マドロス演歌

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マドロス物について。おいらの見立てでは、マドロス物というのは股旅物から派生した存在ではないか?と思うんだが、流れ者で、いつか消えて行くという存在感の在り方は勿論なんだが、違うところもある。股旅物が、背後に「運命」を背負っていて重く暗いのに対して、マドロス物は明るく軽い。何故そうなのかは後で書く。で、マドロス物といえば美空ひばりです。



美空ひばりは横浜の生まれで、港の景色が似合う。大ヒットした「港町十三番地」もマドロス物だ。子供の頃から映画に出ているんだが、この時代には「歌謡映画」というのが無数に作られていて、彼女はスクリーンを通じて日本中の人気者になった。




マドロス物というと、コレです。田端義夫。この人、若い頃はずっとマドロス姿で通していた。この曲は自分でギター弾きながら歌ってます。弾き語り。業界用語では「ガタリ」と呼ぶんだが、ミュージシャンには裏で嫌われたり、馬鹿にされたりするらしい。とにかく、「リズムが合わない」のだそうで、勝手に早くしたり遅くしたりするので、バンドが困る。一番良い方法は、こういう人のバックで演る時には、なるべく音を出さない事だ、と、田端義夫の伴奏をやった事もあるキャバレーの箱バンが言ってました。この人、若い頃から比べると歌が「軽く」なっているんだが、やはり弾き語りでは神経が分散するわけで、良くも悪くも、歌は軽くなる。それが良いか悪いかは、時と場合による。田端義夫の場合は、飄々と流れるように軽く歌うのが、マドロス物の歌には似合っている。なお、この曲は本人の作曲です。



戦前から戦後にかけて活躍した歌手です。

野村 雪子(のむら ゆきこ、1937年(昭和12年) - 2000年(平成12年)4月23日)は昭和期の歌手。本名は佐々木雪子。

1937年(昭和12年)青森県弘前市に生まれる。中学時代にコロムビア・レコードの歌謡コンクールで4位入賞、その声を見込んでスカウトされ、1952年(昭和27年)、日本マーキュリーレコードから「伊豆の十三夜」でデビュー。

1954年(昭和29年)8月に発売した「初恋ワルツ」の初ヒットで全国区の人気を勝ち得、1955年(昭和30年)に引き抜かれる形でビクターレコードに移籍。同年4月発売の「初恋シャンソン」、11月発売の「おばこマドロス」(吉川静夫作詞、吉田正作曲)と大ヒットを飛ばす。1956年(昭和31年)5月発売の「おばこ船頭さん」もヒットしている。
この人、レコード会社のディレクターと結婚して引退したんだが、復帰しなかった。要望は多かったのだが、本人も亭主も、よしとしなかったらしい。老残の衰えた姿をTVで晒す歌手が多い中で、立派です。



西川峰子というと、割と最近の人です。マドロスというは、今ではすっかり死語となってしまった感があるんだが、1970年頃までは流行歌の世界では現役でした。



岡晴夫は「憧れのハワイ航路」で一躍ヒットしたんだが、この時代はやたら、歌謡映画というのがたくさん作られている。これも例外ではない。

『岡晴夫のマドロスの唄』(おかはるおのマドロスのうた)は、1950年(昭和25年)、野口博志が監督し、日本映画科学研究所が製作、東京映画配給が配給して公開した日本の長篇劇映画である[1][2]。同時上映はシネアートアソシエートオブトーキョー製作、松石道平監督の『ヒットパレード』[3]。
まだTVのない時代なので、歌手の姿を目にする機会というのは多くない。それで映画の需要が多かったのだが、この時代にはたいてい歌詞にストーリー性があるので、映画は作りやすい。最近の歌詞みたいにウォウウォウとかヘイとかウォンチューとか言ってるだけでは映画になりませんw



昭和14年というから、戦前の曲です。歌手は音楽学校出身だし、洋楽的なメロディーラインだ。歌っている新田八郎という人は、

新田 八郎(にった はちろう、1908年(明治41年) - 1989年(平成元年))は、昭和期の歌手。

青森県出身。日本音楽学校出身。1931年(昭和6年)デビュー。1939年(昭和14年)ころビクターの専属となり、1940年(昭和15年)8月、ビクターで「ラバウル小唄」の元唄となった「南洋航路」(作詞若杉雄三郎、作曲島口駒夫)を発売。彼は前線慰問に行った際、この曲ばかり唄っていたため、その場にいた兵士が、替え歌の「ラバウル小唄」を作ったといわれている。1989年(平成元年)死去(享81)。
歌詞で注目されるのは、「シスコ通いの波の上」「三本マストに帆を張って」といったところ。戦前には、貨物船などはまだまだ「機帆船」の時代です。帆走すれば燃料代が節約できる。



さて、こうしたマドロスさん、いったいどこに行ったり来たりしていたのか。その回答がこの曲です。歌っているのは瀬川伸。

戦後、恩師・江口夜詩のキングレコード移籍とともに同社の専属となり、「パラオの真珠取り」などを発売するもののヒットには結びつかなかった。デビューから10年以上が経過した昭和25年、キングレコードに買収されていたタイヘイレコードが独立したことを機に、再度移籍。翌年、昭和26年に発売した同名映画の主題歌「上州鴉」が大ヒット。瀬川伸としての初ヒットとなった。その後、「天龍鴉」「甲州鴉」といった時代劇を題材にした股旅歌謡の他に、「バッテン港の蒼い船」「港神戸のマドロスさん」「港シスコのマドロスさん」といったマドロス物もヒットさせ、紅白歌合戦にも出場するほどの人気歌手となった。一方で、戦前からのファンであった女性と結婚し、苦労時代も長かったことから、焼肉屋を経営するなど、堅実な一面もあった。

「自分の後継者を育てたい」という願いから娘たちを流行歌手に育てようとレッスンをするが、次女である瑛子のみが父の教育に従い、小学生であった時代から、自らの舞台に前座として起用されている。
股旅歌謡とマドロス物を得意としていたというのが興味深い。瀬川瑛子の父親です。マドロスというのも漂泊の人物であり、存在感としては股旅物と似ている。ただし、日本が狭くなったのか、世界が近くなったのか、戦後になると股旅物と似たような感性でマドロス物が作られるようになる。でも、マドロスさんは股旅物のようなドロドロした「義理人情」は背負ってない。また、女の側から見た、マドロスさんの「薄情さ」をあっけらかんと歌うというスタイルも多い。田舎を捨てて仕事を求めて都会に出て来たルンペン・プロレタリアートのルサンチマンを歌うというより、遠い世界への憧れを歌うという感じです。



石井千恵という歌手です。

昭和30年代初め頃、高音の歌唱で人気のキングレコード専属歌手・石井千恵さん。石井千恵=本名・石井光代さんは1936年(昭和11年)1月27日、東京都出身。1953年「自由音楽学院」を卒業後、第6回NHK全国音楽コンクール歌唱部門で第3位。作曲家・吉田矢健治氏に師事し、1956年デビュー。芸能雑誌「平凡」1957年~1962年の人気歌手ベストテン入り。『高原の月(東条寿三郎作詩・佐伯としを作曲)』『泣けてくるから(五十嵐ひろし作詩・塩谷純一作曲)』『さよなら岬(藤間哲郎作詩・大沢浄二作曲)』『港の午後三時(山崎正作詩・山口俊郎作曲)』etcヒット曲多数。
昭和30年代が、マドロス物の最盛期だと思う。戦争が終わって、やっと復興が始まり、まだまだ貧しかった日本だが、海外との交流も再開され、貨物船が活発に行き交うようになる。一般庶民が海外旅行する機会など皆無ではあったが、船乗りというのは自由に海を行き交い、どこにでも行けるという、眩しいような存在だった。



ところで、マドロス物というのは戦前からあるわけです。これは上原敏。この人はニューギニアで戦死しているので、確実に古い。昭和15年です。この時代になんでマドロス物が急に流行り始めたかというと、昭和10年頃から日本のトロール船が太平洋全域に出漁するようになったとか、あるいは支那との行き来が盛んになって、神戸から上海の定期航路が出来るとか、確実に海外が「見えてきた」という事情があるらしい。昭和12年の林伊佐緒「上海航路」には、上海リルのメロディーが間奏に使われていて面白い。



ところで、マドロスというのは古い言葉で、なんせ小林一茶の俳句にも
             「マタロスが古郷を泣く明けかたに」
というのがあるそうで、語源はオランダ語らしい。ただ、それが人口に膾炙し、広く知られるきっかけになったのは、ドイツ映画「狂乱のモンテカルロ」だった。



この映画の主題歌が、「これぞマドロスの恋」という発売され、ヒットする。昭和9年です。それ以前にも淡谷のり子の「マドロス小唄」(昭和7年)や、フランス映画「掻払いの一夜」の主題歌を奥田良三が歌った「マドロスの唄」(昭和8年)などがあるというんだが、そんなに流行ったわけではない。

第二次大戦中は。マドロス物というのはほとんど作られていないし、流行ってもいない。船乗りを歌った「島の船唄」でデビューした田端義夫も、「別れ船」が発売禁止になってしまう。戦意を削ぐ、という理由からです。それが、戦後になって美空ひばりや岡晴夫によってマドロス物が復活し、海の彼方への憧れが、さすらいのヒーローである股旅物の主人公たちとオーバーラップして、昭和30年代に大ブームを巻き起こす、と、まぁ、そんな具合に考えてみると、やはり月並みなんだが、「歌は世に連れ、世は歌につれ」です。

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こういうのも国の事情と云うか社会性が出るのね。
どうにもならない地域の事情を流れ者が大暴れして解決するやつ。

宮本常一先生が、「船乗り」の生活を知ろうと、瀬戸内海を航行する機帆船に一緒に乗り組む紀行記が面白かったです。船に乗ってやってくる女郎をあてがわれそうになるの。

 10年あまり前、ある海の町でボロボロになった「テグス船」というのを見たおぼえがあります。ナイロンテグスが普及する前の時代に、船で生活しながら島々の漁師にテグスを売って回っていた船だそうです。少し前の時代には、我々の知らない「船の生活」「船の人たち」がいたんだなと思いました。

「マドロス娘」でデビューの松山恵子、おけいちゃんも
忘れないでください。

故松山恵子氏は、愛媛県宇和島市出身なのに何故だか芸名は「松山」になった。巷説では、師匠だか何だかが、「愛媛っていったら松山だろう」と付けたとか何とか。実は宇和島は伊達家で討幕派であったから明治以降は特に「松山何する者ぞ」との気概があったので、宇和島の人には内緒にしていてほすぃ。

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