東京アンダーグラウンド・浅川マキ

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70年代から東京のアンダー・グラウンド・シーンの第一人者として活躍する、知る人ぞ知るアーティスト・浅川マキの唯一ともいえる映像作品。本作は、ジャズに徹底した内容で、ジャズ界の大御所たちとの豪華な共演を果たした84年の伝説のライブを収める。

1984年6月30日に池袋の文芸座、9月29、30日に京都大学西部講堂にて行われた浅川マキのライブを映像商品化。

2010年に亡くなっているんだが、浅川マキという歌手がおりまして、言うまでもない、アングラの女王と呼ばれた大歌手です。1967年、若くして「東京挽歌」という演歌でメジャーデビューするんだが、音楽的な方向性の違いでレコード会社と揉め、その後は隠遁。1969年になって改めて寺山修司に見出され、「夜が明けたら」「かもめ」で世に出る。ちなみに「東京挽歌」もYoutubeにありますね。はっきり言って、新宿ブルースのパクリみたいな曲です。この時代、アングラという言葉が囁かれるようになり、消費財として作られ、消費される「流行歌」だけではない世界が始まっていた。浅川マキは、そのハシリです。浅川マキの名前は21世紀に入ってからはほとんど聞かなかったんだが、当人が極度のCD嫌いで、古いアナログ盤は廃盤になり、CDはほとんど出ないので、世の中から忘れられようとしていた。そんな中、2010年に心不全で死去。ネットゲリラで掲載した追悼特集には大きな反響がありました。以後、再録とコメント欄の抜粋です。



浅川マキの突然の死去で驚いたんだが、1970年代にはゴールデン街のあちこちの店で、この人のレコードが置いてありましたね。「浅川マキの世界」というヤツ。寺山修司のプロデュースらしい。ひと晩で10回は聴かれていただろうかw 緑魔子と浅川マキと藤圭子は、日本三大オカッパ女です。
石川県石川郡美川町(現:白山市)出身。石川県立金沢二水高等学校卒。 町役場で国民年金窓口係の職に就くも程なくして上京する。 マヘリア・ジャクソンやビリー・ホリデイのようなスタイルを指向し、米軍キャンプやキャバレーなどで歌手として活動を始める。
1968年、寺山修司に見出され新宿のアンダー・グラウンド・シアター「蠍座」で初のワンマン公演を三日間に渡り催行、口コミで徐々に知名度が上がる。やがて東芝音楽工業株式会社(現:EMIミュージック・ジャパン)に移籍、1969年7月1日、EXPRESS-レーベルより『夜が明けたら / かもめ』で正式にレコード・デビュー。 以後1998年まで移籍すること無く作品を発表しつつステージを主体に音楽活動を行う。 特に池袋文芸坐ル・ピリエで1997年まで催行した大晦日連続定期公演は有名である。

CDの音質に対して懐疑的であり、それ故1998年より新譜を発表していないが、2000年以降はジャズ・クラブ「新宿 PIT INN」を本拠地として定期公演を再開。 ジャズ、ブルースや黒人霊歌を独自の解釈で歌唱する姿勢は定評がある。
残念ながら、「浅川マキの世界」はLPで廃盤になって、以後、復刻されてませんね。本人がCD嫌いで、しかも極端に露出を嫌うために、映像も少ないです。TVにも出たことないんじゃないかな? 
 さびれた港町、凍てつく潮風、薄暗い路地裏...
そういった風景と人々の息づかい、匂いまでもが伝わってくる。

 都会で暮らす誰しもが、失ったはずの懐かしい故郷...
 二度と戻れはしない年月のなかで、憩っているふるさとの感触が、このアルバムには閉じ込められている。
 Makiの歌声は、人々に忘れ去られ、遺棄された情念のレクイエムである。
裏日本の進学校出身で、最期まで自分のスタイルを貫き通した。今、入手できるCDはこのベストアルバムのシリーズだけです。


紀伊国屋ホールの年越しコンサートの片隅に高校生だった私はいました。
顔を隠す長い髪、黒いロングコート、引きずりジーパンで。。あの頃新宿の夜は今ほど物騒ではありませんでした。渋谷の「てんぐ山」というスナックでマキさんがコンサートをなさったとき、控え室代わりの厨房で少しお話ししました。黒の同じデザインのドレスをいくつも持っているらしく「あら、あたし、どの服もってきたのかしら~」。「あなたいくつ?18?私が早く結婚してれば私の子供だったかもね~」。。終わったあと、「お腹すいたわ」とゆで卵をむしゃむしゃ。。独特な雰囲気を持ちながらも、気さくな方でした。
私の青春はいつもマキさんの歌が一緒でした。ありがとう。マキさん。
安らかにお休みください。

40年も昔、浦和の街に「曼荼羅」というお店がありました。果物屋の隣の狭くて急な階段を上りドアを開けるとカウンター奥にはボックス席がいくつか。ジンもマキも森魚もジャニスもたっぷり味わいました、閉店後には鍋持って駅前の〔歩いて10秒でしたが〕屋台のラーメン買いに行かされました。三階をライブハウスにするといって焼肉定食につられてブロック運びを手伝ったり。そこでマキのコンサートが開かれたときはカセットレコーダー持ち込んでこっそり録音したっけ、マキの「東京ブルース」なんて聞いたことないでしょう?あのテープどこへしまったっけ?御茶ノ水で夜中にマキのコンサートのポスター張りやっていた時、職務質問うけてパトカーでお茶の水署へ、始末書書かされて追い出されたけれど、終電車はとっくに無い。24時間のお店なんてなかった頃、マキの六本木の事務所へ電話をしたら「おいでよ」

    なんて書いているとなんかむなしくなってくる、裏窓からは今でもマキの歌声が聞こえて来る それだけでいいんじゃないか

ジンをもう一杯ね

昔、アケタの店で、浅川マキのライブがあって、「今夜はおしまい」を歌った。これが最後の曲とは思わなかったのでみんな座ったまま。マキ「これを歌ったらお仕舞いなんだけどなあ」と言っていたが、LPのジャケットを片手に持って(歌詞が載っていたんだろう)、アカペラで歌い出した。古い美空ひばりの歌。すごく良かった。想像できるでしょう?「柔」のような最近のひばりちゃんの歌は嫌いだけど、と言って、「自分では今まで黒人のブルースやジャズに影響を受けてきたと思っていたけど、実は子供の頃聴いたひばりちゃんの歌の影響が強いんじゃないか」というような話をしたのを覚えている。
それから10年ばかり経って、ビデオ「幻の男たち」の入手方法を聞こうとプロダクションに電話したことがある。「売れないのよねえ」とか「どこから電話してるの」とか、なかなか話が終わらない。どうも声からして「マキさんですか?」と聴くと、やはりそう。40分ばかり雑談した。今の秋篠宮の20歳の会見で「好きな歌手」に「浅川マキ」と応えた話の関連やらCDの音はダメとか、最後は「ピットインでライブがあるから来ない?」。席を特別にリザーブして頂きました。
大好きな人でした。ご冥福をお祈りします。

さて、当人が死んでしまったので、名盤が次々にCD化されてます。ダウンロードでも買えます。



デビュー・アルバムで、しかも最高傑作でもある。1970年台、新宿ゴールデン街の飲み屋には藤圭子とともに必ずこのアルバムがあり、毎晩、聞かれていた。おいらも学生時代、飲み屋で何度聞いた事か。

1. 夜が明けたら
2. ふしあわせという名の猫
3. 淋しさには名前がない
4. ちっちゃな時から
5. 前科者のクリスマス
6. 赤い橋
7. かもめ
8. 時には母のない子のように
9. 雪が降る
10. 愛さないの 愛せないの
11. 13日の金曜日のブルース
12. 山河ありき



~決定版オフィシャル・ベストアルバム~ 時代の地下水脈を辿って行くと、そこに、浅川マキがいる。 貴重な音源と、田村 仁撮影の未発表写真で構成された唯一無二の2枚組全32曲決定版オフィシャル・ベストアルバム (リマスタリング) 32ページ歌詞ブックレット+32ページ全未発表写真集付

Disc1は彼女の比較的知られた代表曲を中心に編まれた構成。冒頭を飾るのは、初CD化となったジャジーな「夜が明けたら」。小さなかすれ声で台詞の様に歌い出す瞬間から、当時の小さなライブハウスの空間に居る様な感覚になる。他にも彼女を見出した寺山修司の言葉による「かもめ」や「裏窓」、彼女が敬愛したというビリー・ホリデイの持ち歌「My Man」に彼女自身が日本語詞を充てた「マイ・マン」等、単独で台本になりそうな演劇性の高いドラマが実に素晴らしい。それらの言葉に彼女の歌が色をつけることで、歌の情景が鮮明に浮かんでくる。

個人的により惹かれたのがレア・トラックを中心に編まれたDisc2だ。こちらはよりダークな色合いに覆われ彼女の核の部分に迫った曲が多い。頭を殴られる程の衝撃が走ったのがハンガリーの作曲家シェレッシュ・レジェーによる「暗い日曜日」のカヴァー。「自殺の聖歌」とも言われる陰鬱な原詩に最も近いと言われる浅川氏の日本語訳詞は救い様がない程に強烈。しかしピアノ一本で静かに紡がれる歌には、死を超えた不思議な安らぎを覚えたのは自分だけだろうか。



浅川マキというのは「映像」の極端に少ない人で、TVに出て唄う事もなかったし、本人が露出を嫌っていたので、映像が少ない。このDVDは、そんな彼女が自ら編集を手がけていたドキュメンタリーです。

ここ10~15年前のライブ映像を中心に構成されたドキュメント。また短編映画「男からの声」や生前最後の新宿PIT INNでのライブ映像も特別収録されており、見たことのない映像ばかりで非常に満足のいく内容です。暗がりで歌う浅川マキさんの息使いや声までもリアルに聞こえてきそうな編集です。このDVDを観ていると、惜しい人がまた時代の中から旅立ったという気がしてなりません。


TVでやっていた連続ドラマに登場した際のシーン。レア映像です。以降、心に残る彼女の唄を幾つか。







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志ん朝と浅川マキの二人、生前の生の舞台をついに見ることができなかったのは、我が人生、痛恨の極みです。食わず嫌いで見ていないもののなかに、見るべきもの、聴くべきものがたくさんあるのでしょうが。
 先日、たまたま天皇皇后両陛下がある美術館を訪問された場に居合わせました。両陛下を身近に拝見するのは二度目でしたが、ある種のオーラが漂っていました。

浅川マキの名前は20世紀に入ってからはほとんど聞かなかったんだが、当人が極度のCD嫌いで、古いアナログ盤は廃盤になり??

21世紀に入ってからですよね?

これからもROMてっまーす。

浅川マキの名前は20世紀に入ってからはほとんど聞かなかったんだが、当人が極度のCD嫌いで、古いアナログ盤は廃盤になり??

21世紀に入ってからですよね?

これからもROMてっまーす。

若い方のなかに淺川マキとカルメン・マキを混同してるヒトが偶に居る。で、面白いのは2人とも寺山修司に接点があったことだ…

浅川マキさんの名唱は数多いけど、特に好きだったのはロッド・スチュアートのカバー曲だった。「ガソリン・アレイ」、「オールド・レインコート」、「それはスポットライトではない」、など。ある意味本物を超えてたとか。また南正人とのコラボも聞きものだった。独特の雰囲気と圧倒的な存在感、ワン・アンド・オンリーとはこの人のことだろう。

そんなことよりひーちゃん、
このTシャツを作って販売してくれよ。

   ∩___∩         |
   | ノ\     ヽ        |
  /  ●゛  ● |        |
  | ∪  ( _●_) ミ       j
 彡、   |∪|   |        J
/     ∩ノ ⊃  ヽ
(  \ / _ノ |  |
.\ “  /__|  |
  \ /___ /

マキ、、イケメンだな、、ハァハァ

わたーしがー娼婦になったならー、お金が無くてもまたおいで、人生お互い様だもの。。。

やっぱり天才だな、

youtube.com/watch?v=7IaEUD_s74U

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