ヘダ号の造船【シリーズ最終回】

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ディアナ号の沈没

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ディアナ号は何故、沈没したか? 安静の地震にともなう大津波で大破したディアナ号はなんだが、修理のために戸田に回航されて行く途中、折からの南西の風に煽られて、コントロールが効かなくなるわけだ。駿河湾では、この、南西の風が怖い。前回の「ディアナ号の沈没」を書いたのが2007年の11月20日なんだが、その前々日、18日にも、その大風が吹いた。これはその時の写真です。

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晴れて天気は良いのだが、風が凄い。この時はちょうど、静浦から戸田に向かう航海だったんだが、とても帆を上げられないので機走していたんだが、途中で空気を噛んでエンジンが止まるなど、大変な思いをしたw ディアナ号の沈んだのは12月だが、この季節には時々、そういう風が吹く。

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もっとも、戸田の港に入ってしまえば、波は静か。若い娘っ子らが太い足剥き出しで踊っていたので、天国に着いたかと思ったw

というわけで、好評の江川さんシリーズ、いよいよ最終回です。八面六臂の大活躍をしていた江川さんなんだが、過労で病気になり、死んでしまう。けれど、その残した功績は大きくて、弟子たち、孫弟子たちが、新しい日本を作り上げる。幕府の軍事官僚だった江川さんの私塾には、日本中の各藩から軍事技術を学びに若い人が訪れ、学んでいたのだ。時代の変革は、伊豆の僻地から始まった。これはそうした時代を描く物語なのだ。

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ヘダ号の造船/初出/2007/11/22

ディアナ号の沈没の続きです。

【前回までのあらすじ】日露修好条約と国境線の確定のために来日していたロシアのプチャーチン提督はじめ500名のロシア兵だが、最新鋭を誇った軍艦ディアナ号が安政大地震の津波によって破壊され、沈没してしまう。異国の地で帰るべき船を失ったロシア兵たちは・・・・

さて、江川太郎左衛門英龍、最期の大仕事が、このヘダ号造船だ。船を失ったロシア兵たちを殺せと主張する水戸の殿様徳川斉昭もいたりする中で、英龍が考えたのは代替船を作らせて造船技術を手に入れよう、という事だった。

 乗組員救出のため相模湾の宮島村に赴いた英龍は、ディアナ号引き揚げ計画をプチャー チンに示すが、引き揚げても使用は不可能との答であった。次の案として、英龍はプ チャーチンに提案した。小型の洋式帆船を戸田浦で建造、この船で乗組員の一部が上海に向かい、迎船を日本に呼んではどうかと。
 英龍がこのとき期待したのは、洋式船建造の技術が日本の船大工に伝わることであった。一隻の洋式帆船をロシア人の指導のもとで日本人が造れば、その技術は確固として国内に根づくのである。プチャーチンも英龍のこの提案に同意した。
 十二月七日、幕府もこの代船建造を認め、英龍を建造取締役に任じた。ただし、英龍が戸田浦にいたのはこの日から十一日まで、出府の命がきたので、英龍は建造の段取りをすべて整えたうえで、韮山に帰ったのである。
 ロシア人の設計により、戸田浦をはじめ周辺の船大工たちが造ることになった船は、 スクーナー型の二本マストの帆船である。全長は約二十五メートル。五十人が乗り組むことのできる、およそ百トンの船であった。村の名を取り、ヘダ号、と呼ばれることになったが、後に幕府はこの型の船を、戸田浦のある郡の名をとって「君沢型」(クンタク型)と呼ぶことになる。
 建造中、戸田浦には建造を見学しようとする武士たちが頻繁に訪れた。斉昭でさえ、 水戸藩士や船大工ら十一人を派遣している。松浦武四郎もきたし、浦賀奉行所の中島 三郎助もきた。佐賀藩の鍋島直正も、藩士たち七人を派遣している。

なんせ、関東一円を支配する韮山奉行の命なので、伊豆中の船大工が集められたようだ。英龍はこの時の無理がたたってほどなく亡くなってしまう(地元には暗殺説もある)のだが、事業は続けられる。技術将校のモジャイスキー海軍大尉が中心となって指揮し、日本の船大工たちが手探りで日本初の、本格的洋式帆船が作られる

代艦の設計は、ディアナ号の所持品にあったスクーナー・オープイト号の設計図をもとに、ロシアの技術士官と日本造船世話掛(船大工の棟りょう)によって行われた。2本マストの60人乗りの木造帆船で、全長約25メートル、幅約7メートル、80から100トンほどの船となったという。材料の木材は沼津千本松原から伐採した松材が用いられた。鋼板、鉄板、釘、鋲などは幕府を通じて調達された。
代艦は80日余りで完成し、安政2年3月10日に進水式が行われた。プチャーチンは、戸田の住民らに感謝を込めて、新造船を「ヘダ号」と名付けた。

このタイプのスクーナーというのは、アメリカが沿岸警備に使っていた小型高速帆船のようだ。時あたかも、帆船の最盛期。この頃ちょうど、最初のアメリカスカップも開催され、同じスクーナーがイギリス自慢の帆船を破っている。当時の最新型だ。

 設計と監督はロシア側が行ったが、艤装用金具から塗料まですべて現地で作ったため技術習得の成果は実に大きかった。
 建造された第一船は戸田(へだ)の地名から「ヘダ号」と命名され、もう一隻の同型船とともに、条約締結の使命を果たしたプチャーチン一行を乗せ、無事ロシアへの帰途についた。
 このとき建造されたのは二本マストのスクーナー型帆船で、幕府がのどから手が出るほど欲しかった洋式軍艦への転用には不向きだったが、高速を生かした貨物の輸送には適していた。このため「君沢型」と名付けられた同型船がその後何隻も建造され、長く活躍した。
 こうして本格的な洋式帆船の建造技術を学んだ日本の技術者の何人かは、日本の造船の黎明期を支え中心的な役割を果たしてゆく。

このサイトでは「もう一隻の同型船とともに」と書いてあるんだが、同時に二隻作ったという話は他では聞かないんだけどね。間違いかも知れない。まぁ、そんなわけで、その後も戸田村では6隻の同型の君沢型帆船が作られ、また各地の造船所でも盛んに作られるようになる。ちなみに、船大工の中には、その後、横須賀の海軍工廠で初代の工場長になって日清・日露の戦争に貢献した上田寅吉がいた

ここは戸田号を造船した所で 牛ヶ洞と言うところでこの名前のバス停の前に有ります。ここには造船記念碑が有りこの内容は主に上田寅吉の事が書いてあります。牛ヶ洞の名の由来はこの上には昔放牧場があり たまに牛がこの洞に落ちるそうです。
上田寅吉は戸田村の7人の船大工の中で若くて創造力もある最も有能な船大工の一人です、彼は既に石川島造船で旭日丸という船を造っていましたが、この船はまともな洋式船ではなく、故郷戸田村でロシア人の帰る船を造るとの事で、戸田村に帰り戸田号の造船におおいに活躍しました、船大工の中でも特に優秀な為に、彼は長崎の海軍伝習所の一期生として行きました、この伝習所は平民は入れまれませんが、彼は特に洋式造船の技術が優れており、お給金を貰い後には苗字帯刀を許されました。

この人について、「ロシアのバルチック艦隊をやぶった日本の艦船のほとんどを設計した」と書いてあるサイトが多いんだが、おいらが調べたところではちょっと年代が違うようで、彼が設計したのは1870年代に造られた木造の機帆船軍艦ではないかと思う。スループ艦清輝天城とか、コルベット艦の海門天竜なんぞがそうだと思うが、よくわかりません。いずれにせよ、伊豆の船大工だった上田寅吉が日本海軍の基礎を築いたというのは確かだ。また、民間で活躍した緒明さんという人も、この時の船大工出身だ。

緒明菊三郎氏は、戸田号造船時には10才だったので、雑役をしながら洋式造船の技術を学び、後に江戸に出て隅田川で一銭蒸気船を始めて財を成し、東京のお台場で緒明造船所を造り、日清戦争、日露戦争の頃は日本の造船、海運王にまで成った人です。なをお台場の土地を使用出来たのは、同じ戸田村の出身の船大工、上田寅吉の縁で榎本武揚が世話をした様です。
緒明家は静岡銀行の大株主で何代か頭取を勤めた家柄で、(俗に世間では渋銀と言われているが)日本で一番堅い銀行は静岡銀行です

ヘダ号の時には、父親が参加していたようで、菊三郎氏は雑役をしていたようだが、その後、榎本武揚の開陽丸の修理工になり、さらに東京に出て成功する。横須賀に「緒明山」という公園があるんだが、そこが緒明菊三郎の持っていた土地だ。また、三島の駅前に楽寿園という広大な公園があるのだが、あれは緒明さんが朝鮮の皇族から買い取ったもの。今でも子孫が楽寿園のとなりに住んでいて、葬式の時には近所の静銀の全社員が駅からズラッと並んで弔問客をさばく。いまでも三島駅南口かいわいは緒明さんの所有地が多く、その管理を三島新聞堂さんがやってるなんて話もあったりするんだが、それはさておき。

こうした具合で、まさに、戸田村におけるヘダ号の建造が、日本における造船史のターニング・ポイントになっているわけだ。

ところで、江川英龍公亡きあと完成したヘダ号なんだが、とても速い船だったようだ。こちらに計算した人がいるんだが、

初めのカムチャツカまでは、平均9km/hで1日(24時間)に200km強を走っている。5ノットだ。たえず走ったとしてこの値だから、24m長の小艇としてはずいぶん速い。順風で快走したと想像される。おそらく連日、西寄りの風を船尾側方から受けて、全縦帆をいっぱいに開いて進んだのであろう。縦帆船のもっとも速度の上がる姿勢である。

スクーナー型帆船がもっとも速度の出るのは、通称アビームと呼ばれる横風だ。おいらの帆船Ami号が、ちょっとした嵐みたいな天候で、船体をギシギシ軋ませながらやっと9ノットくらいなので、ランニングで平均速度5ノットというのはかなり速い。3000kmを14日間というんだが、その当時、北海道と大阪を結ぶ北前航路2500kmが半年がかりの航海だったというから、ケタ違いだ。もっとも、引き続き造られた君沢型帆船は、わずか160km離れた浦賀まで回航するのに「風向きが悪くて」16日間もかかったりしているので、その当時はまだ日本人には「風上にむかって遡る」帆走術が身に付いてなかった、という事だろう。

コメント(5)

この写真でまたつられちゃった。

デカパン、。。ローカル臭というか、大根とか山葵の香りがする。

もっと冒険して、近寄って撮らないと迫力と熱気が感じられないワ。

>駿河湾では、この、南西の風が怖い

相模湾もですw富士山見えて西風吹いたら撤収ですwww
よく葉山辺りでディンギーが遭難しますwww

>デカパン、ローカル臭というか・・・
もっと冒険して、近寄って撮らないと迫力と熱気が感じられないワ。

 満臭事変ぼっぱつ罪容疑で逮捕されちゃいますよww

>若い娘っ子らが太い足剥き出しで踊っていたので、天国に着いたかと思ったw


野次馬さんの年齢より『若い娘っ子ら』って事デスな。

『玉木宏の歴史タイムトリップスペシャル
 戦後70年教科書から消された英雄
 ~韮山反射炉を造った江川英龍~』
『玉木宏の歴史タイムトリップスペシャル
 戦後70年教科書から消された英雄
 ~韮山反射炉を造った江川英龍~』


ドキュメンタリー/教養
6月7日(日)13:00~14:55

みどころ

【今回の放送日時】 2015年6月 7日(日)13:00~14:55

 嘉永6年、1853年6月3日、浦賀沖にペリー提督率いるアメリカ東インド艦隊が現れる。世にいう、ペリーの黒船来航。艦隊の空砲に幕府は震えあがり、大統領の親書を受け取らざるを得なかった。幕府は急遽、海防会議を開く。その席で、ひとりの男がアメリカとの戦争を避けるため、江戸湾の防衛強化を説く。その男が、幕末の知られざる偉人、台場を築き、日本を危機から救った伊豆韮山の代官、江川英龍だった。
戦後70年教科書から消されたこの英雄、江川英龍の残したものとは一体何だったのか?
 番組は、英龍が成し遂げた偉業を、ナビゲーターの玉木宏が台場からスタートし、紐解いていく。先日、世界遺産登録の勧告を受けた伊豆・韮山の反射炉も偉業の一つ。その威容を一目見ようと、今も多くの人が押し寄せている。また、反射炉に近い、国の重要文化財に指定されている伊豆韮山の江川邸では、42代目現当主に案内され、英龍の人物像に迫る。
一方、リポーターの平田璃香子は長崎にある出島から日本橋まで、タイムトリップビューを体験、日本の海防の歴史と大砲ロードを辿る。

番組概要

 『タイムトリップビュー』とは、タブレットやスマートフォンを通じて、「江戸の時代や昔の景色を見てみたい」そんな人々の普遍的な願いを叶える新しいサービス。
 例えば日本橋で『タイムトリップビュー』を眺めれば、江戸時代の木で出来た橋や魚河岸の賑わう様子、明治時代のガス灯がきらめく町並みや路面電車が走る姿など、現代では決して見ることの出来ない風景が360度パノラマムービーで蘇る。
 この番組は、フジテレビが4年に渡る独自調査を行い開発した、新たなインタラクティブコンテンツ『タイムトリップビュー』を使って、歴史めぐりの探求心を満たす。
キャスト

玉木宏(ナビゲーター)
江川洋(江川家42代目当主・伊豆韮山代官の江川太郎左衛門英龍 役)
平田璃香子(リポーター・元SKE48)
ナレーション:川端健嗣

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