ルサンチマンのアイコン

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ルサンチマンという言葉があるんだが、まぁ、アレだ、あまり前向きではない、妬み、恨みなどのネガティブでマイナスな感情を示す言葉です。

ルサンチマン(仏: ressentiment)とは、主に強者に対しての、弱い者の憤りや怨恨、憎悪、非難の感情をいう。デンマークの思想家セーレン・キェルケゴールにより確立された哲学上の概念である。この感情は自己欺瞞を含み、嫉妬や羨望に起源がある[要出典]。フリードリヒ・ニーチェの『道徳の系譜』(1887年)でこの言葉が利用され、マックス・シェーラーの『道徳構造におけるルサンチマン』で再度とり上げられて、一般的に使われるようになった。
ポピュラー音楽におけるルサンチマンというと、「お母さんに感謝」とか唄うラップ小僧とか、「まっすぐな道を歩いて逝こうよ」とか唄うシャブ中とかには、あまり見られない。ヤクザに食い物にされて自己破産寸前まで追い詰められたり、薬物中毒で廃人寸前まで追い詰められたり、彼らの「人生」にはふんだんに見られるかも知れんけどw 歌そのものはポジティブで前向きですw 



覚えているかい? 高校んとき、歌番に初めて出演した藤圭子のこと
明るく華やかなステージの中で、ひとり極端に場違いに暗かったこと
作家五木寛之が 「本当の演歌」の星 と絶賛していたこと
同級の女の子が
「若いのにずいぶん退廃的な歌を歌うのね」って非難してたっけ
でも、退廃的で暗い歌が すごくカッコよかったんだ
50歳代に突入してくたびれてきたけれど
再び藤圭子の歌声を聴くと
こんどはカッコいいって思うだけでなく
「かわいい」って思うし、なにより元気が出てくるんだ
また恋をしたくなるし、そんときは不倫になるわけだから
藤圭子の歌っていよいよ身近になるんだよね
もともと、ポピュラー音楽というのは人を楽しませるモノなので、こうしたネガティブな感情をむき出しにした音楽というのは、日本にはほとんど存在しなかった。外国では、ブルースとかファドとか、ごく一部に存在する。シャンソンにもちょっとくらい、あるかも知れない。日本には「演歌」というポピュラー音楽のジャンルがあって、浪花節や民謡を直接のルーツとする民族音楽の現代版なんだろうが、あまり暗い歌は見られなかった。五木寛之の小説に「艶歌」というのがあって、1960年代の業界を舞台にした作品なんだが、

会社の演歌部門を守るため、かつてヒットメーカーだった男が奮闘する姿を描く。1970年の日本。高円寺(小林稔侍)は多くのヒット曲を生み出し、勤めているレコード会社の繁栄を築いてきた。しかし最近はヒットが出なくなった。会社は専務取締役の中野(佐野史郎)に支配され始める。彼は洋楽やポップス中心の音楽配給システムを目指し、高円寺の演歌歌謡曲部門の廃止を提案。部門存続に二つの条件を出した。
会社に出ず、競馬場でヒマを潰しているような、レコード会社の時代遅れの駄目社員が、アメリカンポップスのコピーで儲ける会社に一矢報いるというストーリーです。1966年の発表。よく出来た小説で、何度も映画化、TVドラマ化されている。五木寛之はこの時代、急速に売り出していた人気小説家だが、本人もレコード会社にいた事があって、業界事情に詳しい。おいらもリアルタイムでこの小説を読んでいるんだが、ワクワクしたもんです。で、この小説にはモデルがいます。日本コロンビアでプロデューサーをやっていた馬渕弦三という人です。学徒動員で出征し、終戦を少尉で迎え、その後、日本コロンビアで営業、販売、宣伝畑を10年、昭和33年にディレクターになっている。島倉千代子の「からたち日記」で大ヒット、以後も、小林旭の「さすらい」、「ひばりの佐渡情話」水前寺清子「三百六十五歩のマーチ」など、次々に大ヒットを飛ばしていた。ところが、1963年には日本コロンビアから日本クラウンがスピンアウトする形で分裂。馬渕はクラウンに移籍するんだが、クラウンレコードでの第一作は、なんと、コロンビア専属の美空ひばりが吹き込んでいるw ずいぶん無茶な話だが、世話になったお礼だそうで、ひばりがそう言うんだったら、誰も文句は言えないw この分裂騒動の時には、もうひとつのエピソードもある。

馬渕が所属するコロンビアに新社長が登場、内部対立が起こり退社した役員が会社を起こす。その人についていく馬渕や数人の男たちが辛酸をなめながら、新たな歌手を掘り出し、作り出してゆく。
売れっ子になってきた北島三郎に作詞家・星野が「俺はゆくよ」と退社を告げ、じっと北島の眼を見る。
その2年後にできた歌が「兄弟仁義」で、「俺の目を見ろ、なんにも言うな」のフレーズが、そのときの光景を読んだものであることを、この本で知った。
だから演歌は面白い。


まぁ、業界ではよく知られた人物だったらしい。でも、一般人は知らない。そういうキャラクターを使って、五木寛之は演歌が日本人の通低音として存在するのだ、という小説を書いた。特徴的だったのは、それが都会人のルサンチマンの表象として描かれている、という事だ。馬渕自身のヒットさせた曲というのは、今まで列挙したように、あまり暗い歌はない、普通の歌謡曲です。ところが五木寛之は、そこに「艶歌」という造語を使って、オンナの持つルサンチマンな感情を込めた。フィクションとして、です。五木寛之もレコード会社に所属する作詞家だったんだが、実作ではそれは果たせなかったらしい。五木寛之の作詞はあまり上手じゃない、というのは定評ですw こうした、ルサンチマンの表象として演歌を捉えるというのは、このシリーズ共通のもので、他にもこの人物を主人公にした小説が描かれています。

艶歌は奴隷の歌だと軽蔑し、格調高い名曲に野心を燃やす若き日の高円寺竜三だったが、地方セールスに回された冬の北陸の宿で、痩せた顔色の悪い女と酒を飲み、寝た。翌朝、なぜか心が軽かった。それから2年、〈海鳴りの宿〉が初めてヒットした。レコードを携え女を訪ねたが、海鳴りだけがあの日と同じだった...。
ところで、五木寛之というのは日本生まれだが、生後すぐに朝鮮半島に渡り、15歳で引き揚げている。人格形成期をルサンチマンの本場、朝鮮半島で過ごしたというのがどう影響を与えているのか、まぁ、興味深いところもあるんだが、あまり深入りしないでおこうw ただ、この時期の五木寛之が、演歌の進むべき道筋を思想的に示していたというのは間違いない。で、矢作俊彦が、「藤圭子は五木寛之と寺山修司によって、不幸のアイコンにされてしまった」と書いているんだが、まぁ、アレだ、デビューした時から、女の恨みつらみを唄う存在として喧伝されていたのは間違いない。藤圭子のデビュー当時は、演歌でも艶歌でもなく、「怨歌」という惹句が付けられていた。怨み唄ですw また、彼女は父親が浪曲歌手で、コレが時代の変化で売れなくなって、食うや食わず、幼い彼女が盲目の瞽女である母親の手を引いて夜の街を流して歩き、酔客から食べ物を貰って食い繋いだという出自であり、それもまた、宣伝の一環としてマスコミで盛んに報道された。デビューに当っては、当時まだB級の繁華街であった新宿で、白いギターを抱えて24時間連続キャンペーンというのをやっている。五木寛之が予言した「女のルサンチマンを体現する歌手」として、徹底的に「不幸のアイコン」として売り出された。もともとの藤圭子というのは、普通に美人で、普通に歌が上手で、声域がアルトで低くて、ごく普通の歌手だと思うんだが、そこに様々な人の思いが付着し、その特異な生まれ育ちと相まって、時代を象徴する歌手になる。彼女のファーストアルバムは、長いこと、アルバム販売数の日本記録を保持していた。それを破ったのは、娘である宇多田ヒカルのファーストアルバムです。

ところで、藤圭子の母親は瞽女です。瞽女で食えないので、浪曲の伴奏やっていて、浪曲師の父親と知り合った。瞽女の演じていた語り物とか、浪曲の演題とか、コレはもう、ルサンチマンのカタマリみたいなもんで、おいらが大学の卒論で書いたテーマなのでちょっとは勉強したんだが、もうね、陰惨で悲惨な話ばかりだ。それを何時間もかけて、延々と語り、唄い、客はとめどない涙を流す。そういう娯楽です。泣くのが娯楽、泣かせるのが芸人。そういう環境で育った少女ゆえに、不幸をそのまま歌に表現できた。それまでにも、女のルサンチマンを表現しようという動きはあったんだが、なかなか大きなヒットに結びつかなかった。たとえば、「圭子の夢は夜ひらく」だが、元歌は園まりで、1966年、緑川アコも1966年。どちらも中ヒットです。それが、1970年、歌詞を換えて藤圭子が唄うことによって、大ヒットになる。デビュー当時の彼女は、色気もないみたいな無表情な少女だが、彼女が「15、16、17と、私の人生暗かった」と口ずさむと、空気が一気に日本のアングラ世界に変わり、不幸のアイコン全開ですw 美少女が無表情というのがまた、究極の不幸を思わせて素晴らしかった。切ない、苦しいと歪んだ顔をしているうちは、まだ不幸のズンドコではない。無表情なオンナが一番怖いw こういうのは、演じ切れるものではない。持って生まれた体質なので、日本の口承文芸である瞽女とか浪曲とか、そういう集団的無意識世界が背後に透けて見えるから、特にケレン味もなく淡々と唄うだけの彼女が映える。だが、そんな彼女も、巨大すぎる「不幸」というアイコンを持て余して、「彼女はなぜ、普通の演歌歌手になれなかったのか」と矢作俊彦も書いているんだが、低迷が長く続く。けれど、一人だけ、彼女の復活を信じて、自費でレコーディングを続けている男がいた。



亭主の宇多田照實です。夏休みになるとニューヨークのレコーディング・スタジオを借り切って、小学生の娘ともども、一流のミュージシャンと毎日、セッションを続けていた。完全に持ち出しです。宇多田照實は金持ちだったので、そんな道楽が出来た。この曲で、譜面通りに歌っている藤圭子のバックで、自在にコーラス合わせているのが、小学生の宇多田ヒカルです。結局、藤圭子が復活するコトはなかったが、娘がその跡を継いだ。彼女のデビュー曲の、あのソウルフルなボーカルには、みんな驚いて腰を抜かしたもんだが、それが藤圭子の娘だと知って、納得だった。



レコード会社も事務所も見放した藤圭子を、なんとか復活させようと足掻いてた父親と、歌手としては「壊れて」しまっていた母親と、おまけみたいにスタジオに付いていった小学生の自分と、15歳の宇多田ヒカルの歌には、何代にも渡る表現者としての歴史が秘められている。人は、生まれ、死んで行く。死んだ後に、一つでも二つでも唄を残して死ねたら、それは幸福な人生だったと言えるだろう。合掌。

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