水戸黄門漫遊記のモデルは江川さん

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金谷農兵隊と民々亭
ドンドル銃とか傍装雷火銃とか
伊豆の罠猟
江川太郎左衛門英龍
パン祖・江川英龍
蛮社の獄事件と江川さん
三島では小学校でエロ唄を教えます
江川太郎左衛門は世襲の代官です
新撰組を作ったのは江川太郎左衛門

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今回は、「水戸黄門漫遊記」の元ネタになったのが、江川さんだ、という話です。上の絵は、江川坦庵公が自ら描いたモノで、「甲州徴行図」といいます。大塩平八郎の乱の後、その残党が甲州に潜んでいるという噂を聞いて、代官になったばかりの若い江川さんが、部下の斎藤弥九郎を連れて、商人に身をヤツして探偵行という姿です。

天保8年(1837年)4月、甲州微 行に出る
「甲州微行」とは・・・大塩平八郎の乱の残党が甲斐国に潜伏し、やがて武蔵、相模両国に横行する勢いがあるとの風聞が広まったため、江川は、この情報確認にあわせ、民情視察を思い立ち、弥九郎とともに刀剣商の身なりで、各国を巡回したとされる。
後年、江川自らが当時の様子を描いている。(甲州微行図)

大塩平八郎の乱については、江川さんは少なからず関係があって、大塩平八郎の書いた幕府に対する建議書というのを、守ったのだ。

・大塩、天保8年2月18日付で、大坂町奉行らの不正を記した建議書を、江戸の幕府へ飛脚で送った。
・2月19日、大塩ら蜂起。建議したことを知った大坂町奉行は、江戸に着いた荷物を引き返させた。
・飛脚が大坂へ戻る道中、三島(静岡)近くで持病のため動けなくなった。通りかかった知り合いに三島までの送付を依頼したが届かなかったため、飛脚屋が探すと、金目のものが盗まれた状態で発見。中身が大塩の建議書だとわかり、韮山代官所に届けられた。(江川、すべてを部下に書き写させる。)

自分に累が及ぶのを避けようと小細工した大坂町奉行の悪巧みを防いだわけですw その当時から、大阪の為政者というのはロクなもんじゃなかったらしいw この、大塩平八郎の乱絡みで、江川さんは江戸大阪を往還し、あるいは甲州、相州を潜行し、庶民の生活を見て歩いた。江戸時代にそんな事をやった幕府の偉い人というのは、他にいない。それが、後世、水戸黄門漫遊記のネタになったと言われております。


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江川太郎左衛門というと、おいら、どうしても「郷土の偉人」と見てしまうんだが、確かに郷土の偉人ではあるんだが、必ずしも「伊豆」だけじゃないわけですね。というのも、たかだか90人扶持の代官にしか過ぎない江川さんなんだが、その、治めていた領地というのが、やたら広いわけです。伊豆はもちろんなんだが、駿河、相模、武蔵、甲斐まで、江川さんが代官として治めていた。それでも、江川さんの配下というのは33人しかいない。江戸の江川屋敷に17名、韮山代官所に13名、荒川番所に1名だそうで、ちなみに領地の生産高は9万石だそうで。

で、上のAmazonリンクの本というのは、多摩の歴史を描いたものなんだが、江川さんの話がたくさん出てきます。江川さんは多摩の代官でもあったわけで当然なんだが、特に、新撰組との関わりが興味深い。

ところで新撰組といえば「池田屋事件」なんだが、まだ電話も電報もなかった当時、池田屋事件が新撰組の故郷、多摩に伝えられたのは、11日後だったらしい。上記の本から、なんだが、

新撰組の面々は事件の事後処理に忙しく、手紙どころではなかったが、第一報を彦五郎にもたらしたのは上洛中の柏木総蔵だった。総蔵が仕立てた早馬によって、通常1ヶ月かかる京からの手紙が11日で到達した。
 手紙には「六月五日に長州藩士が焼き討ちをし、新撰組が駆けつけたため、先方(浪士)即死二人、生捕り五人、新撰組は二人即死。新撰組の討ち死にがだれなのかわからず、心配である」とあった。つまり、伝聞で事件を聞きつけた江川代官家のトップ(柏木総蔵)が、事実を確かめる間もなく自ら筆を執ったことが、この手紙からわかる。

柏木総蔵というのは、江川さんちの番頭です。この頃にはすでに英龍は亡くなっていたんだが、江川さんちは世襲なので、息子が後を継いでます。もっとも、まだ若くて、代官の業務そのものは実際には総蔵が仕切っていたようで、その総蔵が風雲急を告げる京都の情勢をうかがうために上洛していたわけです。そこで、早馬で新撰組の故郷に知らせた、というわけなんだが、そうした事実から著者は、「新撰組というのは、英龍が作ろうとしていた多摩農兵隊そのものだ」という見方をしているわけですね。

農兵隊というと、おいら、英国船マリナー号事件というのを何度も書いて来たんだが、文官の役人ばかり33名しか抱えてない江川さんが自分で育てた、近所の農民兵です。その有用性がやっと幕府に認められて、英龍公の死後、あちこちに農兵隊というのが出来るわけなんだが、その功績のひとつとして、天保七年の甲州一揆を鎮圧した、というのが書かれています。

天保七年、八月十七日、米価高騰・米不足に耐えかねた都留郡の農民がついに蜂起した。赤い陣羽織を着込んだ頭目のもと、世直しを掲げた甲州一揆(甲州郡内騒動)の勃発である。一揆はまず甲府へ向かい、次いで甲州全域に燃え広がっていった。浪人者を含む三万人が暴徒と化して甲府の米問屋などを打ち壊したのである。
 この騒動の行方を固唾を飲んで見守っていたのが、伊豆・駿河・相模・多摩の代官であった伊豆・韮山(静岡県田方郡韮山町)の江川太郎左衛門英龍(号は坦庵。「たんなん」と発語されていた)であった。天候不順の折から飢饉を予想していた江川代官は、支配地では先手を打ったものの、隣国からの一揆が波及さればその努力も水泡に帰すと考えていた。
 江川代官の不安は敵中してしまった。

この時にも、江川さんは手勢の鉄砲隊20名を引きつれて、韮山の代官屋敷から鎮圧に出向いているわけだ。とはいえ、そもそも韮山には文官が17名いるだけなので、この鉄砲隊も、近所の農民を動員したものだろう。で、威嚇射撃だけで一揆を蹴散らし、鎮圧するとすぐに、八王子で近所の名主、豪農、豪商たちを招集する。

「畜米がある者は困窮者に放出せよ。代官がかわりに買い上げて進ぜる。また、緊急に生業資金を貸し付けるので、必要な者はこの会所に申し出よ」
 坦庵は八王子に臨時の会所を設け、手代の長沢与四郎と鉄砲隊五名を残して窮民の救済に当たらせ、伊豆・韮山に引きあげた。代官のあざやかな手並みは、多摩や相模ばかりでなく、甲州にも伝わった。

ところで、韮山から多摩に出向くには、箱根越えはしないですね。熱函道路というのが今ではあるんだが、その当時でも、わざわざ箱根峠なんか越えないです。もっと南の、函南あたりから東海岸の熱海あたりに出て、そこから小田原経由で、町田から南多摩に入る、というルートです。これを著者は「北条の道」と呼んでいるんだが、この、北条が治めていた土地を、そっくりそのまま徳川氏は天領にして、北条氏でも代官をやっていた江川代官家に治めさせていたわけです。

代官というのは、大名とは違って徳川家の中間管理職であり、必ずしも世襲というわけじゃないんだが、江川さんだけは例外です。平安時代に伊豆に来て以来、ずっと代官やっている。頼朝の挙兵も手助けしたし、その後の足利、北条、徳川の治世にも引き続きずっと代官です。明治になっても県知事やっている。江戸の西側はすべて、江川さんの領地という事になるんだが、それを33人の配下で治めていたというのだから、徳川幕府というのはずいぶん「小さな政府」です。

さて、甲州一揆の翌年なんだが、江川英龍公は
甲州徴行という旅に出ます。逃亡した大塩平八郎を捜索する旅だとも言われているんだが、終生の友であった剣豪・斉藤弥九郎とともに、刀売りの商人に変装して、支配地を視察。悪い商人や豪農をこっそり調べあげて、のちにこれを懲らしめたという、まぁ、コレが
「水戸黄門漫遊記」の元ネタになったという話もあります。江川さんは、こうした勧善懲悪をずいぶんやっているので、多摩地方では
江川世直し大明神とまで呼ばれたそうで、ずいぶん人気のあった為政者だったようだ。

で、多摩地方というのは、もともと北条と武田の残党が自治を旨として半農半武で運営していたわけで、専業の武士というのが存在しないわけです。新撰組が「百姓から武士に成り上がった」というのは、だから、一面的な見方であって、もともと半分は武士だったわけですね。それが、江川英龍公の「農兵思想」を身をもって教えられ、農兵隊として幕府の認可がおりたのは新撰組以降なんだが、早い時期からその萌芽はあって、なので、新撰組というのは江川農兵隊の一卵性双生児であり、実に、
水戸黄門も新撰組も江川さんが作った、というわけです。

コメント(6)

身延の裏には水戸黄門さまお手植えの逆さ銀杏があります。これって江川さんのこと。

>当時から、大阪の為政者というのはロクなもんじゃなかったらしい

 だろうね。納得。

江川塾や練兵館には後に維新の立て役者となる長州の若造連中も来ていたので、長州の奇兵隊なんかも元は江川さんの農民兵が元ネタなのかもしれない。

>第一報を彦五郎にもたらしたのは上洛中の柏木総蔵だった。

 維新の際は、柏木さんの判断で、江川家は、幕臣にもかかわらず新政府側にいち早くついたようです。
http://www.jpreki.com/kashiwagi/

↑のリンク面白いですね。
慶応義塾の敷地に払い下げられていたとは。

江川塾、佐久間象山は入門したけど実技がハードなのでついていけなかった、みたいな書かれ方してますね。何で読んだか忘れたが。
桂小五郎もいたとは知らなかった。

甲州しか知らなかったけど、武州相州、東海道往復とかもしてたんですね。なるほど立派な漫遊だ。
結局水戸黄門の残したものは狂気の水戸学だけか。

>結局水戸黄門の残したものは狂気の水戸学だけか。

 あとラーメン本邦発祥wと水戸偕楽園・・
 
 小石川區民としては、小石川後楽園も加えとかないとまずいか・・
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/kouen/kouenannai/park/koishikawa_ko.html

 その点、総州は、いくらか軽く見る向きもなきにしもあらずだけど、野田の醤油に伊能忠敬に佐倉順天堂とプラグマティズムが根づいてますね。

当時の大阪奉行は跡部良弼。
天保の改革をやった老中水野忠邦の実の弟です。
大塩平八郎の乱を鎮圧しようと出馬したら落馬すると言う醜態を見せたり、兄の水野が失脚したりしても、江戸町奉行などの幕府中枢にい続けた世渡り上手ですね。

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