演歌のルーツ・その一・歌謡浪曲について

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武士の本業というのは何かというと、「槍」だそうです。刀でも鉄砲でもない。その証拠に、「槍一筋」とは言うけれど、「刀一筋」とは言わない。まぁ、普通の人はそんな事は知りませんね。三波春夫は知っていた。偉いです。色んな意味で、あの方は日本の民俗学にも造形の深い人で、タダの面白い芸能人ではない。物凄い読書家だったらしい。その、三波春夫の最高傑作と言われるのが、この「元禄名槍譜・俵星玄蕃」だ。紅白でもやっていて、「雪を蹴立てて、サク、サク、サクサクサクサク」という名フレーズは耳に残っている。

作詞は北村桃児(三波自身のペンネーム)。作曲は長津義司。
「忠臣蔵」(元禄赤穂事件)にからんだ架空の人物である俵星玄蕃[1]を主人公とした曲。「歌謡曲(演歌)」「浪曲」「講談」の3つが織り込まれており、それぞれに通じた三波の、芸の集大成のような構成となっている。
三波自身は振りをつけて演じている。また現在でも、日本舞踊の題材として用いられることがある。
先述通り、多様な素養を必要とする曲で、歌詞も長大であるため、歌いこなすには相応のレベルが求められる。現在は演歌歌手の島津亜矢が得意としており、テレビ番組などで披露している。
俵星玄蕃というのは、講釈師が創作した人物で、実在はしてないらしい。作詞は三波春夫本人です。



さて、三波春夫だが、若くして「少年浪曲師」としてデビューしている。

1939年、16歳の時に浪曲師・南篠 文若(なんじょう ふみわか)としてデビュー。それ以前に、幼い頃母親を早くに亡くしており、寂しさを少しでも埋めさせたい思いから父親が三波に民謡を教えたのが、そもそもの三波の歌心の原点であった。また、デビュー前は父親の家業が傾いたためにわずか13歳で家族と共に上京。築地の魚河岸などで丁稚奉公をしていた。1944年、21歳で陸軍に召集され満州に渡った。敗戦を満州で迎える。その戦争の並々ならぬ体験を、後年に自著で綴っている。

敗戦後ハバロフスクの捕虜収容所に送られ、その後約4年間のシベリア抑留生活を過ごす。帰国直後は共産主義に洗脳されていたと述べている。[1]三波は、「国際法を無視し、捕虜の人権を蹂躙した国家的犯罪。更にソ連は謝罪も賠償も全くしていない」と非難していた。後に日本を守る国民会議(現・日本会議)の代表委員となるなど、反共主義運動を展開。

1949年9月、帰国。浪曲師として復帰し、活躍していた。
シベリア帰りで反共右翼として知られていたものの、抑留中は「浪曲レーニン伝」とかやってロシア人のご機嫌取っていたらしいので、まぁ、思想信条なんて、その程度のもんです。抑留船が帰ってくると、捕虜だった連中がみんな、船の甲板で肩を組んでインターナショナルを歌っていたという、そんな時代です。帰国した三波春夫は浪曲師に戻るんだが、時代は既に浪曲から歌謡曲に移っていた。そして、歌謡曲の歌手に転向して再デビューした第一弾が、大ヒットした「ちゃんちきおけさ」です。



ちょっと珍しいヤツで、三波春夫と村田英雄の、浪曲競演です。この二人はライバルとして有名で、村田英雄も浪曲師出身。酒井雲坊の名で、14歳から座長やってます。

福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)に、実父 広沢仙遊、実母 矢野ツタ子の子として生まれる。
生後まもなくツタ子の姉弟子である出利葉スミ子の養子となり、その後、スミ子が梶山春雄と結婚し、梶山春雄一家は佐賀県東松浦郡相知町(現・唐津市)へ引っ越す。
4歳の時、両親が雲井式部一座に加わり巡業先で京山茶目丸と雲井式部より名付けてもらい、宮崎県の孔雀劇場にて『中山安兵衛婿入り』初舞台を踏む。
5歳のときに浪曲師酒井雲門下に弟子入りし、当時師匠が住んでいた大阪市西九条に移住し修行を開始する。64番目の弟子であった。
この時、師匠から酒井雲坊の名前をもらい、13歳で真打昇進、14歳で「酒井雲坊一座」の座長となり、その後も九州にて地方公演を続ける。
1947年に少女浪曲師の吉田伊万里(本名 野口ユイ子)と結婚。
三波春夫が1957年に「ちゃんちきおけさ」でヒットを飛ばしたために、浪曲界では歌謡曲に転身を図ろうという動きが出てきて、1958年、酒井雲坊も古賀政男に見出されて歌手に転身する。



無法松の一生というのも、元ネタは浪曲です。




ところで、歌謡曲で浪花節というと、一節太郎という名前が出て来るんだが、意外な事に、この人は作曲家の遠藤実の一番弟子です。「浪曲子守唄」の一発屋として有名なんだが、そのB面が「一発節」という曲だった事はあまり知られてないw 演歌は息が長いので、浪曲子守唄はいまだに売れ続けているそうで、2002年の数字なんだが、年間2万枚だそうです。



さて、若死にしたんだが、天津羽衣だ。

三重県の生まれ、東京都浅草で育つ。両親が共に浪曲師の山田芳夫と天中軒女雲月。
幼少から寄席や演芸・浪曲に親しみ、12歳で天中軒智子の名で横浜宝塚劇場で浪曲師として初舞台。1941年9月テイチクに専属し浪曲「親なし小鳥」を天津羽衣嬢でレコードデビュー。戦後は、東映映画「母の罪」を皮切りに女優としてデビュー。1956年11月テイチクより、山田とも子の芸名で「ストトン忠臣蔵」で歌手デビューし、1960年5月「お吉物語」がヒット。その後は浪曲に歌謡曲を織り交ぜた、歌謡浪曲"羽衣節"で一世を風靡。1971年渡米公演。
得意ネタは母はシリーズの「九段の母」「原爆の母」「瞼の母」など。他にも女優として多くの映画にも出演。
根っからの浪曲師です。歌謡浪曲というジャンルでヒットが多数。ところで、落語とか講談とか浪曲とか、一人で複数の人物を演じてストーリーを語るという芸能は、日本特有のモノらしい。外国にはあまりない類いの芸だそうで、演歌は浪曲から産まれた部分もあるので、背後にストーリーを感じさせる歌詞が多いね。洋楽やポップスの歌詞は、刹那的というか、断片的な心情を歌っているが、演歌は「人生」を歌う。





この人は長生きなんだが、もう引退しました。「岸壁の母」というのは、もともと菊池章子が歌っていた曲だそうで、それに浪花節仕立てにしたのが、このバージョン。浪曲師というのは幼い頃から叩き上げで育てられるので、声が違う。こうした歌手の聞きどころというのは、何と言っても、この伸びやかで豊かな声です。

浪曲師の父・東若武蔵に師事し、3歳で浪曲師として初舞台。1957年には『女国定』で歌謡曲の歌手としてもデビューし、間奏に浪曲の台詞を入れる歌謡浪曲を確立させた。1970年文化庁芸術祭賞優秀賞受賞。事実をもとに作られ、菊池章子が歌ってヒットさせた「岸壁の母」(作詞:藤田まさと、作曲:平川浪竜)を1974年に台詞入りでカヴァーし大ヒットさせたことで特に有名。1976年には同曲で日本レコード大賞の審査員会選奨賞、日本有線大賞の有線ヒット賞を受賞し第27回NHK紅白歌合戦に出場した。他のヒット曲に「九段の母」(戦前の塩まさるのカヴァー)・「関東一本〆」がある。
母物・股旅物を得意とし、和服で純和風な演歌を歌う。母の感情のこもった歌声に涙を誘われる人も多い。その歌声は古稀を過ぎ芸能生活75年を迎えても健在であり、昔と変わらない姿を見せた。
こんなん聞かせると、婆ぁが大泣きです。

ナニワブシというのは、よく、形容詞としても使われる事があるんだが、日本人のウェットな心情をくすぐる存在であって、それを究極まで磨きあげたのが、こうした歌謡浪曲の世界だ。

さて、ところでWikipediaで二葉百合子の項目を見ると、弟子のところに出て来る名前が凄い。石川さゆり、坂本冬美、原田悠里、藤あや子、石原詢子、湯原昌幸、島津亜矢と、演歌の大御所がズラッと並ぶわけで、「物語を語って、感情を揺さぶり、泣かせる」という一種のカタルシスをもたらせるためのツールとしての浪曲が演歌に受け継がれてきたというのは確かだろう。アレだ、和田アキ子が言ってたんだが、「泣きたくなると、中島みゆきのアルバムとテッシュの箱を抱えて部屋にこもって出て来ない」というアレだw 演歌の「演」というのは、かつて「演説」の「演」だった。それに対して、五木寛之は「艶歌」という、男女の感情を持ち込んだのだが、こうした浪曲ルーツの演歌というのは、「演技」の演歌なんですね。



コメント(8)

> 演歌の「演」というのは、かつて「演説」の「演」だった。
> 五木寛之は「艶歌」という、男女の感情を持ち込んだ
> 浪曲ルーツの演歌というのは、「演技」の演歌

演歌という言葉の変遷とその解釈、なるほどと思いました。
・演説歌(添田唖蝉坊とか)→演歌。
・艶事の歌→艶歌。
・その間をつなぐ?のが、演ずる(芝居だったり語り物だったり)歌→演歌。

で、音楽学者の小島美子さんによれば、演歌はそもそも田舎ではなく都市型の音楽で、そこで生きる庶民の憂愁(英語でいえばblues)を歌うものらしい。
演歌が先がブルースが先か分からないけれども、野次馬さんがブルース好きであることもこのへんからなんとなく分かる(気がする)、ナンテナwww

>関東一本〆


本物 → イヨー、パパパン、パパパン、パパパン、パン
チョン → イヨー、パン

三波春夫と村田英雄の共演は珍しいですね。浪曲では、三波春夫は村田英雄に最後まで勝てなかったと言われているそうですが、いやいやどうして、両者とも素晴らしい!

野次馬さんと違い、演歌は小汚いので大嫌い。絶対にカラオケでも歌わないのですが、「俵星玄蕃」だけは別。これを1曲歌ったら、しつこく「歌え歌え」と言われなくても済むしね。

犬あっち行けで木曜夜にやっている「薄桜記」、結構はまって
います。武士の体面というヤツに翻弄される主人公に、思わず
同情しちゃったりして… 原作五味康祐だそうで、流石だなあ
と思います。

さて、この「薄桜記」、中山安兵衛が登場しておりますね。
「叔父上、高田馬場はまだかーっ!」って、三波春夫さんも
「決闘、高田馬場」という演目でやっておられましたね。

この高田馬場の決闘が切っ掛けで名を売り、浅野家にヘッド
ハンティングされた、というのを今回ドラマで初めて知りま
した。禍福はあざなえる縄の如し、ですね。
坂口安吾さんのエッセイの中で、
『五味康祐が、かほくはあざなえる…と云っていたが、華北の事か?』
見たいな事を書いていたような…

「俵星玄蕃」は親父が好きで、その影響からか、小生も昔シングル盤
を繰り返し聴いて、必死になって覚えようとした記憶があります。

あと忘れちゃエケないのが「おまんた囃子」です。
あれ、出たときゃあひっくり返ったよ…(ωω
三波春夫先生だからNHKでも歌えたのではないかと…
「おまんた~」…って、やばいっすよー…(ωω

その昔、新潟に暮らした事がございまして、新潟代表みたいな
三波春夫先生には格別の思いがありますね。
古賀正雄さんの愛弟子の遠藤実さんも新潟生まれ。
下宿のおばさんが同級生だったとか…
先ほど書いた坂口安吾さんもそうだった。
どーでも良いですよー♪ そういえば、
だいた ひかる ってどこいったんだ???
抱いた ひかる みたいで、ちょっと…やばいかな??
たしか、新婚早々不倫したんだっけか?

閑話休題
野次馬様、そのうち虎造も取り上げてください。
小生はその虎造の創作とも言われている、森の石松の出生地、
遠州森町の在の生まれ。云うたら、バカの産地ですな…(ωω

で、ちゃんと石松のお墓ってのがあるんですよ。
ギャンブルにご利益があるってんで、墓石欠いて行く輩が
後を絶たず、今墓石は三代目…
二代目の墓石は、入れ替えてすぐ墓石ごと盗まれた…(ωω
流石は、遠州ドロボーってか … 困ったもんだ。
遠州の「やらまいか精神」ってのも、語感的に
ちょっとやばいっすよねー…(ωω

島津亜矢と三波春夫のTouTube動画を比べて観てみましたが、曲は同じでもまったくの別モンでした。
槍も取回したことがないようなお嬢サンが、小首を傾げながら歌うようなもんじゃないでしょう、と。
情景が全く見えてこないので、臨場感も何もありまへん。
劣化コピーを有り難がってる視聴者も悪いですね。

口直しに村田英雄を観てきます。

>無法松の一生
>森の石松

 で、「日本の三松」のトリをかざるのが

ちゃちゃちゃん・・

 「おそ松」くんでした

http://www.koredeiinoda.net/wp-content/blogs.dir/2/files/2011/12/091224oa.jpg

 ・・お粗末でした、はい

>関東一本〆
>本物 → イヨー、パパパン、パパパン、パパパン、パン
>チョン → イヨー、パン

 チョンと関東の中間というか、距離的にはチョンに近いハカタの一本〆

「よーお、シャンシャン、ま(も)ひとつ、シャンシャン、祝うて三度、シャシャン、シャン」
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO79264440U4A101C1000000/

 なんのことない、大阪のパクリですが。

 それにしても、森の石松、無法松の向こうを張るとは、さすが赤塚不二夫先生、神がかってます。
 この赤塚先生ですが、満州生まれ、というか、正確にいうと満州ですらない、熱河省の生まれだそうです。

「1935年(昭和10年)9月14日、満州国熱河省に、6人兄弟の長男として生まれる。父親は、憲兵やスパイとして僻地で宣撫工作を行う特務機関員をしていた[3]。父は非常に厳格でなおかつ権威的であり、漫画を読むことを禁じられるなどし、幼い頃の赤塚は父親が大の苦手だったという。ただ、普段から現地に住む中国人とも平等に接し、子供たちにも中国人を蔑視しないよう教えるなど正義感の強い人物でもあった。そのため、敗戦直後に報復として赤塚家の隣に住む一家が中国人に惨殺される中、普段から中国人と親密にしていた赤塚の家族は難を逃れている。
10歳の時、第二次世界大戦終戦。父親は終戦直前に赤軍によってソビエト連邦へ連行され、裁判にかけられることとなった。残された家族は1946年(昭和21年)に奉天から母の故郷の奈良県大和郡山市に引き揚げた。帰国までに妹(次女)の綾子はジフテリアにより死去し、弟は他家へ養子に出されたため、日本に帰還する頃には兄弟は半数となった。死んだ次女の名を継いだ生後6か月の妹・綾子も、母の実家に辿りついた直後に栄養失調のため死去。その時、赤塚の母親には泣く気力もなく、赤塚は「胸がえぐられるようだった」という[4][5]」(wiki)

 この栄養失調で死ぬ子供というのは、最後は下顎呼吸といますか、本当に悲惨でして、似たような境遇の詩人の三木卓の書いたものでも見てください。というよりいくらかでも寄付するとか。

 さて、熱河省というのは、満州と北京の間にある地域でして、ワタスが前に使ってたハンドルネームのころ、北朝鮮が、この回廊を経由して北京に攻め上って、という妄想をコメントしてた場所なんですが、金正日はともかく、金正雲は、国民が餓死して死体が平壌に毎日ごろごろしているというのに「上級者向けスキー場」に3億ドルも浪費するような馬鹿者だそうで、スイスなんかに息子を留学させてスポイルさせた親の顔が見たい、ということですな。
 北朝鮮は、指導者さえ賢明なら、地政学的には面白い場所にあるわけで、それなりに自分を高く売って国民もそこそこいい思いをさせることができるはずなのに、ソニピクじゃないが、逝ってよしです。
 こういうヤツと仲良くしようとした安倍っちもご苦労様です。ひさしぶりにオルタナ通信さんをみたら「大惨事(第三次)安倍内閣」というタイトルだった。勘弁してほしい。

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