シカゴ・ブルースとロックンロール

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むかし、FM東京で片岡義男と安田南のDJがあって、そこで知ったアーティストなんだが、初期のシカゴ・ブルースの大御所です。スライド・ギターの帝王と呼ばれている。つうか、この冒頭からケタタマシク掻き鳴らされるフレーズ一発、という感じなんだが、今でも色んな人にカバーされてますね。ZZTopも演ってます。この、エルモア・ジェイムズとか、次に出るサニー・ボーイ・ウィリアムスンIIなどが、若くして亡くなったロバート・ジョンソンと同世代で、共演していたらしい。ブルースマンとしては、エレキギター使ったのは早かったのかね。この人の動画は、探したけど見つからない。存在しないのかも知れないです。



サニー・ボーイ・ウィリアムスンです。一般的にはIIの方が有名なんだが、Iの方もハモニカは上手です。なんでこの人がIIを名乗っているのかというと、「勝手に名前を拝借した」そうでw 当時、サニー・ボーイ・ウィリアムスンというハープマンが人気だったので、「活動地域が違うから、まぁ、いいだろう」と無断で名前を拝借したらしい。ボーカルとハモニカと交互に演るという独特のスタイルで、若いころの演奏は威勢が良くて素晴らしい。つうか、初期の録音は全て、ハモニカがC調なんだよね。一本しか持ってなかったんだろうか。この人、いかにもブルースマンらしい伝説がいっぱいある。ロバート・ジョンソンの死に立ち会った、ロバート・ジョンソンはオレの手を握りしめて死んだというのもその一つだが、とにかく、本名を聞かれるたびに違う名前を名乗っていたという人なので、しゃべる言葉全てが信用出来ないw それに、お金に汚く、他人の悪口を言うのが大好きだったそうです。

そんな男なんだが、晩年はイギリスで「ブルースブーム」が起きて、ヨーロッパに渡って活躍する。イギリス人のブルース好きは、こういうロートルが魂を吹き込みに行った成果です。ボブ・ディランのバックバンドだった、ザ・バンドとも共演していて、欧米の多くのミュージシャンには、彼の魂が今でも流れている。

彼は、帰国後体調がすぐれない中、ザ・バンドなどとともに、ステージをこなしていた。ザ・バンドのロビー・ロバートソンの証言によると、ステージの横にブリキ缶が置いてあり、サニー・ボーイは、血を吐きながら演奏を続けていたという。ある日、レコーディングセッションの予定が入っているにもかかわらず姿を見せないので、部屋を訪ねた仲間のミュージシャンが冷たくなっている彼を発見する。今の言葉で言うと孤独死。

はっきりとした素性もわからず、放浪を続け、いつ間にかキング・ビスケットというブルースを流すラジオ番組のDJとして一世を風靡し、レコードデビュー。ヨーロッパとアメリカを股にかけて旅を続け、多くの人を煙に巻いた男。B・B・キングのような尊敬されるミュージシャンでも、マディ・ウォータースのような大立者でもなく、胡散臭いブルースマン。

アメリカの黒人は、差別されて虐げられ搾取され抑圧されてきた。そんな教科書的な説明を超越した狡猾さ、逞しさ、気高さを彼の歌・生き方から感じる。彼は、多くのブルース・スタンダードを残しているが、その歌詞の内容は、マディ・ウォータースのようにマッチョで押しの強いものではなく、男が女に平謝りしたり、言い訳したり、懇願したりする、どうしようもなく情けないものが多い。ハーブの音色がその情けなさ、ダメさを増幅して表現する。それが、優れた芸術作品として成立するのが、ポピュラー音楽の不思議さである。

キング・ビスケットの話なんかも面白いんだが、ビスケットの粉を売るために、店頭でブルースを演奏して客を集めたらしい。このサニー・ボーイ・ウィリアムスンとか、ロバート・ジョンソンの義理の息子であるロバート・ジュニア・ロックウッドとか、南部のブルースマンが生活費稼ぎに参加していたんだが、それがラジオ番組を持っていて、ブルースを盛んに流していた。1941年というから、戦前です。その番組は今でも続いていて、イベントもやっている。アメリカは奥が深いねw





マディ・ウォーターズです。シカゴ・ブルースの第一人者。もっとも、この人、初レコーディングが1941年、シカゴに移ったのが1943年というから、世に出るまでのキャリアは長い。1958年に初のイギリスツアー。この頃から、イギリスではブルースがブームになり、多くのミュージシャンがアメリカから渡る。この映像は1960年のニューポート・ジャズ・フェスティバルだと思う。この頃になると、バンドスタイルでブルースを演奏するというのが普通になって来る。





史上最強のブルース・ハープ吹き、リトル・ウォルター。マディのバンドでハープを吹いていた。何が最強かって、とにかく顔が凄いw コレです。



おいら、ブルースの勉強しようと思って、日本で買うと高いので、バンコクのタワーレコードで、いっぺんに50枚くらい、CDを大人買いしたんだが、ジャケ写で文句なし、衝動買いしたのがこのアルバム。凶悪な顔してます。本人も顔に似合ったキャラだったようで、アル中になった挙句、酔っ払って喧嘩して、その傷が元で、37歳で死んでます。



さて、ここからはブルースというより、ロック寄りにもなって来るんだが、まずはボー・ディドリー。

ジョン・リー・フッカーを耳にして感銘を受けたディドリーは、バイオリンを止めてギターに専念するようになっていった。10代の頃からギターを手に路上で演奏活動を展開し、1950年代に入ると、マラカスのジェローム・グリーン、ハーモニカのビリー・ボーイ・アーノルドらとプレイするようになる。そして1955年、チェス・レコード傘下のチェッカーと契約し、デビュー・シングル "Bo Diddley" b/w "I'm A Man" をリリースした。これがR&Bチャートのトップに昇りつめる大ヒットを記録し、一躍スターの地位を獲得する。

同年、黒人アーティストとしては初めて『エド・サリヴァン・ショー』への出演を果たすが、番組側から指定された曲の演奏を断り、自らのレパートリーを演奏したことから、以後出演禁止となってしまった。
若い白人のネーチャンがキャーキャー言ってますね。この時代はTVも録画ではなく生放送なので、そら、勝手に曲を変えるようでは御出入り禁止になりますw



ベースが白人です。サイドギターの黒ん坊ネーチャンがカッコイイですね。



1973年。ギターが四角くなってます。この人、「ブルースとロックの架け橋」と呼ばれていて、特に独特のリズムはロックに多大な影響を与えている。

彼のサウンドは、トレードマークともいえるボ・ディドリー・ビートを前面に押し出しているのが特徴である。コードやメロディーは非常にシンプルなものが多く、リズムが彼の曲を形作っていると言っても過言ではない。このリズムは、例えばバディ・ホリーの "Not Fade Away" のように他のアーティストによって引き継がれ、のちのロックにも大きな影響を与えた。

彼はオープンEチューニングにしてギターを弾いていたため、指1本だけでコードを弾くことができた。また、ギターのキーは曲に合わせてカポタストで調節していた。

主にグレッチのギターを使用しており、彼のトレードマークともいえるボディが長方形のギターや、ジュピター・サンダーバードなど自身の要望・デザインでグレッチに発注した奇抜なデザインの変形ギターを使用することでも有名であった。





アメリカにもフィフティーズのマニアがいるらしいw ブルースとロックの架け橋と呼ばれながら、進化しないままずっとこのスタイルを押し通して、1979年まで活躍した。





さて、チャック・ベリーです。「ロックンロールに別の名前を与えるとすれば、それは『チャック・ベリー』だ」とジョン・レノンに言わしめた男。ロックの殿堂入りした時には、「ロックンロールを創造した者を一人に断定することはできないが、それに最も近い存在はチャック・ベリーである」とまで言われた男です。この映像で面白いのは、スタジオでのライブなんだが、観客が全員、紳士淑女みたいな白人ばかりだという事。みんな大人しく手を叩いているだけで、キャーキャー言うわけでも、踊るわけでもない。チャック・ベリー一人が、動きまわり、叫び、ギターを掻き鳴らす。



チャック・ベリーが売れ始めた頃というのは、白人は黒人音楽なんか聞かない時代だったので、その枠を越えて出て来たロックというのは、新鮮な衝撃だった。つうか、レコードやラジオだけでチャック・ベリーを知ったネーチャンは、コンサート会場に行ったらいきなり黒ん坊が出て来たので驚いた、というエピソードもある。ちなみに、この人をチェス・レコードに紹介したのはマディ・ウォーターズです。





リトル・リチャード。これまた、観客は紳士淑女ばかりw むしろ、笑い者になってる風情です。この人、人気の絶頂だった1957年に引退しているんだが、牧師になったあと、1962年に復帰。その時、復帰コンサートの前座をつとめたのがビートルズです。





ブギィの帝王です。ジョン・リー・フッカーです。この人もスタイルの変わらない人だ。つうか、黒人というのは、「誰もやってない事」を見つけて、あとはそれで一生続けていくというスタイルが多いね。





この人で忘れられないのが、この名場面。ブルースブラザーズというのは物凄く良く出来た映画で、二人が会話を交わしている時に、「エルモア・ジェイムス」なんて名前がチラッと出てきたりする。音は出て来ないんだが、1950~60年代のシカゴで子供時代を送った二人の思いというのが、小さなセリフの一つ一つまで込められた映画です。


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野次馬さん、ZZトップ聞くんすか?

オレのお気に入り四天王ですぜ・・・

ZZ , シーガー, オールマンB's, レイナード

映画「ティーチャーズ」O.S.T.盤に収録の「cheap sunglasses」
(ライブ版)はめっちゃくちゃカッコいいっす。

ZZトップは初期の頃がブルージーな楽曲ばかりだが、「イリミネ-タ-」あたりからロックン・ロール度が急加速しましたね・・・

当時オレは横田ベースのナイト・クラブに入りびだってたけど、コピーバンドはいつもZZの曲ばかり演奏しててネーちゃんたちがすこぶるご機嫌だったwww

1980年あたりの事ですわ・・・

イエ~イ

Freddie King - Blues Band Shuffle
http://www.youtube.com/watch?v=u9snw__RwAw&feature=related

http://youtu.be/kB2mGpXnBWY

フレディkingと来たら、あとは

アルバートkingとB・B・Kingでブルース三大キングです。

デルタブルースからシカゴ、後のロックンロールまでの歴史がとても分かりやすいですね。
サニーボーイは素行の悪い方とそうでない方で区別していました。

90年代はジュニア・ウェルズ、バディ・ガイ、ボー・ディドリーあたりが来日していました。
BB・キングの扱いと違って、寄せ集めて大阪城野外音楽堂でしたが、それはそれでよかったです。

黒人ロックンローラーという事ならば、
Chubby Checker も忘れんといとくれやす(ωω
http://www.youtube.com/watch?v=eh8eb_ACLl8&feature=player_embedded#t=26s

「Let's Twist Again」は大滝詠一さんが「Let's Ondo Again」という形で昇華させておられますね(ωω
http://www.youtube.com/watch?v=ry-KCzOmxVg&feature=related

リトルリチャードの画像を見ていると、曲弾きありーのブローテナーありーの、で実に楽しい。
一方笑いものにしている、という白人の腑抜け面ったらないでそ(ωω
元はと云やあ、Randy Newman のSail Away の歌詞にあるように、
http://www.lyricsfreak.com/r/randy+newman/sail+away_20114160.html
「アメリカにいきゃあ、たらふく食って飲んで楽しく暮らせるぜ」
などとだまくらかした奴らの末裔が白んぼだからなぁ。
碌なモンじゃござんせん (ωω
Sail Away を初めて聴いたのは Sonny & Brownie だった。
静かに歌いこんでる感じが、逆に悲しいものを伝えております。

この人もかっこいいですよね~

Hound Dog Taylor - Phillip's Crawl
http://www.youtube.com/watch?v=TJxpbp8VRGM&feature=relmfu

最初に紹介しておられる「ダストマイブルーム」はかなり後年の録音ですね。この曲は何度も吹き込んでいますが、最初のヒットした録音より、チェス盤が一番ロックっぽいと思います。
新宿の末広亭の通りの角に、キングビスケットという汚い飲み屋があって、音楽はブルースをかけていましたが、先日辺りを通ったら、なくなっているようでした。
安田南も、ネットでは消息不明だそうで。
気まぐれ飛行船。

安田南だったら、去年あたりに死んでます。

そうですか。
2,3年前に気になってネットで検索したら、一部の知人だけが消息を知っていて、世間には秘密というようなことらしかったのですが・・・
ネットで知ったのですが、彼女は60年代末の方で(プカプカのモデル)、私がラジオを聴いた80年頃はすでに過去の人だったようですね。

Wikipediaを見たんですが、確かに、3,4年前に亡くなっておられるようです。ただ、70年代にユーミーンや矢野顕子と並んで評価されたというのは少し眉唾じゃないかと思います。
気まぐれ飛行船は深夜番組だったので、1回聴いただけです。オールディーズ特集の回をラジカセで録音して、何度も聴きました。私は子供でしたが、適度な距離感をもった大人の男女の間を感じました。

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