって進歩しただけでないのけ
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石器時代から土器文明になった縄文に移行した縄文前期に
九州の鬼界カルデラの噴火で九州まるこげ西日本でも噴火の影響で長く文明が開かなかった
その間に北日本や北陸を中心に文明が花開きそれが縄文文明となっていった

そのうちに鬼界カルデラや富士山などの噴火が収まり
縄文後期に西日本にも文明がひらき大きく成長
この移行の段階で西日本の文明は大きく成長しこれが弥生文明に移行しただけ
縄文と弥生の対立構造ではなく西日本の状態が落ち着き新しく成長した文明が弥生

この当たり前の地学的な事実を認めると西日本主体でシナリオを切ってきた古来の日本の考古学崩れるのでイヤイヤしてるだけ
一時なんてな、西日本の文明より古い地層に遺跡があるワケがない!
関東に遺跡はない無人だったんだとし
関東や東北の発掘調査を拒否したりしてたんだぜ日本の考古学学会
そのため関東の石器時代から縄文前期の遺跡を発見したのは学者でなく素人だったりする
今は東北北陸関東に縄文の遺跡が見つかりそれを認定したため
縄文時代がやたら長くなった
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むしろ西日本日本の考古学の中心にしたい人らが
東北・関東の縄文や石器時代の遺跡の認定を遅らせたんだけどなw
日本の文明は西日本より北日本で先に花開いたのだから
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日本は灌漑しないと本格的水田は手に入らない
灌漑と言っても水を引くのではなく排水ね
低地は湿地だらけだったので水田作るのも不向き
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↑だから、山裾の谷田から始まったのだろうな。
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↑低湿地も田んぼとして利用されてるよ、「ふけ田」「深田」「ふき田」なんて地名の所はだいたいそんな場所。
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韓半島からの渡来人に文化を学んだ縄文人は種まきを覚えたかも知れないし、
混血すればするほど優秀な頭脳になるから
農耕と呼べるレベルまで発達したかもしれない。
いずれにしてもその鍵は、渡来系弥生人との距離如何だよ。
けっして縄文人の自発的な発明ではない。
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↑縄文人は馬鹿だということにしたいニカ?
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ゴマだのヒョウタンだのの栽培植物が出土してるんだから議論するまでもなく
農耕してたのは明白なんよ
ただ日本人はずっと水田稲作を特別視してて農耕=稲作だったから
縄文は農耕なしということになってたの
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春秋戦国時代に、中国の中原の地を追われた人たちが、雲南省を経由してインドにまで流れ着いたという話がある。インドではシンポー族と呼ばれていて、ビルマではカチン族と呼ばれる。おいら、カチン族ゲリラの親分を知ってるんだが、本人も奥さんも明らかに中国系の顔立ちです。19世紀に、シンポー族の長ビーサガムは、アッサムの地でイギリス人のブルースという人物に出会い、自分たちが先祖代々、お茶を携えながら辿り着いたという歴史を聞かせる。インドにお茶があると知らなかったイギリス人は驚き、それがはたして中国のお茶と同じモノなのか、論議が巻き起こる。このブルース大佐の弟が、その苗と種子を手に入れ、アッサムの紅茶栽培の始祖となる。紅茶業界では、「ブルースブラザーズ」といえば、この兄弟の事ですw ビーサガムの子孫は代々、この地で暮らし、今でもお茶を作って飲んでいる。その四代目の言葉。「祖先が運んで来た茶を、ここでイギリス人と一緒に新しい紅茶に作り変え、今、インドの人たちが毎日飲んでいる。とても嬉しい」と。インドの紅茶栽培はわずか200年弱の歴史しかないので、こうして記録が残っているんだが、日本に伝わった稲作にも、そんな物語があったのだろう。

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とうほぐの縄文時代が終わったのって1900年代に入ってかららしいな
おしんの幼少期の時代
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三内丸山の六本柱は現在も各地神社で行われてる柱祭祀が縄文起源と推定できる証拠なのよ
あーゆーでかいシンボル造りたがるのはヤマト民族
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米や麦のように環境を大きく壊す農業はしなかっただけ
栗や豆類 
労せず育つ作物は当然縄文人は育ててた
弥生人やその後の渡来人達が水田を持ってきて
日本の食性を米中心に強制した
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東南アジアとの交流はあっただろうな
南米のアルゼンチンあたりで日本の土壌で作られたらしい
縄文式土器が見つかったとか聞いたことがある
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弥生人というのは古代中国の春秋戦国時代に戦乱を避けて大陸から日本へ渡来してきた人たちらしい。
彼らは現在の九州へ上陸して稲作をしながら当時の原住民の縄文人を駆逐しながら次第に居住地域を広げていった。
これが神武東征のモデルとなった。
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↑戦争難民が日本列島で征服者になれるわけがない。
ヨーロッパで起きていることと同じで大陸から受け入れた難民(弥生人)の人口が自然増したのが実態。
弥生人が大陸から疫病を持ち込んだことで、縄文人が減少した可能性はある。
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↑戦乱で移住した人もいたろうが、日本語と中国語は言語体系が違うから中国人が制覇して大和になったのではない
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これいつまで縄文人と弥生人を分けているのだろういい加減定義廃止した方がいいよ
現にDNA解析で同じ人と分かってきてるからな
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単純だけど縄文系の方が人間として世界基準だわ
弥生系は寒冷地対応が変な方に進んだ欧米人から見たら典型的なダウン症顔なんでしょ
俺は一重直毛の典型的な弥生顔だけど友人の縄文ぽい顔は素直に羨ましい
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つかなんか知らんけど「縄文人」「弥生人」とか言う別人種の入れ替わりが起こったかのような珍妙な事言ってる奴が多いよな
挙句なんの根拠か知らんけど「耳垢が湿ってる」だの訳の分からんことを上げて違うとか言い張ってるし
誰がこの馬鹿話を広めてるんだかね
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↑典型的な縄文人と弥生人では骨格が全く異なる別人種。
ただ、雑種が沢山生まれたようだ。
レイプもあっただろうし、ラブラブもいただろう。
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未開の縄文人が住んでいる土地に、ある日突然「進んだ文化を持った弥生人」がやって来た、
という、これまで教え込まれていたのが違うんだろうな。
こういうことを言うのは、考古学者にはあんまりいない。
なんでかというと、そんなくっきりした区別がつく遺跡なんてないから。
どこも、「縄文の流れを引いたものにプラスして少し新しいものが交じる」
縄文と弥生の区別なんてどこにあるのかわからない。

縄文遺跡から、たくさんの栽培植物の種が出てくる。

文化はすべて高い方から低い方へ一方的に流れるのであり、世界の文明の中心・発祥は地中海!
という欧米の価値観に洗脳された学者には真実は見えない。
そこに栽培植物があっても、見なかったことにしている。

大豆は、東アジア原産だが、もしかすると日本で改良された植物かもしれんらしい。
洗脳された学者は、そんなことは考えもしない。全く科学的ではない。
土器も世界最古で、もしかすると大豆も栽培してたかも知れんが、日本が最古とか
日本で始めた農耕があってはならないのだろう。
うるしもどっかから「伝わった」w
日本には、「すべてどこかから伝わった」ww

世界には「黒土地帯」ってのがあって、そこは古くから農耕をやってた土地だ。
日本だけは、やっていないことにされてるけどな。
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まず、最初の弥生遺跡と言われる菜畑遺跡では
「弥生土器や新しい農工具とともに【従来の縄文土器が使われている】」

外国人が来たというなら【全部外国の物になる】のが当たり前
なぜなら土器は買う物ではなくて自分で作って使う物だから
なんで敢えて外国の使い慣れないものに一部変更する必要があるのか
そしてこれは弥生の遺跡全般に言えることで他遺跡でも縄文の従来道具と新式の道具を併用してる
極稀に外国の道具オンリーの場所などがあるが、これが逆に「外国人がそのまま住み着いたらこうなる」というケースとなり他との違いがはっきり分かる

つまり、今までなかった道具を縄文人が受け入れて使ってるだけの事なのが分かる
弥生と縄文の違いは「縄文人が新式の道具を受け入れた」という技術的な変化ということなのが明確
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そして弥生式の土器
いゆわる、遠賀川式土器という奴は九州から離れて東へ伝播していくわけだが、この過程において【ドンドン在地の土器の特徴を受け入れて変化している】

これがどういうことかというと「征服者のヤヨイジン」とやらが東へ進んでいくなら土器もそのままの形で移動していくはず
征服者の生活スタイルがそのまま広まっていくわけだからな
ところが原型をとどめないくらい在地の影響に染まって変化していく
そしてそれ以外の古い道具は従来の縄文土器のまま

これはつまり
征服者がどうのじゃなくて新しい技術だけがどんどん模倣されて東伝してることを意味してるわけだ
弥生と縄文の違いは「江戸と明治」の変化のように文明の受容でしかないのが分かる
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↑それが正しいかもね、中東地域からヨーロッパへの農業の伝播と調べるとアナトリアや旧ユーゴ辺りまではある程度遺伝的な移動とリンクするけど
中欧から西欧にかけてはほぼ技術の伝播だけになるから
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いつまで人種の違いを強調したいのかね。
栽培法知れば縄文人だって稲作やってんだろ
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姶良カルデラの大噴火で九州の縄文人は1度絶滅したって言われてるよな
そのときの大噴火で、縄文人が四散して南洋諸島から果ては南米まで辿り着いたとか説もあるとかないとかw
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だから縄文人と弥生人の戦争なんてなかったんだって

地学的に
縄文初期に鬼界カルデラが噴火、これにより縄文初期九州の文明はまるこげ一旦ゼロに
同じく西日本も火山灰の影響で生活厳しく集落が小型化=当時は西日本は田舎
逆に東日本や沖縄はでは気候が良かった事もあり集落が大型化し文明が花開いた=当時の都市であり文明の中心は北日本にあり大陸との独自交流のあともある
これが縄文時代

縄文後期になり九州や富士山箱根の噴火が収まり生活がし易くなった西日本
集落がやっと大型化し西日本でも大陸との交流・流入が始まり弥生文化に昇華していく
片や勢いのあった東方は今度は十和田湖・蔵王の噴火により集落が消えたり小型化する
そうして立場が逆転していった
これが弥生の始まり
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農耕どころか鮒やカキの養殖もしてた可能性がある
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そもそも神事や祝い事に使う赤飯は温暖な南方の大陸から伝わった古代米から来てるんだろ
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日本の考古学はちゃんと地学も取り入れるべきなのに
昭和日本の考古学はろくに地学を取り入れずに日本書紀が大切で
西日本中心に日本の考古学を成り立てるのに必死だった
だから頓珍漢な事が定説になってしまっている

一時期はこの地層より下に遺跡なーし!とし
関東や東北の石器時代ー縄文初期の遺跡を一切学会では認めなかった
素人が発掘・発見してやっと認めた
その位西日本中心に考えていた
弥生が縄文を駆逐したというのはその名残の嘘
こうすれば高度な西日本の弥生が他を治めた事になり都合が良かった
実際にはそれぞれの土地の事情があり主には噴火や気候に振り回されただけ
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菜畑遺跡では縄文時代の最後の頃の土器が稲作の痕跡とともに見つかっている

他の遺跡でもその発見以後、同様に縄文土器との共伴の例が多く見つかり弥生時代の開始が古くなるのが確実となっている
そうなると弥生時代のスタートは従来よりも大幅に遡って紀元前700年ごろになる
今のところはこの辺りの年代観が定説になりつつある
更に歴博の研究で稲のプラントオパールが紀元前1000年ごろのものを示すという研究成果を発表し更にさかのぼる可能性も示唆されている

その結果、「稲作伝来」もどこかを経由したのではなく大陸からほとんど間を置かずに日本に来たのではという説が最近出始めている
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↑プラントオパールは資料汚染の可能性が高く今では否定的
現在は土器についた圧痕による調査が主流
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絶対日本の考古学は外人を入れたほうがいい
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↑最近の縄文ブームヨーロッパから
ヨーロッパで青森遺跡土器や土偶が高評価うけ
やっと日本の学会が東北や関東の縄文遺跡を認めた
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このように【「征服者のヤヨイジン」とやらが「ジョウモンジン」とかいう民族を征服したのが今の日本である】
等というのは完全に事実無根のバカ話であるのが理解できるだろう
誰がこんな話を広めてるのか知らんがこんなもんに踊らされてる奴のアホなことよ
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言語年代学的に調べるとどんなに近くても
日本祖語と朝鮮祖語の分岐年代は今から2万年前には遡る
これは新モンゴロイドの起源年代に遡るほど昔
遺伝子学は分からないからそれは他の人に任せるが
言語的には現在の朝鮮人と日本人には関係無いと言えるほど遠い存在
これだけ言語が離れてるいるからには古代朝鮮人は現在の史学で言われるほど日本に文化的影響を及ぼさないか古代の朝鮮人と現在の朝鮮人が全く違う可能性があるのではないか
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縄文、弥生、古墳と変化したのは、本州の西部だけ。
東部はかなり状況が違うし、北海道では、縄文の後はサツ文時代。
その後も縄文と大して変わらぬ原始時代が、明治、大正まで続いてた。
本州からの影響を受けた後は、もう独自の時代で呼ばないというなら、本州だって大陸から影響を受けた後は、大陸の歴史で呼ばねばおかしい。
邪馬台国は、当たり前に「魏時代の国」だな。
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農家の同級生の爺さんは「うちの田んぼは墾田永年私財法の頃からの由緒ある田んぼ」
つってボケかましてた。どんどんインフレ化が進んで弥生時代になってついに縄文も突き抜けて
旧石器時代からつってたなあ
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ちなみに朝鮮半島の最古の水田跡は無去洞玉?遺跡という物で
大体2800年前とされている
日本の菜畑遺跡はおよそ3000年前
伝えた伝えた言うがなぜか半島の水田跡は日本よりも後という不思議なことになっている
そもそも半島は水田に適さない寒冷で乾燥した土地でここに先に定着するというのは無理がある
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交易は多くの場合、海岸づたいなので、和人も朝鮮半島も通る。
しばしば用いられる「朝鮮半島を通じて」という表現は、
インチョン空港のトランジットを訪問客にカウントするのと同じくらいの水増し表現である。
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日本と半島の水田跡の時期を見れば稲作伝来の時期はあまり大差ない

つまりほぼ同時期に水田稲作が定着したことが分かる
このことからこの時期にこのような技術の伝播が起こる要因にこそ注目すべき
両者ともにほとんど同じような動きであるのであればその主体は半島にはないのが分かる
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根拠は水田跡の年代
別に3100年だろうが何だろうが別に構わない
菜畑が3000年なんだから文字通りほとんど同時期

「日本も半島の水田の時代に大差ない」
という結果を踏まえての話

周知のとおり縄文時代には水田どころか農耕の痕跡も今のところない
伝わるなら畑作を先にやってた半島から畑作がもう来てるはず
ところがそれはない

先にあるものが伝わらず、両者に無かったものがほぼ同時期に広まってる時点で主体が半島にないのが分かる
当然稲作は半島の発明品などではないわけで、この時期に大陸から広まる要因があったということ
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前1000~前800というとちょうど春秋戦国時代の始まるころ
周の衰退と混乱の始まりと重なる
日本、半島ともに周王朝に関わる人物の伝説が広まっている辺りも興味深いところがある
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春秋戦国時代に、中原の地から、あちこちに流出した人たちがいた。戦争に負けた連中ばかりではない。戦乱を嫌って逃げた人もいる。その一部は日本まで辿り着き、一部は雲南省を経由して東南アジアへ向かった。お茶ではなくコメを携えて東南アジアへ向かったのがタイ族です。

コメント(3)

最近の野次馬さんのブレインは進化が著しいですね。
わしらが地道な研究をつづければ、いずれは、という気もしますが、今後の地球寒冷化に対抗するには低日照の自然と人工農業のハイブリッド化が必要になると考えられますので、中華の技術革新が一段と影響を強めるでしょう。
もう野放図な自然崇拝、太陽崇拝では立ち行かなくなるのは明白です。
ただ、私は逃げきれると信じているので、楽観していますwwwwwwwww

たぶん、日本の考古学はダメでしょう。

 ブレイン? 山田昌久教授って双子の兄弟?w 

 どっちも1953年生まれで、明大文学部というとこまでいっしょだし

 ・・入学したとこまではw 

縄文は文化なんですな。弥生は文明。

人種ではなく社会構造が激変している。
部族単位のムラから、様々な民が共通した生産基盤で生活する社会システム=クニが生まれ、周囲に広がりながら現地人を包摂していくのです。

古代文明から現代に至るまで文明の本質は、灌漑システム(共同生産)と余剰生産、そして分業化・専業化による交換経済・流通の発生が根底にあります。
縄文にはそれがないのでただの部族社会。とても長い平和なまどろみの時代です。
もし日本に揚子江文明系遺民が流れつかなければ、日本はインディアンや中東・中央アジアと同じく部族社会で今も小競り合いを繰り返していたでしょう。

さて文明化が最も早く進んだのが近畿であるのは間違いなく、大規模陵墓は文明の産物です。そして思考形態も東国とはかなり異なる。
万民に通じる合理性・経済性を重んじ、個別な伝統や信念のようなものは軽んじる。だから東国人にとっては常に馬鹿にされていると感じるわけですが、まあそうなんでしょうな。

日本は保守と革新・売国と愛国がねじくれた螺旋社会ですが、弥生縄文も同じ。弥生文明の上に個別に残った縄文文化がときに軋轢を起す。
豊臣秀吉は、文明人で兵農分離して分業化し社会効率を上げ巨万の富と強大な軍事力を同時に瞬く間に作り上げた。東国の半士半農型戦国大名は全く歯が立たなくなったのはその一例。
まさに文明の受容に対する伝統的な側面です。
まあ日本の歴史は常に西から変わっていくのです。
それはこれからも同じでしょう。

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