三島では小学校でエロ唄を教えます

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金谷農兵隊と民々亭
ドンドル銃とか傍装雷火銃とか
伊豆の罠猟
江川太郎左衛門英龍
パン祖・江川英龍
蛮社の獄事件と江川さん

農兵節の話です。三島の民謡として知られていて、お祭りでは「三島サンバ」とともによく演奏されますw なんだよ、三島サンバってw 

ノーエ節(ノーエぶし)は静岡県三島市などで歌われ、全国的にもよく知られる民謡。ノーエという掛け声に由来する名で、農兵節という字を当てることも多い。よく似た歌は全国にあり、いずれもノーエ節と呼ばれる。これらの中で、幕末に始まる横浜市の「野毛節」が元祖とも言われている。しかし、三島のノーエ節はこれ以前に江川英龍による農兵訓練用行進曲として始まったとも言われ、定かではない。

Wikipediaの記事にはそう出ている。三島市役所が作ったサイトでは、

 農兵節の起源には諸説あります。幕末、韮山代官の江川英龍(坦庵公)が三島で洋式農兵調練を行った際に、長崎伝習から帰った家臣・柏木総蔵が伝えた音律が坦庵公の耳にとまり、行進曲として唄い始められたという説、三島宿の人々が当時唄っていた田草取歌が盆踊り歌に発展し、その後尻取り歌「ノーエ節」として流行したのが始まりという説、文久2年(1862)に横浜で作られた野毛山節(ノーエ節)が三島に伝わり農兵節になったという説など諸説様々ですが、いずれにしても、大正末期頃に三島で歌われていたノーエ節を洗練し、三島民謡として全国に宣伝を始めたのが平井源太郎と矢田孝之の二人でした。
 その宣伝方法は、東京・大阪などへ赴き、「農兵節」の幟を立て、源太郎は農兵指揮官の装束である韮山笠・陣羽織を着用して大・小刀を腰に差し、近在の若者達と共に農兵踊りを披露し人目を引きました。一方、昭和9年に日本コロンビアより赤坂小梅の唄でレコード化しヒットさせています。こうして「農兵節」はレコードやラジオで全国へ広まり、現在でも「三島」といえば「農兵節」といわれるほど有名になりました。

洋式農兵調練というのは、今の三島市役所のところでやっていたらしいです。江川さんは徳川幕府では数少ない軍事専門家で、高島流砲術の大家です。高島流砲術というのは、長崎会所の頭取だった高島秋帆という人が始めた砲術で、ペースはオランダの軍事学なんだが、江川さんは幕府の命により弟子入りして、南蛮渡来の砲術を学んだわけです。戦国時代からまったく進化してなかった日本流の砲術は、この高島秋帆によって大きく進化するんだが、鳥居耀蔵がその成功を妬んで、高島秋帆は失脚します。高島秋帆に軍事学を教えたオランダ人は、号令は全てオランダ語で指揮すべし、というルールを作ったので、高島流砲術ではオランダ語で号令を掛けます。それを日本語に訳して、回れ右!とか作ったのは、江川さんだと言われてますね。

ところで、平井源太郎が農兵節を巡業して歩いたというのは、箱根の野菜を宣伝するためだったらしい。江戸時代には、行き交う旅人の足となって助けた馬喰、雲助たちが、この時代になると失業してしまったわけです。そこで彼らは野菜を作り始めた。その野菜を、鉄道で各地に運んで売るための、宣伝活動だったそうです。

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三島では小学校でエロ唄を教えます/2007/05/05

三島だけじゃなく、静岡県東部では小学校で農兵節を教えるわけだ。踊りもついていて、エンドレスで行進しながら唄うという、実に間抜けな民謡なんだが、とりあえず歌詞を載せておく。

♪富士の白雪ゃノーエ 富士の白雪ゃノーエ
  ええ 富士のサイサイ 白雪ゃ朝日でとける♪
♪とけて流れてノーエ とけて流れてノーエ
  ええ とけてサイサイ 流れて三島にそそぐ♪
♪(三島に注げばノーエ 三島に注げばノーエ
  ええ 三島サイサイ三島にゃー女郎衆が多い)♪

♪三島女郎衆はノーエ 三島女郎衆はノーエ
  ええ 三島サイサイ 女郎衆は御化粧が長い♪
♪御化粧ながけりゃノーエ 御化粧ながけりゃノーエ
  ええ 御化粧サイサイ ながけりゃ御客がおこる♪
♪御客おこればノーエ 御客おこればノーエ
  ええ 御客サイサイ おこれば石の地蔵さん♪
♪石の地蔵さんはノーエ 石の地蔵さんはノーエ
  ええ 石のサイサイ 地蔵さんは頭が丸い♪
♪頭丸けりゃノーエ 頭丸けりゃノーエ
  ええ 頭サイサイ 丸けりゃからすが止まる♪
♪からす止まればノーエ からす止まればノーエ
  ええ からすサイサイ 止まれば娘島田♪
♪娘島田はノーエ 娘島田はノーエ
  ええ 娘サイサイ 島田は情けでとける♪

地元に伝わる伝承によれば、農兵節というのは江川太郎左衛門が作った行進曲だと言うんだがね。江川さんという人は、なんせ大砲は作るわ、品川のお台場は作るわ、日本で最初のパンは焼くわと、大活躍した人なんだが、こないだも江川邸のお倉から「日本でもっとも古い木馬」が発見されたというNEWSがあったりするんだが、よく知られているように、農兵節ならぬノーエ節というのが横浜に伝わっているわけだ。で、横浜では「野毛山節が元祖、横浜からでも富士山は見える」という説を唱える人もいる。で、野毛山節の歌詞

♪野毛の山からノーエ 野毛の山からノーエ 野毛のサイサイ
山から異人館を見れば♪
♪お鉄砲かついでノーエ お鉄砲かついでノーエ お鉄砲サイサイ
かついで小隊すすめ♪
♪天満橋からノーエ 天満橋からノーエ 天満サイサイ
橋から城の馬場を見れば♪
♪お鉄砲かついでノーエ お鉄砲かついでノーエ お鉄砲サイサイ
かついで小隊すすめ♪
♪オッピコヒャラリコ ノーエ オッピリヒャラリコ ノーエ チータがタイタイ
トトチチ オッピコヒャラリコ ノーエ♪

ところで、野毛山節というのは、その歌詞の内容からして作られた時期がはっきりと判っている。というのも、下記のような事情があるわけだ。

開港当時、日本人の居留外国人への殺傷事件が度々起こりました。
ことに文久2年8月の「生麦事件」は国際問題に発展しました。
英国の赤隊、フランスの青隊が居留民保護の為、元治元年以来、駐屯兵として横浜に派遣され、同年4月には山手谷戸坂上に営所を備え、警備の傍ら市中を行軍して空き地を利用して練兵をはじめます。
とくに野毛山の下の州千弁天社、弁天橋を埋築した駒場の馬場は、唯一の操錬場でした。
しかし、開発にともない空き地が無くなってしまいます。そんな矢先、慶応2年10月港崎遊郭が焼失、その跡地にうつり、両国兵は競って練兵に励みます。
これは「示威的」な意図であり、当時の横浜市民は「脅威の目」でそれを見ていたようです。
この情景を歌ったものが「野毛山節(野毛の山)」で、明治時代に入って関東に広がり、全国にも広まっていった。

文久2年というと1862年なんだが、ここで言う江川太郎左衛門(36代)は1855年に亡くなっているわけで、太郎左衛門が組織した農兵隊というのは、公式には1852年の事である。これは下田警備のためなのだが、実はそれに先立つ1849年、英国軍艦マリナー号が下田に現れて勝手に測量をはじめるという事件があって、その際に彼は揃いの軍服を着た農民兵の鉄砲隊50名を引き連れて交渉に臨み、普段は継ぎの当たった質素な着物しか身につけなかったのだが、この時ばかりは派手な陣羽織に黄金造りの大小を腰に、部下たちにも割羽織を着せ、その迫力でイギリスを圧倒して押し返している

江川太郎左衛門は西洋式砲術の大家で、西洋式の軍隊というものをしきりに研究していた。当然、西洋の軍隊というのが音楽に合わせて行進する、というのも学んでいたと思われる。日本人で初めてパンを焼いたというのも、軍隊用の携行食のためだ。農兵節というのも、当然、その流れで演奏されたものだろう。となると、野毛節より農兵節のほうが10年も古いというのは確かなんだが、問題は農兵節のその当時の歌詞がどうだったのか、誰も知らない、という事なんだがね。

今に伝わる歌詞というのは、花柳界で唄われたエロ唄だ。女郎なんて言葉が出てくるので小学生にも評判が悪いんだが、よく眺めてみるともっと露骨にいやらしい内容なのに気がつく。まず、三島女郎衆はお化粧が長い、で、客が怒る。これって、女郎を買った事のない人には理解できないかも知れないんだが「ちょっとお化粧、直してくるわね」とか言って、なかなか戻って来ないから怒るわけだ。で、怒るという言葉にも意味がある。単に腹を立てるという意味では、その後の「石の地蔵さん」に繋がらない。熾(おこ)るという言葉があるんだが、火が盛んになる様を言うわけだ。で、エロい意味で解釈すると、客が待ちきれずにチンコがカッカッと火照って、そのシルエットが「石の地蔵さん」のようである、と。そういう意味に取れる。そこにカラスが止まって娘島田というのは、よくわかりません。確かに地蔵さんの頭にカラスが止まったら島田髷に見えるかも知れないが、まだエロい意味があるようにも思える。つうか、芸者がエロい仕草で踊ったんじゃないかという気もするんだが、あいにくと先祖が芸者のおいらの家系にも伝わってないので不明です。誰か知っていたら教えてください。

コメント(2)

残念ながら現在三島市内の小学校・幼稚園で農兵節を押してている所はありません。
三島北中学校・日大三島高校だけです。
PTAや共産党や主婦の団体や細野モナ豪志がうるさいので><

「お客が怒る」を昭和50年代から「お客が困る」に変えています。
そこから娘島田・・・>言いなり地蔵の娘小菊ちゃんの悲話につなげています。

怒った客=武士。言いなりにならない三島の女郎
=ちょんまげの武士に切られて地蔵になった娘小菊は、島田髷も結えずに地蔵になった=殺された。です

三島アメニティ大百科HP版冊子版ともに農兵節と三島サンバはおいらが執筆しました。

よくコウモリに例えられるんだが
カラスという表現もあるのかもしれない。

化粧が長いのは、他の座敷に行ったからで、
その間。予約のあった客を怒らせないように
若い新造が酒の相手をするのだが
吉原なんかでは高い金を取って
文字通り勺をするだけなんだけど
大人気の観光地では、ナニか特別なサービスが
あったのかも?
この間まで禿だった新造の島田は、遠目には
カラスのように見えたのかも?

どっちとも取れるんだけど
単なる想像で、答えではないのであしからず。

それにしてもクンニ教の教祖ともあろう方がwwww
たんなるツリなのか?wwwwww

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