伊豆の罠猟

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世界遺産になりそうな、韮山反射炉なんだが、そのすぐ裏手にはワサビ田があります。ワサビ田には、イノシシはあまり来ないらしいんだが、シカが来る。シカは、ワサビの葉っぱを食べてしまう。なので今でも伊豆の山葵師や椎茸師は、罠猟の免許を取って防衛しているんだが、罠で捕まえると、鉄砲の免許を持った猟師を呼んできて、撃って貰うそうです。ちなみに伊豆のワサビ栽培は、江戸時代から盛んだった。反射炉裏のワサビ田がいつからあるのか定かではないが、中伊豆のワサビ田はその頃にはずいぶん開発されている。で、伊豆特有の猟で、「火薬を使った罠猟」というのがあるそうです。江戸時代には、火薬というのはご禁制の軍需品で、一般人はとても使えなかった。長く保存すると湿気てダメになってしまうので、そういうのは花火大会やってわざわざ消費してしまう。隅田川の花火大会の発祥ですw なのに何故、猟師でもない農民が、火薬を使った罠猟など出来たのか? 獲物が餌を食おうとすると、そのわずかな圧力で爆発するようになっていたというから、黒色火薬だけじゃない、明らかに「発火剤」使ってますね、というような話です。

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豆州楽市がお届けします。
伊豆の罠猟/初出/2008/4/20

このサイトで兵頭28号センセエの「2011年日中開戦」を紹介したんだが、タイムリーな企画だったようで、おいらのAmazonリンクだけでも30冊ばかり売れたわけだ。いつも、紹介した本がそんなに売れるわけじゃないよ、一冊も売れないのがほとんどなので、まぁ、兵頭センセエの実力だろう。

で、ご丁寧に礼状までいただいたんだが、FAXでバンコクまで送って貰って読みました。で、その中で、極めて興味深い指摘があって、ちょっくら調べてみたんだが、まずはコレだ。サイトが消えてしまったので、キャッシュなんだが、

英龍は、ふだんは質素な木綿の着物で通しているが、このときは蜀江色の野袴と陣羽織、大小の刀は黄金作りという出立ち、手代たちにも新調の割羽織を着せた。そのきらびやかな身なりから、日本文化を知らない外国人の目にも、まちがいなく英龍が高位の役人であると映ったことであろう。しかも彼が率いてきたのは、高島流の揃いの軍服を着て整然とした動きを見せる、 最新鋭雷管式の銃を担った歩兵部隊である。 英龍はマセソン中佐に対して、自分は人民十五万人を支配する当地総督であると名乗って、退去交渉に入った。 英龍は外国事情にもひと一倍通じていたから、マリナー号の武装を見ても驚かず、外国人を初めて相手にしても臆するところはなかった。堂々たる退去交渉となった。

ペリー来航より前の1949年なんだが、ここには最新鋭雷管式の銃を担った歩兵部隊と書いてあるわけだ。歩兵部隊と言っても、江川家は?なる代官で弱小旗本なので、配下は多くないし、それもみんな「事務系公務員」なので、軍事には使えない。で、そこが江川さんの偉いところで、率いていたのは近所の百姓で組織した農民兵だったわけだ。江戸時代に農民兵を組織したのは江川さんが嚆矢であって、その偉業は農兵節として今でも歌い継がれているんだが、それはさておき。

雷管式の銃というんだが、パーカッションロック式の銃なのかね。それなら、1922年の発明だ。で、雷管というのは何なのかというと、金属製の筒の中に雷汞(らいこう)というのが入っているわけだ。雷汞というのは

雷酸水銀?らいさんすいぎん?は水銀の雷酸塩で、淡青色の斜方錐状晶。シアン酸水銀の異性体である。一価の雷酸水銀(I) と二価の雷酸水銀(II) が知られているが、とくに二価の化合物は雷汞?らいこう?と呼ばれ、雷管の起爆薬として用いられる。雷酸水銀(I) は雷汞の製造のさい、硝酸水銀の硝酸溶液とエチルアルコールの反応温度を低くすると (45-55 ℃) 生成する。雷汞と同様に爆発しやすいが、より水に溶けやすい。 雷酸水銀(I) の組成式は Hg(ONC)、雷酸水銀(II) は Hg(ONC)2 である。

これを起爆剤として使う事によって、それまでの「火縄式」とか「火打ち石式」といった天候に左右される不確実な銃が飛躍的な進化を遂げるわけだ。

雷汞(らいこう)が発明されると、これを火薬の着火に応用する試みが多くの人々によってなされたが、その決定版となったのがパーカッションロックである。銃身の後端から伸びた細いパイプの先端にパーカッションキャップと呼ばれる雷汞を詰めた金属管をはめ込み、引き金を引くとハンマーが落ちてキャップを叩き、雷汞が発火して発射薬に着火する仕組みである。銃口を除けば開口部が無くなった為、水の入り込む余地が少なく、発射が天候の状態に左右されなくなった。コルトのパーカッションロック式リボルバーは西部開拓時代にインディアンとの戦争に盛んに使用されている。

ここら辺の詳しい話は、おいら、専門家じゃないので判りません。江川邸に行って現物が展示してあれば判るかも知れないんだが、

1830年ごろに発明された電管は銃がどんな条件の中でも確実な発砲を可能にした。 この発明以前の銃は湿気による不発が多く、銃が雨などで濡れると発射できなくなることも多かった。 電管は、真鍮や銅で出来た小さなシリンダーや皿のような形をしていて中には数ミリグラムの衝撃に敏感な起爆薬を詰めている。 初期には雷酸水銀やアジ化鉛を使用していたが近年では水銀や鉛の害が問題になることから、 トリシネートが使用されるようになってきている。

当時では世界一の軍事力を誇っていた英国の軍艦なので、鎖国している地の果ての日本なんぞ、タカをくくって来たわけだ。で、傍若無人に東京湾の測量をしたあげくに下田にやって来るんだが、そこで、当代一の軍事オタク、幕府の代官、江川さんが独りで立ちあがり、武士は役に立たないので近所の百姓を手なづけて「自宅の庭で作った」鉄砲を持たせて、海賊衆と呼ばれた漁民の漕ぐ船でやって来るわけだ。江川さんは種痘を進めたり、二宮金次郎を招いて農業の革新をやったり、地元では「世直し大明神」とまで慕われていた人なので、農民たちも軍事訓練に耐えて兵士としての鍛錬を積んでいたわけだな。

これにはマリナー号の船長も驚いて、なんせ、兵士たちは揃いの洋式軍服を身につけているし、指揮する江川さんは金襴緞子の派手な陣羽織、見れば銃は最新式の雷管式であり、いや、これは、戦闘になったら補給の効かない英国はかなりヤバいぞ、というわけで、そのまま帰ってしまうわけだ。まさか、その銃が江川さんちの庭で作られたモノで、兵士たちが普段は田んぼ耕している百姓だとは考えなかっただろう。まぁ、その時代にそれだけ組織的な軍事力と武器を持っていたのは、日本では江川さんとその愉快な百姓仲間たちだけだったんだがw

で、話は雷汞(らいこう)なんだが、金属の筒に詰めて雷管に使うこの特殊な薬剤が、伊豆半島では動物を捕まえる「罠」猟の道具として使われていたという指摘があったわけだ。兵頭センセエによれば、この「火薬仕込み餌」猟というのは、伊豆の山中で特異的に盛んだったそうで、餌に雷汞を仕込んで、動物がそれを食おうとして圧力がかかると爆発する仕組みらしい。あと、イノシシ村には、やはり伊豆で使われた「仕掛け鉄砲」というのが展示してあるそうで、江戸時代にそれだけの「仕掛け」が可能だったというのは、天領であった伊豆、軍事オタクの江川さんという条件が揃っていたからではないか? というわけだ。

考えてみれば、配下が少ない江川さんというのは、何をやるにも近所の農民が頼りなわけだ。鉄砲作るにも、「事務系公務員」である手下の武士なんか使えないので、近所の連中に手伝わせる。江川さんは民主主義を信奉して「民々亭」と名乗っていたそうなんだが、近所の百姓が頼りの軍隊指揮官なので、そら、民主主義にならざるを得ないw 必然的に、雷汞の技術などが流出する。というか、江川さんも承知で流出させていたのだろう。

実は、今でも中伊豆あたりでは「罠猟」が盛んだ。シイタケ農家やワサビ農家が、荒らしに来るイノシシを退治するために罠を仕掛ける。鉄砲の免許は持ってないので、イノシシが罠にかかると鉄砲猟師を呼んで撃って貰うというんだが、罠猟だけの免許というのがあるらしい。中伊豆あたりのワサビ栽培というのは、商品作物として江戸時代から盛んだったので、二宮金次郎を招くほど農業政策に熱心だった江川さんゆえ、農業を守るための手段として信頼の置ける農民の配下たちに雷汞を分けてやっていたのではないかと、想像するわけだ。明治時代までは天城山に月の輪熊がいたという記録もあるので、農作物に対する被害は今よりずっと深刻だっただろう。江戸時代には雷汞に限らず「火薬」というモノ自体が非常に入手しにくく、貴重な存在だったわけで、やはり兵頭センセエが「浜松の花火」というのをあげているんだが、そういえば隅田川の花火大会というのは、軍事用火薬の賞味期限が切れるので在庫処分だという説もあったりする。で、黒色火薬というのは、木炭、硫黄、硝石で作るんだが、硝石が採れない日本でどうやって硝石を入手したのか、とか、技術論から見る歴史というのは色々と面白いんだが、それはまたいずれ。

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>硝石が採れない日本でどうやって硝石を入手したのか

五箇山煙硝がどれほどつくりだされているかは、加
賀前田家の秘事であった。
(中略)
硫黄、木炭は手に入れやすいが、日本では天然硝石
は産出しない。
そのため、作硝術によってつくりだすほかはなかっ
た。
作硝術とは、まず動物の尿、山草を土中に埋め腐食さ
せる。
つぎに腐った土中の有機物が硝化バクテリアの機能で
硝酸塩を形成すると、これを煮詰め、濃縮した液を乾
燥させ硝石の結晶をとりだす。
この工程をいうのである。
前田家が五箇山煙硝を独占しているのは、徳川幕府の
脅威となる戦力をたくわえていることを意味した。

「浮舟」
津本陽「柳生兵庫助(二)」文春文庫

反射炉の世界遺産登録、何が困るって136号線が渋滞した時の、いやしてなくてもいい抜け道なんです。どうかあの辺の道が混んだりしませんように。

連投すみませぬ(-_-;)

>餌に雷汞を仕込んで

兄が十五になって、若者仲間に入ってから間もなく、
大雪が降ってそれの固まった或る晩に、鮭の頭に爆
発する為掛をして、狐六疋を殺した。
六疋の狐は銘々行くところに行って死んでいたそう
である。
垂れている血を辿っていくと其処に狐が死んでいる
ので、一つなどはそれでも、林の中の泉の傍らまで
行っていたそうである。
兄たち五、六人の若者は夜業の藁為事が済んでから
それを煮て食った。
兄は爆発為掛の旨く行ったことを得意に話しながら
、どうも少し臭くて駄目だな。牛よりも旨くないな。
こんなことを話した。
それを次の日父が聞きつけて非常に怒り、何でも狐
のことをひどく勿体ながったことをおぼえている。

「念珠集 抄」
「斎藤茂吉随筆集」(岩波文庫)

硝石っといえば、子供の頃に読んだ学研の科学で入手法が書いていたような・・・。
そこでは『便所から入手』っと紹介されちょりました。

罠猟で捕獲した獲物は銃があれば楽々ですが、無い場合は鉄パイプやらバットで殴って弱った所でナイフで刺すのがポピュラーです。

銃が十分に出回った後には、仕掛け鉄砲、いわゆる据え銃は全国的に行われていました。
ただ人間がかかりまくって死人が多すぎたので後ほど禁止されました。他にも"押し"と呼ばれるような罠も人がかかりすぎるので禁止されています。
このように罠猟は人間がかかりまくって禁止されたものが沢山あります。トラバサミなどは記憶に新しいですかね。

肥溜めの底の土に沁み込んだアンモニアが硝化バクテリアの作用で
硝石になったんですよね。
それを使って火薬を作るのが冬場の山村の内職だったとか。

 マリナー号事件が1849年ですが、その2年前に、坦庵の甥の石井修三が坦庵の推挙というか派遣留学される形で江戸蘭学塾坪井信道(緒方洪庵の先生の一人)の日習堂で蘭学を学んでいます。
 担庵の韮山代官所は、江戸にも屋敷があって、修三は、1849年には蘭所翻訳方として江戸屋敷に出仕したとのことです。
 というわけで、担庵は年がら年中、韮山や代官領地にいたわけではなく江戸屋敷につめていたこともあったようですし、蘭学者との交流もあったようですから、雷汞の効用や製造法は、そういう場で得たのでしょうか。

初反射炉は40年前。当時反射炉を囲む柵は日露戦争?でのロシアから捕獲した歩兵銃であった。現在は無い。どこに保管してあるのだろか?

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